2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方

 ここ2〜3年で何かと話題になっている人工知能について、それが我々の生活、より具体的に言えば「仕事の現場」や「働き方」をどのように変えていくかについて論じた本だ。

 著者は人工知能やテクノロジーの専門家ではなく、企業向けのコンサルタントとして組織のあり方と働き方について様々な提言や実践を行っている。そのためこの本の中では、人工知能について「作る人」ではなく、人工知能を「使う人」の立場からさまざまな事例が紹介されている。

 ところでなぜ「2020年」なのだろうか?

 じつは人工知能は大学や企業の研究室の中にだけ存在するのではなく、既に一部で実用化され、ビジネスにも応用されているのだ。それは今後数年の内にますます社会に浸透して行くに違いない。

 インターネットやスマホが、社会の中で欠かすことのない情報インフラになるまで6〜7年かかっている。市販のパソコンがインターネットに簡単に接続できるようになったのは1995年。その6年後には各家庭にブロードバンド回線が引き込まれ、首相官邸から国民に向けてメールマガジンが発行されるようになった。iPhoneの初号機は2007年1月に発表され、数年の内に出荷台数でガラケーを追い抜き、7〜8年かけて契約数でもガラケーを追い抜いている。

 インターネットやスマホが広がっていく様子をリアルタイムで経験している世代の著者は、人工知能についても社会へ浸透するまでの時間を「立ち上がりから6〜7年」と予測する。ディープラーニングが人工知能技術のブレイクスルーとなり、人工知能が一気に「賢くなった」のが2〜3年前だ。ならばそこから6〜7年後は2020年前後になる。

 人工知能の普及によって、「10年後にはこんな仕事がなくなる」「20年後にはあらゆる職種で人間が働く必要がなくなる」などとセンセーショナルに報じられることも多い。しかし著者は、そんな先の話を今考えていてもあまり意味がないと言う。10年後、20年後のことについては、専門の技術者の間でもさまざまな意見があってよくわからない。しかし3年後の2020年についてなら、かなりの精度で未来を予想できるのではないだろうか。

 今の仕事が10年後にどうなっているかなんて、誰にもわからない。でも3年後なら、今の仕事はまず間違いなく残っている。ただし、人工知能の技術が入ってくることで、その仕事のスタイルはだいぶ変化しているかもしれない。ごの本は、そんな近未来についての水先案内なのだ。

 著者はこの本の中で、人間がもともと持っている「身体性から生まれる感性」が、これからの時代に価値を生むと述べている。人工知能はとても賢い。人間の何倍も正確に仕事を行うし、疲れることを知らない。しかし生身の肉体を持っていないので、人間の「気持ち」が理解できない。

 ひょっとすると将来は人間の気持ちを何らかの形で数値化し、分析して対処するという方法を人工知能が身に着けるかもしれない。しかし同じ身体性から生まれる「共感」は、そこにはないだろう。仕事をやり遂げた「達成感」とか、せっかくの仕事が無駄になった「徒労感」とか、仲間同士でひとつのことに打ち込んだ「連帯感」、理不尽なことを言われたことに対する「憤り」などが、人工知能にはわからない。何らかの形でそれをシミュレーションすることは可能でも、「その気持ちわかるわ〜」という心の底からの共感の言葉が出ることはないだろう。

 こうした人間の「身体性から生まれる感性」は、人工知能の時代になればなるほど、人工知能には生み出せない人間独自の価値として重要性を増していくというのが著者の主張だ。効率を求める定型化された仕事については、どんどん人工知能に置き換えられていくし、置き換えられるべきなのだ。人間は人工知能が苦手な仕事を行えばいい。それは人間にとってやりがいがあるし、何よりも楽しいはずだ。

 著者の「人工知能時代」に対する見通しはじつに楽観的だ。確かにそういう時代が来れば楽しそうだ。少なくとも僕は楽しくなると思う。

 しかしなぁ……と、僕は天邪鬼でへそ曲がりだから思ったりもする。

 世の中で働いている人のほとんど、7割か8割は、人工知能が苦手とする「ヒューマンタッチな仕事」をそれほど得意としていないのではないだろうか。特に日本人は、新しい仕事を創造するより、言われた仕事をただ黙々とこなす方が向いている人が多いと思う。これは日本人の大多数のご先祖さまが、お百姓だったことと無関係ではないだろう。お百姓は決まりきった仕事を、ひたすら黙々と繰り返すものなのだ。

 日本人のDNAの中には、そうしたお百姓の性分が染みついている。決まりきった仕事を、ひたすら正確に繰り返す。その中で、合理化や効率化できそうなものを現場で改善していく。そうしたDNAが、お百姓の血が、かつての日本の製造業を支えていたのだ。

 極端なことを言えば、日本人の7〜8割は人工知能に置き換えられるような仕事に従事している。単に嫌々働いているわけではなく、そうした仕事を愛し、誇りにも思っている。そこが問題だ。人工知能の時代にも日本が世界の中で存在感を発揮するには、こうした日本人の気質や性分を、根本から作り替える必要がある気がするのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

黒澤明の映画入門

 著者の都築政昭は1934年生まれで、今や絶滅の危機に瀕しているであろう「昭和一桁世代」だ。黒澤明の多くの作品を、おそらくはリアルタイムで観ているに違いない。「黒澤明 全作品と全生涯」「黒澤明の遺言」など、黒澤明に関する本も何冊か書いている。

 あいにく僕はこの著者の本をほとんど読んでいないのだが、今回の本はあまり面白いと思えなかった。

 黒澤明の著書やインタビューから黒澤本人の言葉を抜き出し、著者がテーマ別に整理して、黒澤明自身にそれについて語らせる……といった趣向の本だ。この狙いは悪くないと思う。しかしテーマの区分が曖昧で、読んでいても切れ味が悪い。黒澤明の語録という素材は極上品なのに、陳列の仕方が悪くて素材をダメにしてしまっている気がする。

 なぜそうなってしまったのか? それは著者が素材に頼り切りで、それをどう料理し、どう献立を組み立てるかという工夫を怠っているからだと思う。(これは編集者の責任でもある。)申し訳ないが、黒澤明という「素材」は、もう鮮度が落ちてきているのだ。亡くなったのは1998年。もう20年近い昔のことだ。

 この本はポプラ新書から出ているのだが、ポプラ社は児童書で知られる出版社。しかしポプラ新書が児童やYA世代向け……というわけでもないらしい。しかしながら、黒澤明の没後18年目(この本は2016年初版)に出される「入門書」ということであれば、これはやはり、黒澤映画にリアルタイムでは接してこなかった若い映画ファン向けの本ではないのか?

 この本に関しては、そうした「本の成り立ち」や「立ち位置」自体が良くわからなくなっている。要するに、この本のコンセプトは何なのかということだ。

 例えばこの本には、黒澤明の作品リストすらない。監督作はたった30本だ。なぜそれを一覧にして、簡単なあらすじを添えて紹介できないのだろうか? かわりにこの本には、「黒澤映画の名作選」として15作品が紹介されている。だがこれにもあらすじはない。これでは「映画ガイド」にならないではないか……。

 この本を読めば、著者が黒澤明に心酔していることはわかる。黒澤明の映画術をほとんど絶対視し、黒澤明を「人間賛歌のヒューマニスト」と持ち上げる。黒澤明の限界も欠点も、一切認めようとしない黒澤明絶対主義者だ。

 黒澤明の映画作りには、他の映画作家にはない強い特徴、個性がある。入念なリハーサルを繰り返して、複数カメラでワンシーン・ワンカットで撮影するのはその最たるものだろう。だが著者はそのメリットや出来上がった映像の素晴らしさについては黒澤の言葉を引いて力説するが、デメリットについては何も言わない。メリットばかりなら、なぜ他の映画監督は黒澤方式をもっと取り入れないのだろうか?

 黒澤明の時代にはフィルム代がやたらかかるという問題があったが、今ならデジタルだから費用はさほどかからない。マルチカメラがメリットばかりなら、同じ方式をまねする映画作家が続出しても良さそうなものだろうに。しかし実際にまねする人が出ないのは、マルチカメラ方式には欠点も多いからなのではないか?

 黒澤明は僕の大好きな映画作家だし(もちろんリアルタイムではないが劇場で全作品を観た)、関連本もいろいろと読んでいる。黒澤明は日本が世界に誇る偉大な映画作家だが、しかしその黒澤明にも欠点はあるし限界もあったのだ。それでもなお、黒澤明の映画は素晴らしい。

 この本を読むぐらいなら、僕は佐藤忠男の「黒澤明作品解題」を薦める。岩波書店の「全集黒澤明」から作品解題だけを集めたものだが、資料的な価値も高いものだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

黒澤明と高倉健

 戦後の日本映画界を代表する映画スターの高倉健には、生涯に一度だけ黒澤映画への出演機会があった。それは『乱』(1985)の鉄修理(くろがねしゅり)という役だ。

 黒澤明は「鉄=高倉」というアイデアがとても気に入っていたようで、自作の絵コンテの中でも毅然とした鉄修理=高倉健の肖像画を描いている。だが結局、この話は流れてしまった。高倉健が同時期に準備中だった『居酒屋兆治』(1983)を優先したためだと言われている。

 完成した『乱』では、鉄修理の役を井川比佐志が演じている。決して悪くはないのだが、この役を高倉健が演じていれば、より迫力のある非情な戦国武将になっていたような気がする。

 だが僕は、「高倉健は『居酒屋兆治』を優先して『乱』を断った」というこの話を、最近になって疑うようになっている。高倉健は黒澤映画に出演することに、単に尻込みしたのではないだろうか。

 東映の大スターだった高倉健のことはどの映画現場に言っても、周囲のスタッフもキャストが「健さん」「健さん」と持ち上げてくれる。でも黒澤組に入れば、それはできない相談だ。それに『乱』の鉄修理は主役ですらない。主役は仲代達矢が演じる一文字秀虎で、鉄修理はその次男である次郎正虎(根津甚八)の腹心の部下という位置づけなのだ。

 「健さんはものすごくバリアを張る人で、ぜんぜん男らしくない。“男高倉健”はまったくの虚像です」と断言したのは、今年亡くなった俳優の松方弘樹だ。彼は『昭和残侠伝 吠えろ唐獅子』(1971)に出演して好演したのだが、その初号試写の際、主演の高倉健から演技を揶揄されたのだという。自分の映画で、若手である松方が注目されるのが気に食わなかったのだ。嫉妬して、焼き餅を焼いたのだ。(この話は「無冠の男 松方弘樹伝」に載っている。)

 高倉健は映画のイメージとは裏腹に、じつに繊細な心の持ち主だった。だから黒澤監督からオファーがあったときに、いろいろと考えることもあったのだろう。そして結局、この話を断った。

 もちろんこの時の高倉健は、押しも押されもせぬ大スターだ。しかも主役しか演じない大スターだった。東映から離れた後、高倉健には何本もの映画がある。しかしハリウッド映画の『ブラック・レイン 』(1989)や『ミスター・ベースボール』(1993)、ゲスト出演した『刑事物語』(1982)を除けば、高倉健は主演映画以外に1本たりとも出演していない。

 高倉健が『乱』で脇役として素晴らしい演技を見せれば、その後の彼の俳優人生はまったく違ったものになっていたかもしれない。映画出演の機会も増えて、特に晩年の俳優人生はずっと充実したものになっただろう。だが高倉健本人が、それを望まなかったのだ。「俺は今後も主役一本で行く!」というのが、俳優としての高倉健の選択だった。

 『乱』への出演を固辞した後、高倉健は『居酒屋兆治』の監督である降旗康男とコンビで何本もの映画を撮っている。その中には名作もあるだろう。だが「降籏&高倉コンビ」という安定した世界に閉じこもって、俳優として「いつもの高倉健」を再生産することで一生を終えてしまったような気もする。

 『乱』の鉄修理は、役柄としては『蜘蛛巣城』(1957)におけるマクベス夫人の男版みたいなものだ。高倉健が『乱』に出演していれば、『蜘蛛巣城』の山田五十鈴が忘れがたい印象を刻みつけたのと同じか、それ以上に凄まじいキャラクターになったかもしれない。だが『乱』に高倉健が出ていればと言うのは、『影武者』(1980)に勝新太郎が出ていればと言うのと同じ、映画ファンの夢想みたいなものだ。無い物ねだりなのだ。

 僕が『乱』に高倉健が出演しなかったのを惜しむのは、晩年の高倉健には脇役としてもっといろいろな映画に出演してほしかったと思うからだ。映画界における高倉健の大先輩俳優たち、例えば片岡千恵蔵や大河内伝次郎、嵐寛寿郎などは、晩年に膨大な数の映画に出演して若手のサポート役として貫禄の芝居を見せている。高倉健にも、そうした道を歩める可能性があったはずなのだ。『乱』はその大きなきっかけに成り得る作品であっただろうに。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

仏教の冷たさキリスト教の危うさ

 禅僧になったドイツ人(元クリスチャン)が書いたキリスト教概論。

 仏教とキリスト教を対比しながら双方の違いを解説するという主旨の本だが、それが成功しているとは思えない。著者には既に仏教や禅について書いた本が多数あるため、仏教について改めて解説することに筆が乗らなかったのではないだろうか。

 それに比べると、著者のキリスト教論や聖書論はじつに生き生きしていて面白く読める。著者はこれらについてもじつによく勉強しているようで、大きな間違いなどもほとんど見受けられなかった。元キリスト教徒(著者の祖父は牧師だいという)だから詳しいわけではない。キリスト教徒でも、聖書やキリスト教の成り立ちについて知らない人は山のようにいる。著者は仏教を学びつつ、著者自身のベースになっているキリスト教思想についても、かなり突っ込んだ学びを行っているのだ。その上での、辛辣なキリスト教批判だ。

 ただ、ここではキリスト教についてある程度の知識が前提とされているようにも思う。聖書の成り立ちやキリスト教の成り立ちについて、聖書におおよそどんなことが書かれているかについて、何も知識が無いという状態では、著者が何を批判しているのかがわかりにくいのではないだろうか。

 この本に問題があるとすれば、それは、著者の知っているドイツのキリスト教を「西洋におけるキリスト教の標準形」と考え、著者の属している禅宗の教えを「仏教の標準形」と考えているような記述が時折見られることだ。キリスト教は多様であるし、仏教も多様であることは、著者も当然知っている。だからそうした「標準形」をあえて離れた外部の視点からキリスト教や仏教について論じようとしているわけだが、それでもやはり、自分のよく見知っているキリスト教や仏教の形に引き戻されてしまう部分が見られるのだ。

 これはしかし、本書の問題ではあるが欠点ではないのかもしれない。ここに書かれているキリスト教や仏教は、学者が採集してきて標本箱に入れたような「死んだ宗教」ではなく、著者の中で今まさに活動している「生きた宗教」なのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

自分の肩書きについて

 文筆業にとっては、自分の肩書きをどうするかがいろいろと問題になることもある。何の資格も必要ない仕事なので、自分の名乗った肩書きが自分の職業名だ。

 僕はどうしているかというと、20年ぐらい前に会社を辞めて独立した時から、対外的には「映画批評家」と名乗っている。しかし実態としては文筆業全般であって、映画の仕事をすることもあれば、映画以外の仕事にライターとして関わることもある。それが広告の仕事であれば、コピーライターだ。

 映画会社に電話をする時は、「映画ライターの服部です」と名乗ることも多い。「映画批評家」はちょっと大げさな気がするからだ。まあ正直言って、このあたりはどうでもいい。「映画評論家の服部さん」と紹介されることもあるが、その場で訂正するようなことはまずない。本当に、どうでもいいんです。

 僕は出版社で編集者やアートディレクターの仕事をしたこともあるし、コピーライターとしても仕事をしている。テレビやラジオに出演して喋ることもあったし、専門学校で講師をしていたこともある。やれと言われれば何でもやるし、それが「文筆業」というやくざな商売だと思っている。

 で、最近の僕の名刺だけれど、これにはもう肩書きが入っていない。最初は「映画批評家」と入れていたような気もするが、いつからか入れなくなったのだ。

 文筆業の場合、肩書きは自分が名乗るものではなく、他人が決めるもののような気もしている。そこにあまりこだわるのもなぁ……と思うしね。

 ま、僕の場合は、そもそも最近はほとんど「物書き」としての仕事をしてないしね。仕事しないとなぁ。誰かお仕事ください(笑)。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

最低賃金は全国一律1,500円にすべきだ

写真:しんぶん赤旗

 15日に全国各地で、最低賃金の引き上げを求めるデモがあったという。

 以下に、しんぶん赤旗の記事を少し引用しておく。

「貧困なくせ、今すぐ最賃上げよ」。最低賃金の大幅引き上げを求めて15日、全国各地でいっせいに大宣伝、デモが取り組まれました。「いますぐ時給1000円、めざせ1500円」「地域格差なくし、全国一律最低賃金制の確立」をアピールし、大きな注目が寄せられました。

 注目すべきは「地域格差なくし、全国一律最低賃金制の確立」という部分だと思う。最低賃金の均一化は僕も以前から必要だと思っている。1,500円という金額が妥当なのかどうかは別としても、これはぜひとも早急に手を付けるべきものだと思っているのだ。

 この問題については以前もブログで書いたので繰り返しになってしまうのだが、最低賃金を全国一律にしなければならない理由の要点は以下のようなことになる。

  • スーパーでもファストフードでも、あるいは他の仕事でも、地方と都市部でパートやアルバイトの仕事内容は変わらない。同じ仕事をしているなら、同じ賃金を支払うべきだ。
  • 地方の方が物価が安いわけではない。スーパーもファストフードもファストファッションも、ほぼ全国一律の価格設定になっている。
  • 地方の方が地価が安く賃貸アパートやマンションの家賃が廉価なのは事実だが、単身者向けのワンルームマンションなど小規模な物件ではそれほど大きな価格差が付くものではない。
  • 地方では公共交通機関が貧弱で、移動に車やバイクなどが必要になることが多い。都市部に比べるとその分だけ生活は高コストになる。
  • 支出は都市部と変わらないのに収入だけが「地方だから」という理由で少なくなれば、地方での暮らしは貧しいものになる。
  • 地方の暮らしが貧しければ、労働者は仕事と豊かさを求めて都市部に出てくる。結果として地方は過疎化と高齢化が進んでますます疲弊し、都市部は労働人口が増えて賃金が上がりにくい状況が生まれる。

 現在、都市部と地方との賃金格差がどのくらいあるかは、厚労相が発表している最低賃金の一覧を見ればすぐにわかる。

 最低賃金が最も高いのは東京の932円で、最低は沖縄と宮﨑の714円だ。差額は218円。沖縄から見ると、東京は3割以上も賃金が高いことになる。

 「最低賃金を上げろ!」という声に対してはしばしば「それだけの能力を身につけろ!」という反論があるのだが、もしその反論が正しいのだとすれば、東京のアルバイトは沖縄で同じ仕事をしている人より3割以上高い能力を有していなければならない理屈だが、そんなはずはないだろう。

 沖縄のマクドナルドも東京のマクドナルドも仕事の内容は同じで、同じような人たちが働いている。沖縄のマクドナルドで働いている人は、東京の店舗でもほぼ同じように働けるはずなのだ。でも賃金は、東京に行くと3割余計にもらえる。

 沖縄や宮﨑の最低賃金714円で、1日8時間のフルタイム労働を1ヶ月22日間続けたとする。月収は12万5,664円だ。同じ仕事を東京ですれば16万4,032円になる。差額は3万8,368円。1年で46万416円の差が付く。

 「沖縄の方が家賃は安いはずだ」と言うなら、ネットで賃貸マンションを検索してみればいい。最寄駅から徒歩10分以内、単身者が住むことを想定して1Rか1Kの物件で、築15年以内という同一条件で比較すると、じつは東京23区内も沖縄の那覇市も家賃はそれほど変わらないのだ。

 地方の最低賃金を低く抑えているのは、地方の労働者がそれで十分に生活できるからではない。生活は苦しい。貧しさを強いられる。それでも賃金を低く設定しているのは、人を雇う側である地方の事業者に配慮してのことだ。地方の事業者が従業員に東京と同じ賃金を払っていたら、事業が成り立たないことが多いということだろう。

 最低賃金は労働者のために決められているわけではない。それは事業者の都合で決められている。ならば労働者ができることは何か。それは賃金のいい地域に移動して仕事をすることだ。結果として、都市部に人が流れてくることになる。当たり前だ。地方で仕事をしても食っていけないなら、同じことをして食える場所に行くしかない。

 ニュースでは地方創生担当大臣の問題発言が物議をかもしているのだが、博物館や美術館の学芸員に観光マインドを求めよりも、地方の最低賃金を東京と同額に引き上げる方が地方は活性化するだろう。何なら東京の最低賃金を若干下げることを考えたっていい。

 最低賃金の上昇は、人件費の暴騰を意味する。各事業所はドラスチックな事業改革を進めないと生き残れなくなる。ここから本格的に、日本の働き方改革がはじまるのだ。ただでさえ人件費が高騰するのだから、だらだら残業などさせれば人件費だけでパンクしてしまう。何が何でも定時内に仕事を終わらせ、しかも生産性を上げなければならない。淘汰される事業者も多いが、逆にこれで元気になるところも増えるだろう。雇用市場は一気に流動化し、人手不足は解消される。産業界にとって、これは悪いことばかりではないはずなのだ。

 最低賃金は全国一律でまず東京と足並みを揃えよう。まず932円だ。次にそれを、1年ごとに引き上げていく。最初は1,000円。次は1,100円。さらに1,200円。1年に100円ずつベースアップさせれば、5年で1,500円になる。もちろんインフレにもなるだろう。でもそれが悪いことだろうか?

 インフレになれば、政府の税収は増えるが借金の返済は実質的に目減りする。高齢者に支払っている年金を据え置けば、年金支給を減額したのと同じ効果が生まれて、所得の若年層への転移が起きるではないか。年金暮らしをしている高齢者も、年金が実質減額になればまた働こうとする動機付けになる。働けば最低賃金は支払われるので、これは悪い話ではない。

 アベノミクスの異次元の金融緩和で通貨供給量を増やしても、庶民のところまでお金が届いていないのが現状だ。だが最低賃金の引き上げは事業者から無理矢理お金を引き出して、実際に働いている人たちにお金を届ける効果を生み出す。悪い話ではないと思うんだけどなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

発達障害の子供について

 最近はあちこちで「発達障害」という言葉を見かけることが増えた。

 大きなカテゴリーとしては、広汎性発達障害(PDD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、自閉症スペクトラムがあるらしい。学校では新学期も始まったことだし、小学校に上がった子供について学校から「落ち着きがなさ過ぎるので発達障害かもしれません。一度お医者さんに診断してもらってください」などと言われる家庭も少なくないと思う。

 発達障害については、「最近になって増えている」と言う人もいる。子育て環境の変化なのか、環境ホルモンなのか、テレビゲームのやり過ぎなのか知らないが、昔は存在しなかった発達障害の子供がぞろぞろ出現しているという説明だ。

 しかし僕自身は、それは違うだろうと思っている。発達障害の子供は昔からいたけれど、それをことさらに問題にしなかっただけなのだ。

 例えば僕は、今なら確実に発達障害だと言われたに違いないのだ。授業中は落ち着きがなく、おしゃべりしたり、周囲の子にちょっかいを出したり、教科書やノートや机に落書きしたりしていた。運動神経が鈍く、団体行動が苦手で、協調性がなく、人間関係に対しては淡白だった。

 宿題はやらないし、授業もろくすっぽ聞いてない。それでいて得意な教科は常に100点満点。しかし嫌いな教科は見向きもしない。気分屋で機嫌が良ければ調子いいが、突然不機嫌になって癇癪を起こすことがあった。他人の気持ちに鈍感で、無神経な発言でしばしば他人を傷つけたり、不快にさせたりしていたようだ。

 学校では常に問題児だから、小学生の頃から何度も親が学校に呼び出されている。素行が悪いとか、不良とつるんで非行に走っているとかではない。とにかく態度が悪くて、他の子供と同じことができない。僕だけ学校で浮いていたのだ。

 写真は僕が小学校2年生の時の連絡帳に、担任の先生が書いた家庭への申し送り事項だ。当時は僕のような子供は「家庭のしつけが悪い」ということになっていた。だから先生は親を責めるし、親もほとほと困り果てていた。僕はすぐ下に弟がいるのだが、親としては同じように育てているつもりなのに、僕だけが学校で札付きの問題児だったからだ。

 でも昔は、そういう風変わりな子はクラスに一人や二人は必ずいたんじゃないだろうか。(当時は小学校の1クラスが50人ぐらいでしたけどね。)でもそれは「変わった子」だとは思われていたけれど、「発達障害」なんて言葉で呼ばれることはなかったのだ。

 「発達障害」というのは、ここ10年か20年ぐらいで一気に広まった言葉だと思う。その結果、それまで「普通の子」の中に紛れていた「変わった子」や「困った子」「手のかかる子」が、「発達障害」というグループにカテゴライズされるようになったのだ。

 しかしこれによって、誰にどうメリットがあるのかはよくわからない。発達障害は何らかの治療によって「治る」ものではないので、その人が抱えているある種の個性として、本人も周囲もそれを受け入れて行かざるを得ないのではないだろうか。(発達障害の治療と称するものも、結局はその障害と周囲の環境の間でどう折り合いを付けていくかを調整するものだろう。)

 教室の中の「手のかかる子」に「発達障害」という名前を付けることで、学校の教師は「障害があるんだからしょうがない」と早期にサジを投げられるというメリットはあるのかもしれない。親の側も「家庭でのしつけがなってない!」などと責められることなく、「これは生まれつきの障害だから親は関係ないんです」と言えるのかもしれない。でもそれによって、発達障害を抱えた子供自身が幸福になるのかどうかはわからない。

 僕は最近になって「自分はある種の発達障害だったんだろうなぁ」と思うようになったわけだが、だからといってどこかで正式に診断してもらったことはない。いいじゃないか、それでも。

 世の中には「発達障害の有名人」なるリストがあって、そこではアップル創業者のスティーブ・ジョブズや、マイクロソフトのビル・ゲイツも、アインシュタインも、エジソンも発達障害だったなどと書かれている。でも彼らは必ずしも、医者にそう診断されたわけじゃないと思うよ。人並み外れた何らかの偉業を成し遂げた人には、多かれ少なかれ規格から外れた性格の偏りというものがあり、それについて後から「あれは発達障害だ」と言っているだけのような気もするんだけどな。

 もちろん周囲の環境に適応できなくて著しく生活が困難な人には何らかの支援が必要だと思うけど、そうでないなら「変わった子」「困った子」「手のかかる子」という曖昧なカテゴリーをフル活用してもいいような気がする。これは「大人の発達障害」についても言えることで、世の中には「変わった人」や「困った人」「手のかかる人」がいてもいいと思うのだ。それを何からの方法で矯正したり訓練したり調整したりして「普通」の枠内に押し込んでしまうのは、世の中を貧しくしていくだけのような気もするんですけどね……。

 だって中学生か高校生のスティーブ・ジョブズが発達障害の治療を受けて「普通にいい感じの人」に育ったら、世界初のパソコンは絶対に作れなかったと思うし、MacintoshもiPhoneも世の中に出てなかったと思うもんね。もちろん世の中にはジョブスほどの才能が無い、単に社会に適合できないだけの「困った人」はたくさんいるわけだけど、ジョブスの才能はそうした無数の「困った人」を許容する環境があってこそ花開いたものなんじゃないかな。

 というわけで僕は世の中に無数にいる、傑出した才能なき「困った人」のひとりとして、容易に「発達障害」という言葉を連発する今どきの風潮に異議をとなえたいと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

易占は必ず当たる

外為どっとコム:ドル円日足チャート

 毎朝「本日の卦は?」という占問で易を立てるようになって、だいたい1ヶ月ぐらいになった。まだまだ勉強ははじまったばかりだが、易の奥深さに気づかされることは多い。

 まあそういった話はともかくとして、今回は「易はなぜ当たるのか?」という話をしようと思う。

 易は占いの術であって、古くから未来の出来事を予知したり、情報が取れない遠隔地の出来事を予測したりするために用いられてきた。

 占術としての易には最近あまり人気がないが(僕もこの方面にはじつはあまり興味かない)、何千年にもわたって易が占いとして用いられてきたのは、易が占術として優れていたからだろう。つまり「易は当たる」のだ。

 この場合の「易は当たる」というのは、易を使えば必ず未来の出来事がわかるという意味ではない。易というのは筮竹やコイン、あるいはサイコロなど何らかの手段を使って、占問の答えが易経に示されている六十四卦のどの項目に書かれているかを引き出すものだ。しかし易経にはほとんどの場合、占問とは直接関係がない言葉が並んでいる。その言葉をどう解釈するかが、易占者の腕の見せ所になる。

 過去の歴史の中で「易の名人」と呼ばれた人たちは、すべてこの「易経の解釈」が上手な人たちだったのだ。

 「易は当たる」というのは、解釈の結果の答えが当たるという意味ではない。その前の段階で示される六十四卦が、必ずその時の占問に対する正しい答えを示しているという意味だ。その解釈を間違えれば、占いとしては外れることもある。しかし結果を見てから示された卦に戻って解釈し直すと、「なるほどこの卦は正しい答えを示していた。しかしそれを読み間違えた結果、間違った答えを出してしまった」ということになる。

 これは相場の考え方にちょっと似ていると思う。貼り付けた画像は円相場のチャートだが、世の中にはこうしたチャートだけを見て為替を売買し、きちんと利益を出す人がいるようなのだ。もちろん予想がはずれることもあるのだろうが、その時は「なぜ予想を読み違えたのか」を考えてチャートを見直すと、その答えはちゃんとチャートの中に隠されているのだと言う。結果を見てから後知恵の解釈をすれば、チャートは常に未来を正確に指し示している。

 結果を見てから後知恵の解釈をすれば、易占によって示された結果は常に正しい。これが「易は当たる」ということだと思う。

 その証拠となるものは、易の歴史の中に登場する占例のエピソードの中に何度も登場する。それは示されたひとつの卦に対して、複数の解釈が生まれるという事例だ。ある占問に対して、易者Aが何らかの解釈をする。易者Bはそれを間違いだと言って、理由を示しながら自分の解釈を告げる。結果としてBの解釈が当たり、Bはこれほどの名人だったという話に落ち着くのだ。

 これは同じ卦から複数の解釈が生まれ、ひとつは外れ、ひとつは当たったのだから、当たる確率は半々だ。しかしこの手の話は、「だから易は当たる」という実例として紹介される。外れる解釈があることより、そこに示された卦が、結果として正答を得ていたことが大事なのだ。

 というわけで、「易は必ず当たる」というのは事実だと思う。ただしそれは、「易は正しい解釈をすれば当たる」ということだし、外れたとしてもそれは「卦の解釈が間違っていた」だけだから「易が当たらない」ことの証拠にはならない。別の人が解釈すればそれは必ず正答を得ていたはずで、易に間違いはないのだ。

 まあバカバカしいしズルい話ではあるけれど、占いとしての易はこうした「無謬性」によって支えられ、何千年もの時を越えてきたのだと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

名古屋に引っ越してそろそろ1年

 東京から名古屋に引っ越して来て、そろそろ1年になる。

 一番心配していたのは子供が新しい環境に馴染むかだったのだが、子供は順応が早くてびっくり。今では名古屋弁(というほどでもないけど名古屋の地元の言葉)で喋っている。

 引っ越してくる前は「名古屋は車社会だから自動車がないと大変だよ」と言われていたのだが、住まいは最寄駅まで3分の距離。名古屋駅、栄、名古屋城、大須、金山など、名古屋の中心部には自転車で行ける距離だ。車がなくてもまったく困らない。電車や地下鉄が東京に比べると割高に感じるので、よほどの事がない限りは徒歩か自転車での移動だ。

 東京は土地の高低差があまりなくて自転車移動は楽だったのだが、名古屋の中心部はそれ以上に高低差がないように思う。道路もよく整備されていて自転車道が付いている道が多いし、街の中心部でも歩道脇に駐輪場が整備されている。

 引っ越して来た直後に「名古屋は日本で一番魅力のない都市」という調査結果が発表されたりしたのだが、暮らす場所としてはすごく良いと思う。でも観光地としては、やはりどうかなぁ……。

 僕は映画と本さえあれば生きていけるのだが、映画館は自転車で通える範囲にシネコンが数カ所あり、独立系の映画館もいくつかあるので、それほど困ることはない。ただ試写を観るのは難しい。業務試写がないわけではないのだが、東京ほど便利ではないのだ。新作映画を追いかける仕事は、名古屋では難しいと思う。一応「映画批評家」という仕事は続けるつもりだが、他の仕事の比重が大きくなると思う。

 本については、街の中心部まで行けばジュンク堂や丸善などの大型書店がいくつかある。でもたいていAmazonで買ってますけどね。まあこのへんは、東京にいた時とあまり変わらないかも。

 名古屋の印象を一言で言えば、「まだまだ伸びしろがある都市」というもの。東京だと新しい施設を建てるのに、既存の施設を取り壊してから新設する必要があるが、名古屋は中心部にもたくさん空き地があるし、使われていない古い建物も多い。

 東京の再開発は2020年のオリンピックがピークになるのではないだろうか。名古屋は2027年にリニアが開通するので、そのタイミングに焦点を合わせた開発が進んでいる。当面はやはり名古屋駅周辺だろう。既に駅周辺は急速に開発されて大型商業ビルが林立しているのだが、この動きが周辺の他の地域にも広がっていけば名古屋の風景は一変すると思う。

 名古屋の中心部と言えば栄なのだが、名古屋駅周辺の開発ラッシュで、最近はちょっと存在感が薄くなっているかもしれない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

イースターは「良いスタート」の日

 4月16日の日曜日はイースター(復活祭)だ。イースターは日本に絶対に定着しないと思っていたのだが、きゃりーぱみゅぱみゅの新譜「良すた」が出たので、ひょっとすると風向きが変わるのかも……と思い始めている。

 イースターが日本に定着しない理由は、以前ブログにも書いている。日付が毎年コロコロ変わること、日本では同時期に他の行事が多いこと、商業展開しようにも具体的な商材と結びつきにくいことなどだ。

 イースターは一番早ければ3月22日、遅ければ4月25日になる。これを確認するには教会歴のカレンダーが必要なのだが、既に何十年後までの日取りが既に明らかになっているので、イースターが日本でもポピュラーな行事として定着していけば、カレンダー屋や手帳屋が日取りを印刷してくれるようになるだろう。

 きゃりーぱみゅぱみゅの「良すた」はキリスト教の復活祭とはまったく何も関係ないのだが、この時期に「新しいスタート」を迎える人々に対する応援歌のような体裁になっている。「イースター」は「良(い)いスタート」なのだ。

 イースターの時期には日本に既存の行事がぎっしり詰まっているのだが、これらも結局はすべて「新しいスタート」や「一面の節目」を記念したり祝ったりするものが多い。卒業や卒園はひとつの季節が終わり、新しい何かを待望する時であり、新年度や新学期、入学、進級、就職などは、文字通りの新しいスタートにあたる。

 春の花見にしても、日本ではそれを「冬の終わり」ととらえ、桜の時期が終わって葉桜になればそれはもう「初夏」のはじまりになる。「イースター」を「良いスタート」に読み変えたのは、結構いい線なのではないだろうか。

 こうしたキリスト教行事の「読み変え」に違和感を持つ人もいるかもしれないが、伝統的なイースターの習俗にしても、イースターは「新しいスタート」の意味を含んでいたのだ。例えばイースターエッグは「命の誕生」を意味する物だし、イースターバニーは「多産の象徴」であり「新たな命」の芽生えの象徴だった。「イースター・パレード」は、もともとイースターの時期に服を新調した人たちが町を散歩するという習慣だ。これも「新しいスタート」と結びついている。

 「良すた」がこの季節の定番ソングになるかどうかは不明だが、イースターが日本で商業化されるとすれば、3月末から4月にかけての「新年度」「新生活」「新スタート」をひっくるめたものになるのかもしれない。それは必ずしも伝統的なイースター像とは離れていないと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記