富岡八幡宮での事件は悲しい

 深川の富岡八幡宮で、宮司家族間の凄惨な殺人事件が起きた。最初は通り魔事件のような報道で、「深川で通り魔事件とは、川俣軍司の再来か」と思ったのだがそうではなかった。

 僕は母親の実家が深川から隅田川をはさんだ中央区新川で、ここはなぜか昔から、富岡八幡宮の氏子として深川祭りに参加している。僕も子ども時代から何度もお祭りに参加しているし、3年に1度の本祭りでは神輿を担ぐこともある。

 新川は独身時代に数年間住んでいたこともあるが、当時は近所にスーパーなどもなく、買物と言えば川を渡って門前仲町まで出かけていた。その後錦糸町や亀戸に引っ越したあとも、深川はときどき出かける場所だったし、富岡八幡宮も深川に出かければお参りする散歩コース。要するに昔からつい最近まで慣れ親しんだ場所なので、今回の事件には驚かされたのだ。

 富岡八幡宮が神社本庁から抜けたという話はネットニュースか何かで読んでいたが、今回の事件にはそうした神社運営の問題も背景にあるらしい。神社本庁は最近右傾化しているという話もあり、都内の有力神社である富岡八幡宮がそこから抜けたのはちょっと痛快だと思っていた。

 そもそも富岡八幡宮の氏子には、八幡様が神社本庁の帰属であるかどうかを気にする人はほとんどいなかったと思う。江戸時代創設の神社は深川の人たちにとって、「我が町の八幡様」「我らの八幡様」であったからだ。

 富岡八幡宮が今後どうなるのかはわからないが、おそらく殺された宮司の子供が後を継ぐか、親戚筋から新しい宮司を選ぶことになるだろう。深川祭りでがっちりまとまる強固な氏子組織と財政基盤があるので、これでどうにかなってしまうようなものではないはずだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

イーチンタロットの活用法

 個人的には「易占には使わないなぁ」と考えているイーチンタロットだが、これを買って良かったことがひとつある。それは大成卦64種類を覚えるための「暗記用カード」として活用したことだ。

 趣味にしろ実占家として商売をはじめるにしろ、周易の場合はまず六十四卦とそのおおよその意味を全部覚えてしまわなければならない。このハードルがかなり高いのだ。(タロットの78枚よりは簡単かもしれないけどね。)そこでイーチンタロットを使ってみた。

 カードをよく混ぜて1枚ずつめくり、出てくる卦象から卦名を当てる。当てられたものは右に積み、わからなかったものは左側に摘む。左側のカードの山は易経関連の本を見て卦名を確認し、再度それだけをシャッフルして再度1枚ずつ卦名を当てるようにする。これを一通り、カードの山がすべてなくなるまで続ける。

 ただしイーチンタロットでこれを何度かやっていると、卦象ではなくカードの絵柄を手掛かりに卦名を当てるようになる。陽爻や陰爻という抽象的な記号の組み合わせより、イーチンタロットに描かれている具体的な絵柄の方が情報量が多いからだ。それでもとりあえず、カードそれぞれに書かれている卦象の名前がすべて言い当てられるというのは大事だと思う。

 僕はこれで六十四卦すべてについて、卦象があればそこから卦名を言い当てられるようにはなった。ただしイーチンタロットが使えるのはここまで。

 次はこの逆に、卦名から卦象をすぐに思い浮かべられるようにならねばならない。(これはわりと簡単かも。)さらに次の段階は、六十四卦の順序や割り当てられている順序を覚えること。さらに先には、易経の卦辞と爻辞の意味を暗記するというのがあるわけだが、これが一番の難関かなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

イーチン・タロットを入手した

 易占用のイーチン・タロットを、いくつか購入してみた。イーチンというのは英語で易経のこと。イーチン・タロットは別名が易占カード、易タロット、イーチン・カード、イーチン・オラクル・カードなどとも呼ばれているが、要するに易経の六十四卦を64枚のカードにしたものだ。

 タロットと呼ばれていても、これは西洋のタロットカードとはまったく別のもの。「カード占い=タロット」というネーミングなのだろう。タロットカードや最近流行しているルノルマン・カードには伝統的な絵柄というものがあるのだが、イーチン・タロットにはそうしたものがない。さまざまなメーカーが、独自の絵柄を提案しているのが面白いと言えば面白い。

 共通しているのは六十四卦の象(陰陽6本の爻で構成されている大成卦の形)と、六十四卦のそれぞれに該当する数字(乾が1で未済が64になる)が印刷されていることだろうか。

 このイーチン・タロットを実際の易占に使用する方法だが、これも確定した占い方というのはないようだ。変爻は用いず卦辞しか見ないと書かれている本や解説がある一方で、イーチン・タロットに同封してある簡易解説書に各爻に該当する簡単な説明が書かれているものもある。

 とりあえず1枚引きだけでも、簡単な占いはできる。爻辞も占いに使いたいなら、1枚引きとサイコロを併用すればいい。本卦と之卦を出したいなら、カードを2枚引けばいいだけだ。これで2枚のカードの差分を見れば、変爻も割り出すことができる。

(ただしこの変爻にどの程度の意味があるのかは不明だ。カード2枚引きだと筮竹や擲銭法、サイコロなどでは出てくる「無変爻」がなくなってしまうわけで、これだけでもカード2枚引きが中筮法の代替策にならないことがわかる。)

 映画『ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。』は冒頭にイーチン・タロットで実際に占いをする場面が出てくるが、登場するのは龍羽ワタナベさんという台湾で活躍中の日本人占い師と、彼女がプロデュースしたオリジナルの易占カード。映画を観る限りでは、カードを並べて2枚引きにしているようだ。(このカードも通販で購入できるのだが、僕はまだ持っていない。)

 僕が手に入れたイーチン・タロットはすべてAmazonで購入したのだが、カードを何種類か手に入れて触ってみた結果、自分としてはこれを使わないだろうなぁ……という結論に達しつつある。理由は面白味に欠けるからだ。

 どのような占筮法を取るにしろ、カードの山から特定のカードを引っこ抜いてきてそこに書かれている数字と易経の該当ページを見比べるという方法は変わらない。これがあまりにも簡便すぎてつまらない。また描かれている絵柄が自分の卦の解釈とうまくマッチングしないと、それも使いづらいカードになってしまう。中には易経と照らし合わせても、なぜそんな絵柄になるのか意味不明の時がある。

 こうしたカードは易占に初めて触れる人には親しみやすいかもしれない。つまりまったくのアマチュアには向いているのだ。またプロの占い師も、素早く結論が出るという意味で使う意味があると思う。映画『ママダメ』のように対面で占いをする場合などは、算木を並べたり紙にボールペンで線を引くより、きれいな絵柄の描かれたカードの方がイメージを喚起してくれるという意味もあるだろう。

 でも僕のように「趣味の易占」を楽しんでいるなら、イーチン・タロットは中途半端すぎる。絵は卦象の持つ豊富な情報を、一定の方向に狭めてしまうデメリットもある。というわけで僕はまたサイコロに戻ると思うのだが、他人に「わたしの運勢を占って!」などとお願いされれば、易占タロットも悪くないのかなぁ……と思っている。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

「左ききのエレン」を一気読み

 ネットで話題になっていた「左ききのエレン」を10巻分一気読みしてしまった。

 絵はドヘタで、小学生の落書きレベル。しかしとにかくキャラとストーリーが強烈で、ぐいぐいと読ませてしまう。マンガを読んでいて鳥肌が立つような熱い感動なんて何年もしたことがなかったけれど、このマンガにはそれがある。

 主人公の朝倉は広告代理店のデザイナーで、物語の中では彼の高校時代から、数年後にアートディレクターになるまでの足かけ十数年を扱っている。

 何となく絵が上手くて、絵を描くのが好きで、絵に関わる仕事に就きたくてデザイナーを目指して、美大に入って、大手広告代理店のクリエイティブに就職することに成功して……。

 時代が違い、経路は違うけれど、僕も似たような高校生だったし、新米のデザイナーだったから、ここに描かれている世界のことはよくわかる。(ちなみに僕が就職したのは1980年代の終わり頃。「左ききのエレン」とは20年ぐらいの時代差がある。)

 広告の世界は「クリエイティブな世界」で、広告に関わっているデザイナーやコピーライターは「クリエイター」と呼ばれる。しかし広告業界のクリエイターは、アーティストではない。出資者である企業の要請を受けて、出資企業の望む表現の範囲内で何かしらを提案して実現し、対価を得るのが仕事だ。

 広告のクリエイターは、企業広告の裏側にいる黒子であって、一般の人には名前も知られない存在。しかしその中で、クリエイターは自分の表現のために命を削るような仕事をしている。その奮闘ぶりが、泥臭く、汗臭く、しかしリアルに、現実以上にドラマチックに描かれているのが、このマンガなのだ。

 「左ききのエレン」に登場するが現実には滅多にいないのが、この作品のテーマにもなっている「天才」という人種だ。主人公の朝倉は、自分自身に才能が無いことを思い知らされ、天才たちに対して嫉妬する。しかし僕は「自分に才能が無い」ことはすぐにわかったが、嫉妬すべき天才には出会わないまま現在に至っている。

 センスのある人、仕事のできる人、自信過剰な人、鼻持ちならない人、いろんな個性に出会ってきたけれど、「こいつは天才だ。人種が違う!」というような人には会わなかった。もっともこれは、才能の片鱗すらない者には天才と凡才を見分ける力すらない、ということなのかもしれないけれど。

 「左ききのエレン」は、本物の天才に出会ってしまった人の、幸福と不幸を描いた作品だ。映画で言えば『アマデウス』がちょうど同じテーマを扱っている。主人公の朝倉は、『アマデウス』の中のサリエリの役回りだ。しかしこのマンガは『アマデウス』以上に、このテーマを掘り下げていく。

 この作品に登場する文句なしの天才はエレンだが、彼女は天才であるがゆえに幸福になれない人間として描かれる。ただし凡人である朝倉のキャラクターに比べると、エレンのキャラクターは浅いような気もする。天才というのは一種の「欠陥人間」であり、人並みの幸福(凡人の幸福)を味わうことができないのだ。でもこうした「天才の不幸」の描き方自体が、なんだか紋切り型のような気もするけどね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

日本国憲法はここを改正すべし!

 先日の衆院選挙の結果を受けて憲法改正の議論がまた起こっているのだが、僕自身は今この時に何が何でも改正する必要はないと思っている。

 それでもどうしても改正したいなら、憲法9条など議論が割れそうな部分ではなく、もっとソフトな部分で改正してはどうだろう。例えば憲法条文の言葉づかいを、すべて「新字新かな」に改めるのだ。

 現在の日本国憲法は、公式文書がすべて「文語文」の時代に作られた「口語文」の公文書だ。口語の文公文書があまりない時代だったし、漢字や仮名づかいも今とは違っているので、条文を細かく見ていくとあちこちに時代遅れの古びた表現が出てくる。

 例えば憲法前文はこうなっている。

 日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由のもたらす惠澤を確保し、政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主權が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、專制と隷從、壓迫と偏狹を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と缺乏から免かれ、平和のうちに生存する權利を有することを確認する。

 われらは、いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならないのであつて、政治道德の法則は、普遍的なものであり、この法則に從ふことは、自國の主權を維持し、他國と對等關係に立たうとする各國の責務であると信ずる。

 日本國民は、國家の名譽にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 ほとんどの憲法解説書でここにある「正字」(漢字の旧字体)は新字に改められているが、それでも仮名づかいについては改められずにそのままになっているはずだ。その結果、現在の日本の出版物ではまず見られない次のような表記が見られる。

  • わたつて(憲法原文)→わたって(新かな)
  • よつて(憲法原文)→よって(新かな)
  • やうに(憲法原文)→ように(新かな)
  • あつて(憲法原文に3ヶ所)→あって(新かな)
  • ゐる(憲法原文)→いる(新かな)
  • 思ふ(憲法原文)→思う(新かな)
  • いづれの(憲法原文)→いずれの(新かな)
  • 從ふ(憲法原文)→従う(新字・新かな)
  • 立たう(憲法原文)→立とう(新かな)
  • 誓ふ(憲法原文)→誓う(新かな)

 今どき「ゐ」なんて読めるか? 一応ひらがなだけど、そのへんの小学生や中学生がこの文字を読めるとは思えない。

 こうした表記は他の条文にも山のようにあるわけだが、まずこれを全部、新字と新かなに改めるのだ。条文の意味はまったく変わらないし、中学生にも読める漢字とかなになるだけだ。

 憲法は国民が国家権力を縛る特別な法律だ。だとしたら、せめてこれだけでも国民すべてが自分の言葉で読めるようにしておくべきだろう。現憲法の一番の問題は、GHQの押しつけだったとか、理想的すぎるとか、そういう問題ではない。18歳で選挙権を持つ高校生が、改正の国民投票に参加する国民のすべてが、そもそも素直に読めない文字遣いで書かれていることが問題なのだ。

 いわゆる「護憲派」の中には、憲法を一言一句でも改正してしまえば、それが蟻の一穴になってなし崩しに憲法改正が進んでしまうと考えている人もいる。そうした人は、「憲法を新字新かなに」という主張に対しても「とんでもない!」と反対するかもしれない。

 しかし「立憲主義」の立場からすれば、国家を縛る憲法の条文が国民に読みにくくなっていることの方がよほど問題であるはずだ。だからまず、憲法を新字新かなにすればいい。その後、悪文のきわみである憲法の各条文を解きほぐし、リライトしていく必要もあるだろう。しかしそれは、また後の話だ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

イーチン・タロットについて

 ルノルマン・カードについて書いたので、僕がアマゾンで探していた本来の目的であるイーチン・タロットについても書いておく。

 イーチンとは「易経」のこと。イーチン・タロットは易経に示された六十四卦を、64枚のカードに印刷した易占用のカードだ。

 易占では本来、筮竹(ぜいちく)という木や竹の棒を使って占いをする。筮竹は長さ30センチぐいの細長い棒が50本セットになっているもので、これを手の中でジャラジャラとさばき、左右にパッと二分して、左手に持っている棒の数を数える。これを何度か繰り返して、ひとつの卦を出すわけだ。

 しかしこれは面倒くさいので、古くからコインを使ったり、サイコロを使ったりして卦を出す方法が考案されてきた。例えば僕は、普段はサイコロを使って易占を行っている。八面体のサイコロひとつで、本格的な易占ができるのだ。

 易占は64種類の卦から何かひとつを選び出し、その意味を読み解いていくという占い。だから1から64までの数字が印刷されたカードをシャッフルして、そこから1枚だけ選び出しても占いはできる。そのための専用カードがイーチン・タロットで、国内外でたくさんの種類が発売されていて、Amazonなどの通販サイトを介して簡単に入手することができる。

 僕も何か買ってみようと思ったのだが、さんざん悩んだ末に注文したのは左の写真のカード。スペイン語版らしいのだが、これを選んだ理由は、卦名が漢字で印字されているカードの中では、これが一番安価だったこと。あとのことは、実際にカードが届いてからでないと判断できないな……。

 易占は「易経」というテキストにもとづく占いでビジュアルイメージが乏しいので、イーチン・タロットでその弱点を補うことは、易占の勉強にも役立つのではないかと思っている。

 イーチン・タロットは他にもたくさん売られているのだが、タロットやルノルマン・カードに比べるとやはりマイナー商品らしく、種類も少ないし値段もちょっとお高いと思う。まあYahoo!知恵袋などを見ても、「タロットで占ってください」「ルノルマンカードの解釈を教えてください」という相談は山ほどあっても、易占関連の質問は少ないしね。

 占いには「命」「卜」「相」がある。「命」は持って生まれた運命のことで、生年月日を使って占う占星術などが代表例。「相」はその場に現れている形をもとにした占いで、手相や人相、家相や風水、姓名判断などがそれにあたる。僕は「命」と「相」については、まったく信じていないし、あまり役に立たないと思っている。

 易占やタロット、ルノルマンなどは、占いでいえば「卜」になる。そのとき偶然示された数字、象徴、言葉などもをもとにして、今現在の状態を解釈し、将来を見通すものだ。これは当事者が見落としている視点に気づかせてくれるという点では、「命」や「相」より役に立つんじゃないだろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

秘密のルノルマン・オラクル

 Amazonで易占用のカード(イーチン・タロット)を探していたのだが、こんなものが見つかったので注文してみた。最近流行しはじめているルノルマンカードと解説書のセットだ。著者は鏡リュウジ。

 ルノルマンカードはフランス革命の時期にカード占いで評判を呼んだ実在の占い師、マダム・ルノルマンが使っていたカード……という触れ込みで販売されているカードセットだ。

 しかし実際のところ、マダム・ルノルマンがどんなカードを使っていたかはわかっておらず、これはルノルマンの死後に占術用のカードメーカーが販売したセットが原型になっているらしい。(占術に何かといわくありげなエピソードを付加して権威付けるのは、易占やタロットの場合もまったく同じだ。)

 カードは全部で36枚で1セット。(本書附属のセットは紳士と淑女のカードに1枚ずつ予備が入った38枚セット。)カードの1枚ずつにはそれぞれのカードを示す1〜36までの数字と、そのカードが象徴する図案、そのカードに該当するトランプのカードが書かれている。

 このトランプの図案はどう使用するのか謎で、解説書を読んでも使用法は書かれていない。最初に市販されたカードにあった図案が、そのまま伝統の図案として残っているようで、市販されているカードの中にはトランプを省略したものもある。

 左の写真は僕がこの本の購入直後に、やはりAmazonで注文して入手したカードだが、これはトランプの図案の代わりにカードの解説が英語で書かれている。ルノルマンカードで占いをするには、これでも一向に構わないのだ。

 カードが36枚というのは、占術用のカードとしては数が少ない方だ。タロットは全部で78枚だから、枚数としてはその半分。タロットは正位置と逆位置で意味が変わるので、全部で156通りの意味を覚えなければならないが、ルノルマンカードは36枚だけ覚えればいい。カード占いとしては歴史が浅いので解釈もまだ固まりきっておらず、伝統的な一般的解釈の他に、絵柄から連想したイメージを自由に読み解く余地がまだまだ残っている。

 僕自身は占いの神秘性などはまったく信じていないのだが、占いには「当事者には気づかない第三者の視点を与えてくれる」という役割があると思っている。何事かについてカードに意見を求めると(別にカードに人格を認めているわけではない)、カードがその時々の巡り合わせで何らかの図柄や言葉、キーワードを指し示す。占問者はそのそこに出された「答え」と自分自身の「問い」を関連付けて解釈し、自分の問うていた事柄に、自分では気づいていなかった新しい意味を見出したり、自分が見落としていた視点を発見したりすることができる。

 占いは未来予知ではないし、隠れていた秘密を暴き出す神秘の力もない。しかし目の前の事柄に、何からの新しい光をあててくれるツールではある。ルノルマン・カードはそんな占いの素朴な力を、いかにも素朴な形で示してくれるものだと思う。

 なおイーチン・タロットも別途注文済みなので、これが届いたら僕は易占に戻ると思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

今日は15分だけ家事をする

 洗濯は全自動洗濯乾燥機がやってくれるのだが、乾燥し終えた衣類をたたむ仕事は人間がやらねばならない。ところがこれが面倒で、ベッドの上には乾燥した衣類が山積みになっている……。

 というわけで、今日はタイマーを15分にセットして、15分だけ集中して洗濯物の山を片付けることにした。「これを全部片づけよう」と思うともうウンザリしてしまうので、何があっても15分で作業を打ち切る。

 15分だけ、何も考えずに一心不乱に衣類の山と格闘する。これで今日は衣類の山が半分になったので、明日も15分やればだいたい片付くに違いない。(まあ明日は明日で新たな衣類の山が生じるわけだけど……。)

 仕事を「量」で見ないで「時間」で見るというのは、毎日の家事に追われる身としては新しい発見だった。明日も15分だけ家事をしよう。

 もちろん家事の中には、「量」で片付けるしかないものも多い。料理などは「15分たったから」という理由で途中で投げ出すわけには行かない。でも掃除はどうだろう。部屋中全部に掃除機をかけねば!と張り切らずに、とりあえず15分だけ、あるいは10分だけ掃除機をかけてみる。

 まあ10分あると、結構あちこち掃除できちゃうんですけどね。普段はあまり意識しないけど、10分とか15分というのは、じつは結構いろんなことができる時間なのです。

 こういう細かな時間を計るには、携帯型のタイマーが便利。僕は首から下げられるキッチンタイマーを数年前から使っているし、ポケットに入れて使うバイブレーション式タイマーも持っている。腕時計のアラーム機能も使えるかも。台所からキッチンタイマーを持ちだしてもいい。

 家事が苦手、家事が億劫だと感じている人は、とりあえず試してみることをお勧めします。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

観光は物見遊山ではない

 国会議員や地方議員が、議会閉会中に税金を使って海外旅行に出かけることがある。外遊とか海外視察と呼ばれるわけだが、これに対しては「単なる観光旅行では?」という批判も多い。

 でも僕は「観光旅行でもいいんじゃないの?」と思ったりする。一度も海外に出たことが無い人よりは、観光旅行であっても海外に出たことがある人の方が見聞を広められる可能性がある。

 (もちろんこれは可能性であって、海外に行っても何も見ず、何も聞かず、何も感じない人も多いとは思うけどね。)

 そもそも「観光」というのは、そう悪い意味の言葉ではなかった。これは「易経」の中の観卦の爻辞で、「外国に賓客として招かれ、その国の威光を仰ぎ見る」という意味。その土地の人々の暮らしぶりを見て、その土地で行われている政治のありようをつぶさに観察する。それが「観光」というものなのだ。

 僕は国内旅行でも海外旅行でも、それぞれの土地で地元ローカルテレビ局の放送を見たり、地元ローカル新聞の記事を読んだり(外国だと読めないけど)、地元の生鮮スーパーに出かけて商品の棚を見て歩くのが大好き。

 日本は最近どこにでかけても、駅前に高層ビルが建ち並ぶ似たような風景になっているようにも見える。でもテレビや新聞を見て、スーパーの棚の間を歩けば、そこにはそれぞれの土地に固有の暮らしがちゃんとあることがわかる。

 風光明媚な(いわゆる)観光地に出かけなくても、その土地を味わうことはできると思うけどね……。

 というわけで、三連休は家族で札幌に観光旅行。4月にも一度行っているのに、どういうわけか年に2回も札幌市内見物。まあこれはこれで楽しいもんです。春と秋の札幌には出かけたから、次は真夏とか真冬の札幌も見てみたかったりして。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

小林三剛の「易経」を購入

 少し前から気になっていた、小林三剛の「易経」を購入した。(写真の左側。右は角川ソフィア文庫版の「易経」。)

 Amazonには「易経―文語訳 (東洋医学講座) 」という品名で出品されているが、これ自体は東洋医学とはまったく関係ない。著者の小林三剛は占術の専門家として、易占の他にも干支占いや名付けなどの本を多数著しており、その一方で東洋医学(鍼灸)の専門家としての顔も持っていたようだ。

 本書は昭和59年に自然社から出された「易経」の第5版だが、発行所は有限会社宝栄企画になっている。自然社と宝栄企画の関係は不明。この本の中には、そのことについての説明は一切書かれていない。

 肝心の中身だが、「易経」の中から六十四卦にまつわる本文の読み下し文(漢文訓読体の文語訳)と、象意説明だけが記載されている。原文は未掲載。易経や易占についての説明も一切ない。十翼の中では彖伝と象伝が卦辞や爻辞に付随して訳されているが、乾卦と坤卦に付随する文言伝も含め、他の項目はすべて省略されている。

 「易経」は四書五経の中の一書で、「易経」の十翼は孔子が書いた注釈だと言われている(文献学的には否定されている説だと思う)。「易経」を儒教の経典として読むとき、十翼は欠かせない。しかし「易経」を占いの本として使用する場合には、十翼がなくてもまったく困らない。僕は彖伝と象伝もほとんど使わないぐらいだ。(たまに参考にするけれど。)

 と言うわけでこの本は、「易占」で占いをする人には便利な本だと思う。各卦に付けられているのは、著者が独自に付記した各卦の説明。これは省略された十翼のエッセンスであり、卦の解説であり、占いをする上での伝統的な解釈でもある。

 写真は乾卦の解説だが、これを見れば占いの際の方向性や解釈の手掛かりが、ある程度はつかめてくるだろう。易占の場合は、こういう手掛かりが大事なのだ。

 「なぜこういう解釈になるのか?」ということについては、他の詳しい本を見るとちゃんと書いてあるはずだし、書かれていなければその理由を推理してもいい。そこからまたその卦についての理解が深まり、解釈の幅や厚みが出てくると思う。

 印刷は活版の紙型から清刷りを作り、それを版下にしてオフセット印刷したようだ。表紙はビニルクロス装に箔押し印刷。これはきれいに型押しささていて高級感がある。大きさは文庫本サイズだが、カバーが小口から飛び出しているから、文庫サイズよりちょっと大きいぐらいだ。

 これで2,600円+消費税(税込2,808円)が高いか安いかは、この本をどう使うかによる。しかしどのみちこの本だけでは易占のことも周易のこともわからないから、まず最初は岩波版なり、朝日選書判なり、徳間版なり、あるいは他の出版社のものなり、何らかの「易経」を手に入れることになるだろう。

 個人的には満足している。普段は岩波版を使っているが、旅行の時はこれを1冊持って出ればいい。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書