【新刊】銀幕の中のキリスト教

 初の単著「銀幕の中のキリスト教」が、キリスト新聞社から発売になりました。16年前の編著「シネマの宗教美学」(フィルムアート社)と同じく、今回も「映画+キリスト教」がテーマです。

 版元が専門書の出版社なため、一般の書店では手に入りにくいかもしれません。Amazonでも入荷するとすぐ品切れになってしまいます。実店舗で手に取りたい場合は、全国のキリスト教書店(東京なら銀座の教文館、御茶の水のCLC、オアシス新宿西口店など)に並んでいると思います。教文館のネット通販でも購入できます。

山梨の美味しいもの

 山梨に帰省して食べるのは、ほうとう、鳥もつ煮、馬もつ煮、馬刺しなど。どれも美味いです。

 馬刺しは全国どこでも食べられそうだけど、スーパーの精肉コーナーに馬刺しがズラリと並んでいる風景は、少なくとも東京や名古屋では見たことがない。鳥もつ煮も山梨のは独特だし、馬もつ煮も山梨以外では食べたことない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

折りたたみ自転車の発掘

 山梨の実家の物置に長く放置していた、ミヤタの折りたたみ自転車「クリック・フォールディング・アクション1」を引っ張り出した。たぶん10年ぐらいは放置しているのだが、そのわりには保管状況が悪くない。

 サビの塊みたいになっていたらどうしようかと思ったが、チェーンがまったくさびていないのには驚いた。近くのサイクルベースあさひで輪行袋を買ってきたので、今回はこれを名古屋まで持ち帰って、近所の自転車屋で整備する。

 タイヤは空気が抜けてへたっているので、このまま使えるかどうかは微妙。チューブは当然交換することになるだろう。ブレーキケーブルは被覆が劣化しているので交換する。ライトやメーターも交換することになるだろう。シフターのケーブルは傷んでいないので、このまま使えるかもしれない。

 「折りたたみ自転車」ではあるのだが、この自転車は折りたたんでもさほど小さくならない。重さも15キロぐらいあるので、気軽に輪行するようなものではない。ただし折りたたむと駐輪面積が小さくなるので、僕は20年ほど前、これを「室内保管できる普段使いの自転車」として購入した。当時住んでいたマンションに駐輪場がなかったため、この自転車を玄関に押し込んでいたのだ。

 僕は既に折りたたみ自転車のBirdyを持っているので、この自転車は整備後に中学生の子供が使うことになると思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

本日もまた開店休業

 「新佃島・映画ジャーナル」も1年以上放置してますが、ライターとしての仕事も最近はさっぱりだし、いろんな意味で開店休業状態です。

 「キリスト教史の10大事件」は項目だけすでに考えてますが、今後は宗教改革とか、キリスト教の世俗化とリベラルとコンサバティブの分裂とかを取り上げようと思って放置状態です。困ったもんですね……。

 しばらく放置しているうちに、エディタの様子もだいぶ様変わりしてまごまごしてますが、まあ少しずつ、気が向いたときに更新していくことにします。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

キリスト教の10大事件(7)

 キリスト教がどうやって世界最大の宗教になったのかには、歴史上の多くの出来事が複雑に絡み合っています。

 そこでキリスト教の長い歴史の中から、「この出来事がなければキリスト教は存在しなかった」「このことがなければキリスト教は現在まで生き延びることができなかった」という重要項目を紹介したいと思います。

 細かく数え上げるときりがないので、思い切って10の出来事に絞り込んでみました。貧しい知識に基づく独断と偏見に満ちた選択ですので、異論もあるとは思いますが、そのへんは少し大目に見てください。

 なお僕自身はキリスト教徒ではありませんので、その点は誤解の無きようにお願いします。

7. カノッサの屈辱(11世紀)

 5世紀西ローマ帝国が衰退して滅びた後、一度は世俗権力の後ろ盾を失ったキリスト教でしたが、6〜7世紀にはゲルマン人王族たちが次々カトリックに改宗し、再びキリスト教は世俗権力の強大な後ろ盾を得ることになります。教会のパトロンになった世俗の権力者たちは、領内に聖堂や修道院を建てて教会に寄進するようになりました。

 領主が建てた聖堂や修道院は彼らの信仰心の証であり、教会という世俗を超えた権威への貢ぎ物です。しかしこうした聖堂や修道院の管理は、寄進者である領主の任命した聖職者や修道院長に委ねられるのが普通でした。権力者は自分の任命した教会の役職者を通じて、その地域の教会財産を管理し、教会の運営にも口を出すことができるようになったのです。

 地域の教会の大口スポンサーとなった王侯貴族は、自分の友人や親族に教会の要職を与え、その見返りに世俗の権力者たちも教会から何かと特別な便宜をはかってもらうになります。世俗権力と教会との、持ちつ持たれつの関係が出来上がるのです。

 こうした世俗権力との馴れ合いに、異を唱えたのが教皇グレゴリウス7世(在位:1073年〜1085年)でした。彼は聖職者の叙任権を教会が取り戻すべきだと考え、この主張に強く反抗する神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門しました(1076年)。宗教的権威を失ったハインリヒは、翌年1月、教皇の滞在するカノッサ城に赴き、城外で3日に渡って赦しを請うたのです。これが「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件です。このパフォーマンスが功を奏して、皇帝の破門は解かれることになりました。

 これは世俗の権威に対する教会の絶対優位性を象徴する事件ですが、この後も教皇と皇帝の対立は継続して混乱が続きました。しかしカノッサの事件から半世紀後には、叙任権については教会の権利とし、教会の財産権など世俗の経理については王が管理するという協定が結ばれます(ヴォルムス協約)。

 こうして聖なる権威を確立した教皇は、世俗の権力者たちに号令して、11世紀末からは聖地エルサレムに十字軍を派遣するに至るのです。

もしもカノッサの屈辱がなければ?

 世俗の権力者たちの保護下に存続していた教会組織が、世俗の権力者に従属する立場ではなく、むしろ世俗の権威を超えた上位の立場にあることを主張したのが叙任権闘争でした。カノッサの屈辱はその象徴的な事件ですが、こうした出来事を通して、20世紀まで続く「キリスト教のヨーロッパ」が確立したのです。

キリスト教の10大事件(6)

 キリスト教がどうやって世界最大の宗教になったのかには、歴史上の多くの出来事が複雑に絡み合っています。

 そこでキリスト教の長い歴史の中から、「この出来事がなければキリスト教は存在しなかった」「このことがなければキリスト教は現在まで生き延びることができなかった」という重要項目を紹介したいと思います。

 細かく数え上げるときりがないので、思い切って10の出来事に絞り込んでみました。貧しい知識に基づく独断と偏見に満ちた選択ですので、異論もあるとは思いますが、そのへんは少し大目に見てください。

 なお僕自身はキリスト教徒ではありませんので、その点は誤解の無きようにお願いします。

6. クローヴィスの改宗(5世紀)

 1世紀にパレスチナ地方で誕生したキリスト教は、4世紀にローマ帝国の国教という特権的な地位を得ることができました。ローマ帝国という強力な後ろ盾が出来たことで、キリスト教の将来は安泰だと誰もが思ったかもしれません。しかしそのローマ帝国自体は、かつての盤石な権力基盤を失いつつあったのです。

 キリスト教はテオドシウス帝によって392年に国教とされますが、皇帝が395年に亡くなると帝国は東西に分裂。東ローマ帝国はその後も15世紀まで生き延びますが、西ローマ帝国は480年に最後の皇帝ユリウス・ネポスが暗殺されて滅亡します。西ローマ帝国内のキリスト教は、こうしてローマ帝国と皇帝の庇護を失ったのです。西ローマ帝国の滅亡後に西ヨーロッパを支配したのは、ゲルマン人系の王族たちでした。

 北欧系のゲルマン人は紀元前から少しずつローマ帝国周辺部や内部に移住していたのですが、375年にフン族に圧迫された西ゴート族がヨーロッパ中心部への移住を開始し、ここから「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれる大量移住が開始されます。西ローマ帝国が弱体化した原因のひとつは、これらゲルマン民族との戦いによるものでした。

 西ローマ帝国が滅んだ後、現在のフランスからドイツにかけての広大な地域を支配したのは、ゲルマン系フランク族の王クローヴィス1世でした。当時ゲルマン系の人々の多くは、先祖伝来の北欧の神々を信じるか、ローマ帝国を追放されてゲルマン住民の間に布教が進んだアリウス派のキリスト教を信じていたようです。クローヴィスもアリウス派のキリスト教徒だったようですが、これは正統派のキリスト教から見れば、本来のキリスト教とは似て非なる異端宗教でしかありません。

 493年、クローヴィスはブルグント王国の王女クロティルダと結婚します。彼女は正統派のカトリック信徒として、夫がカトリックに改宗するよう熱心に働きかけます。その結果、496年にクローヴィスはカトリックに改宗し、ゲルマン系王族の中で最初のカトリック王になりました。

 クローヴィスの改宗を嚆矢として、ゲルマン系の王族たちは7世紀にかけて次々にカトリックに改宗。西ヨーロッパのキリスト教は、こうして再び世俗権力の後ろ盾を取り戻すことができたのです。西ヨーロッパにおけるカトリック教会の地位はローマ帝国時代以上に盤石なものとなり、これは15世紀の宗教改革まで続くこととなります。

もしもクローヴィスがカトリックに改宗しなければ?

 西ヨーロッパのキリスト教が消えることはなかったにせよ、ローマ教皇を中心とするカトリック教会の組織や権力は、今よりずっと小さなものになっていたはずです。現在のカトリック教会が世界中に10億を超える信徒を抱えるようになったのは、クローヴィスの改宗があったからです。

「シネマの宗教美学」から16年

 僕の名前で商業出版社から出ている本は、フィルムアート社の「シネマの宗教美学」が最初だった。

 これは複数のライターが参加している本なのだが、担当編集者が僕の「編著」として出してくれた。趣味的に自分で制作して販売している電子書籍を除くと、商業出版社から出ている紙の本で、僕の名前が大きく出ているのは今までこれ1冊きり。出版されたのは2003年だから、もう16年前になる。

 16年前に比べて、「映画とキリスト教」というニッチなテーマに関心を持つ日本人がどれだけ増えているだろう。「シネマの宗教美学」が出た当時は、世界同時多発テロの影響もあり、「文明の衝突」だの「一神教の排他性」だの「キリスト教文明の衰退」だのが言われていた時代だった。アメリカではジョージ・W・ブッシュが大統領になって、保守的な福音派の教会が社会的な注目を集めていた。

 そうした中では「キリスト教を理解すること」は「世界情勢を理解すること」だったし、映画はそのための格好のテキストになっていたのだ。

 「シネマの宗教美学」がそうした社会ニーズに応えられる本になっていたとは必ずしも思わないのだが、それでも当時の社会が「宗教」や『キリスト教」にそれなりの関心を持っていたことは事実だと思う。日本人も含めた世界の先進国が「世界はもうすっかり世俗化している。宗教など不要だ」と考えていたところに、イスラム過激派のテロが起き、アメリカではきわめて宗教的な大統領が軍隊の指揮を執るようになっていた。

 ではそれから16年たった今はどうなのか。世界は再び脱宗教化しているように見える。各地で宗教的な動乱がないわけではないが、一時は中東地域の広範囲を勢力下に置いたISはほぽ鎮圧された。世界は再び「経済」が動かすようになっている。アメリカとイラクの対立も宗教対立というより、石油利権を巡る経済的な対立なのではないだろうか。

 まあ大きな話はともかく、僕は人間が生きていく上での根源的な「苦しさ」を解消していくには、やはり宗教的な何かが役に立つことも多かろうと思っている。僕は現在の日本を見ていると、どことなく宗教化しているようにも思う。現在の日本は、合理性を超えた別の何かに、人々が突き動かされているのではないだろうか。

 それはきわめて単純に言ってしまえば、マンモン崇拝(拝金主義)ということなのかもしれない。人は神とマンモンの両方に仕えることはできない。その点、無宗教で神を持たない日本人は、もともと拝金主義と親和性が高かったのかもしれない。であればこそ、日本人は戦後あっという間に国際的な経済大国になりおおせることもできた。金儲けに対するタブーがなかったからだ。

 バブル崩壊後にマンモンの恩恵に見放された日本人は、自分から遠ざかっていくマンモンに媚びへつらうようにして、人間を祭壇の生贄に捧げるようになった。非正規労働者の増加がそれだ。日本人はそろそろマンモン崇拝から距離を置いたほうがいいような気がするのだが、だからといって今更信じるべき神もいないしなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

キリスト教の10大事件(5)

 キリスト教がどうやって世界最大の宗教になったのかには、歴史上の多くの出来事が複雑に絡み合っています。

 そこでキリスト教の長い歴史の中から、「この出来事がなければキリスト教は存在しなかった」「このことがなければキリスト教は現在まで生き延びることができなかった」という重要項目を紹介したいと思います。

 細かく数え上げるときりがないので、思い切って10の出来事に絞り込んでみました。貧しい知識に基づく独断と偏見に満ちた選択ですので、異論もあるとは思いますが、そのへんは少し大目に見てください。

 なお僕自身はキリスト教徒ではありませんので、その点は誤解の無きようにお願いします。

5. ローマ帝国による国教化(4世紀)

 キリスト教は誕生直後から、教団のリーダーたちが激しい弾圧の中で命を落とす宗教でした。そもそもまだ「キリスト教」なるものが誕生する前から、カリスマ的なリーダーだったイエスは十字架で処刑されているのです。その後に続く教会のリーダーたちも、多くが迫害の中で殉教しています。イエスの直弟子だった十二使徒たちも、異邦人の使徒パウロも、ほとんどが殉教したようです。キリスト教は社会の中で、常に周囲の多数派から迫害を受ける少数派であり弱者だったのです。

 にもかかわらず、キリスト教は信徒を増やして行きました。ローマ帝国各地に教会(信仰者の共同体)が作られ、性別や、民族や、社会的な身分に関わりなく、イエス・キリストを信じる人が増え続けたのです。

 ローマ帝国内ではキリスト教に反発する人たちが教会を弾圧し、時にはローマ皇帝自らがキリスト教徒の取り締まりを命じることもありました。その多くは場当たり的で気まぐれなものでしたが、4世紀初頭にはディオクレティアヌス帝がキリスト教の大規模な弾圧を行って、教会は徹底的に痛めつけられました。しかしそれでも、キリスト教は消えません。

 西暦313年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世はミラノ勅令を発して、キリスト教をローマ帝国公認の宗教に改めました。キリスト教への弾圧を取りやめ、それまでとは逆に、キリスト教を保護することにしたのです。この時代にはキリスト教徒が社会のあらゆる階層に存在し、それらをいちいち排除していては、国家の運営が成り立たなかったのです。コンスタンティヌス帝の母もキリスト教徒であり、この勅令を発した時には皇帝自身もキリスト教徒になっていたという説があります。

 西暦325年、コンスタンティヌス帝は帝国内の主要の教会からリーダーたちを小アジアのニカイアに集め、キリスト教の基本的な教義を統一するための会議を開きます(第1ニカイア公会議)。ここでは三位一体の教義を正統とし、これと異なる主張をしていたアリウスとその同調者たちは異端とされました。

 このように教会内で会議によって教義の正統性を議論し、相容れない説を異端として排除するところにキリスト教の特徴があります。教会のリーダーたちが集う公会議は、その後も教会内で教義を巡る論争が起きるたびに召集され、この中でキリスト教の基本教義が確立していったのです。

 コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した後も、ローマ帝国は様々な宗教が雑多に混じり合う多神教社会でした。しかしキリスト教以外の宗教は国家の行事から徐々に閉め出され、4世紀の終わりには、とうとうキリスト教以外の宗教がすべて禁じられるに至ります。4世紀初頭にローマ帝国から大弾圧を受けて多くの殉教者を出した宗教が、百年たたないうちにそのローマ帝国で唯一の公認宗教になったのは、まさに歴史の大逆転でした。

もしもローマ帝国がキリスト教を国教にしなければ?

 この時代の他の宗教が今ではほとんど消えてしまったのと同じように、キリスト教も消えてしまったかもしれません。国家の庇護がなければ公会議で教義を統一することも出来ず、仮にキリスト教が生き延びたとしても、今とはまるで似ても似つかぬものになっていたはずです。

キリスト教の10大事件(4)

 キリスト教がどうやって世界最大の宗教になったのかには、歴史上の多くの出来事が複雑に絡み合っています。

 そこでキリスト教の長い歴史の中から、「この出来事がなければキリスト教は存在しなかった」「このことがなければキリスト教は現在まで生き延びることができなかった」という重要項目を紹介したいと思います。

 細かく数え上げるときりがないので、思い切って10の出来事に絞り込んでみました。貧しい知識に基づく独断と偏見に満ちた選択ですので、異論もあるとは思いますが、そのへんは少し大目に見てください。

 なお僕自身はキリスト教徒ではありませんので、その点は誤解の無きようにお願いします。

4. 新約聖書の成立(2世紀)

 キリスト教徒にとって、聖書はなくてはならない存在です。「うちは仏教です」という家に仏典(お経)があるとは限りませんが、「うちはキリスト教です」という家には、まず間違いなく聖書が何冊かあるでしょう。キリスト教徒にとって、聖書こそが信仰生活の中心なのです。これはプロテスタントでもカトリックでも、基本的には変わりません。

 聖書は旧約聖書と新約聖書で構成されています。旧約は旧い契約、新約は新しい契約という意味です。内容をごく大ざっぱに言えば、天地創造からイエス・キリスト以前までの人間と神の関わりが旧約聖書に、イエス・キリスト誕生後のことは新約聖書に書かれています。

 聖書は一度に出来上がったものではありません。旧約聖書はキリスト教以前からあったユダヤ教の経典で、紀元前5世紀頃から編纂が始まったようです。新約聖書は1世紀以降に各文書の執筆が開始され、2世紀には現在収録されている各文書が成立しています。そして2世紀の終わり頃には、新約聖書も旧約聖書と同等の権威を持つ文書として、キリスト教会の中で用いられるようになっていました。

 なぜキリスト教の中で、新約聖書が作られたのでしょうか。初代教会の人たちにとって、聖書といえばユダヤ教の聖書(旧約聖書)しかありませんでした。初代教会の人々はその権威をもとにして生前のイエス・キリストやその教えについて語り、各地で説教をして多くの信者を獲得していきます。最初のキリスト教は、人々の口と耳を通して広まっていったのです。

 しかしキリスト教が広まっていく中で、教会のリーダーたちが各地の教会に書き送った手紙が回覧されたり、書き写されて他の教会でも読まれたりするようになりました。これが新約聖書の原型になります。新約聖書には27の文書が収められていますが、その中でも最初に書かれたのは、異邦人への伝道者パウロが、親しい知人や各地の教会に書き送った手紙でした。新約聖書の大半は、こうした手紙類です。

 新約聖書には他にも、イエスの宣教活動を記した福音書や、初代教会の歩みを記した使徒言行録(使徒行伝)、預言書である黙示録が収録されています。これらの文書が書かれた1〜2世紀には、教会内で他にも多くの文書が書かれています。しかし教会の人々が時間をかけて少しずつ権威ある書物とそうでない書物をふるい分け、最終的に現在の27文書が新約聖書の正典として残ったのです。

 キリスト教の特徴は、あらゆる物事を聖書にひも付けて考えることです。初代教会の信徒たちは、旧約聖書に書かれていることを根拠にして、復活したイエスがキリストだと主張しました。新約聖書が成立した後は、そこに書かれていることを根拠にして、教会が神の教えを説いています。聖書に特定の根拠を持たない教えもありますが、そうした教えを説く教会や聖職者の権威は聖書を根拠にしているのですから、やはり聖書なしにキリスト教は存在しないのです。

もしも新約聖書がなかったら?

 最初のキリスト教は、新約聖書なしに成立しています。しかし2世紀以降のキリスト教に、新約聖書は必要不可欠なものです。

キリスト教の10大事件(3)

 キリスト教がどうやって世界最大の宗教になったのかには、歴史上の多くの出来事が複雑に絡み合っています。

 そこでキリスト教の長い歴史の中から、「この出来事がなければキリスト教は存在しなかった」「このことがなければキリスト教は現在まで生き延びることができなかった」という重要項目を紹介したいと思います。

 細かく数え上げるときりがないので、思い切って10の出来事に絞り込んでみました。貧しい知識に基づく独断と偏見に満ちた選択ですので、異論もあるとは思いますが、そのへんは少し大目に見てください。

 なお僕自身はキリスト教徒ではありませんので、その点は誤解の無きようにお願いします。

3. パウロの異邦人伝道(1世紀中旬)

 キリスト教は1世紀に、当時のユダヤ教の中から生まれた宗教です。イエス自身もユダヤ人の巡回説教師でしたし、直接の弟子たちもすべてユダヤ教徒でした。しかし現在のキリスト教は、ユダヤ教とは別の独立した宗教になっています。ユダヤ人たちが立ち上げた初代教会の教えを、ユダヤ教徒以外の人々にも広め、後のキリスト教への道を切り開いたのがパウロです。

 パウロはもともと、サウロと名乗っていました。小アジアのタルソス(現在のトルコのタルスス)出身で、熱心なユダヤ教信者として初代教会の人々を迫害していたといいます。しかし彼は復活したキリストに出会うという神秘体験を経て、キリスト教の信者に転向したのです。サウロはこの劇的な回心以降、パウロというギリシャ風の名前で熱心な伝道活動を行うようになりました。パウロは初代教会の本拠地があったエルサレムを避けるように、ユダヤ周辺地域のユダヤ人や非ユダヤ人(異邦人)たちにキリストの教えを伝えていきます。

 この当時、多神教社会だったローマ帝国内で、一神教のユダヤ教に興味を持つ非ユダヤ人は少なくなかったようです。しかしユダヤ人には独特の文化があります。モーセを通して神から与えられたとされる律法が、ユダヤ人の生活すべてを事細かく規定し、ユダヤ教徒になるためには律法のすべてを受け入れなければならないとされていたのです。非ユダヤ人にとって特に大きな障害になっていたのは、ユダヤ教徒になるには割礼(ペニスの包皮の一部を切り取る儀式)を受けなければならないという規定でした。

 これは信徒のほとんどがユダヤ人だった初代教会でも同じです。このため初代教会の教えに興味を持ち、イエス・キリストを信じたいと思いながら、教会の正式メンバーになれない人たちが少なくなかったのです。ユダヤ人キリスト教徒たちは、それを「神を畏れる人」と呼んでいました。神を信じてはいるが、正式なメンバーではない人たちです。

 パウロはこうした人たちに向けて、「神を信じる非ユダヤ人が、ユダヤ式の生活習慣を受け入れる必要はない」と宣言したのです。パウロによれば、神がモーセを通してユダヤ人に対して与えた律法は、イエス・キリストの死と復活を通して無効になりました。人間はモーセの律法を守ることではなく、イエス・キリストへの信仰を通して神とつながることができるのです。異教の生活習慣に馴染んだ非ユダヤ人たちは、今現在の生活を基本的には何も変えることなく、ただイエス・キリストを信じることでキリスト教の共同体に受け入れられます。

 こうしたパウロの主張は、初代教会で多数派だったユダヤ人キリスト教徒たちに、すぐに受け入れられたわけではありません。パウロの説く教えに反対し、イエス・キリストを信じるためにはユダヤ教徒と同じように律法を守ることが必要だと考える人たちも多かったのです。初代教会は発足から十数年で、深刻な分裂の危機を迎えます。もしここで教会が分裂していたら、その後のキリスト教は存在しなかったでしょう。

 しかし批判を受けながらもエルサレム教会を尊重し続けたパウロと、非ユダヤ人に対するパウロの布教活動に理解を示すエルサレム教会の幹部グループの努力で、教会の分裂はかろうじて回避されました。初代教会は非ユダヤ人の信者の負担にならない最低限のルールだけを残し、その他の律法について、非ユダヤ人は守る必要がないと決めたのです。この決定によって、初代教会の中に従来からのユダヤ教的なキリスト教と、非ユダヤ人たちのキリスト教が共存することになりました。キリスト教はローマの習慣や異教的要素を取り込みながら、多様化していくことになります。

 初代教会の中ではその後もエルサレムのユダヤ人教会が指導的な立場にあり、ユダヤ的なキリスト教が全体の主流でした。しかし西暦70年のユダヤ戦争をきっかけに、エルサレム教会の指導力は急速に衰えます。2世紀初頭の第2次ユダヤ戦争でエルサレムへのユダヤ人立ち入りが禁じられると、初代教会の流れをくむエルサレム教会は歴史の闇の中に消えてしまいます。ユダヤ的なキリスト教は消滅し、パウロが正当性を主張し、伝道に力を入れた非ユダヤ的なキリスト教が、その後のキリスト教の主流になったのです。

 現在エルサレムには、初代教会の流れをくむ正教会のエルサレム総主教庁があります。しかしこれはユダヤ戦争の後に再建された教会です。

もしもパウロの異邦人伝道がなかったら?

 キリスト教はユダヤ教に吸収されて消えてしまったはずです。