オトナ帝国化する日本

オトナ帝国の逆襲

 デアゴスティーニから発売されている「映画クレヨンしんちゃんDVDコレクション」の第1弾として発売された、『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が増刷されたようなので購入した。デアゴスティーニのこの手の商品は全部そうだけど、最初に出るのは特別価格で少し安く、次から通常価格になる。『オトナ帝国の逆襲』は税込799円。安いです。これは買わなきゃね。

 『オトナ帝国の逆襲』はずいぶん昔に、東宝から出たDVDを持っていた。しかしポータブルDVDプレイヤーで観すぎてダメにしてしまったのだ。DVDをダメにするって、どんだけハードな観方なんだか……。デアゴスティーニの「しんちゃん」は第2弾の『アッパレ!戦国大合戦』を先に買っていて、まあこの2作品を買えば映画版「クレヨンしんちゃん」はもういいや……。この2作品は、今でも原恵一の代表作だしね。

 というわけで『オトナ帝国の逆襲』の話に戻る。

 この映画は2001年に公開された作品なのだが、いま改めて観るとその内容にゾッとするところが多い。当時は「昭和レトロ」みたいな視点でこの映画を観ていたし、事実これはその後の『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)などにつながる先駆的作品でもあることは間違いない。この映画が痛快なのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』で丁寧に描かれた「昔はよかった」「あの頃は未来に夢があった」という懐古的な気分を、それより前にコテンパンにやっつけていることなのだが、それはまた別の話。今回ゾッとしたのは、この映画に登場する大人たちと子供の関係が、シャレにならない高齢化に突入して行く日本の寓話になっていることなのだ。

 子供のために買ってある菓子をむさぼり食い、畳の上にゴロゴロ寝そべりながら、「なんで大人が子供の世話しなきゃならねえんだよ」と言い切る両親。道でも公園でも大人たちが子供の遊びに興じ、子供を排除して自分たちだけのお楽しみに熱中する。映画に登場する「大人たち」は高校生から老人まで幅広いのだが、これって若年層を食い物にしている高齢化日本そのものの姿じゃないか? 「昔はよかった」「それに比べて今どきの世の中は」という根拠のないノスタルジーと過去の賛美も、何となく今の日本に通じるものだと思う。

 『オトナ帝国の逆襲』が素晴らしいのは、そうした「過去への郷愁」をたたき壊していることだ。「過去は良かった」なんて幻想に過ぎない。それは嘘っぱちだ。それは作り事なのだ。安っぽいハリボテのセットを、当人の思い込みで現実だと思っているだけだ。だが大人は現実の社会を生きねばならないし、子供もまた大人になって過酷な現実の中に足を踏み入れていかねばならない。「クレヨンしんちゃん」は、つくづく健全な世界観だよなぁ……。

 監督の原恵一はこの物語を作りながら、「過去が良ければ永遠に郷愁に浸っていればいい。わざわざ現実に戻ってくる必要ないじゃん」と思っていたそうだ。でもそれを「クレヨンしんちゃん」という物語の枠組みが許さなかった。しんちゃんやひまわりがいるかぎり、ひろしもみさえも大人にならざるを得ない。世界を救うのは、身近な子供の存在なのだ。子供のことを思えば、大人は現実に向き合おうとする。子供のために、厳しい未来に立ち向かおうとする。

 少子化社会の問題は、どうしたって過去を振り向きがちな大人を現実に向き合わせる「子供」が少なくなることなのかもしれない。子供がいない人は未来を考えなくても、「過去」と「今この時」だけで生きていけるからね。

 映画を観ながら、そこに登場する「20世紀博」は現在の日本そのもののように思えて仕方なかった。全部が懐かしいにおいに包まれた、子供のいない大人たちだけのユートピア。日本はどうも、そういう世界を目指しているのではないだろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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