Amazonの宅配進出は運送業の脅威

 ヤマト運輸がAmazonの当日配達便から撤退する意向のようだ。

 ヤマト運輸が宅配便のありかたや大手取引先との関係をドラスティックに変革することで、収益性が改善し、現場従業員の待遇が良くなるなら、宅配業界全体としても良いことだと思う。ヤマトが変われば、宅配業界全体が変わる可能性があるからだ。

 しかしヤマト運輸の「Amazon離れ」は、Amazonが独自の宅配システムを構築することを後押しすることになるのではないだろうか。

 既にニュースで報じられていることだが、アメリカではAmazonがドローンを使った宅配システムの実験を行ったり、実験的な小売店舗を運営したりしている。これがすぐに日本にもやってくることはないと思うが、こうしたことからわかるのは、Amazonが宅配や小売といった事業にも興味を持って、実証的な実験を行っていることなのだ。

 Amazonはやがて宅配まで自前で行うようになるだろう。それは日本の宅配業界に、壊滅的なインパクトを与えるものになるかもしれない。既にヨドバシカメラは「エクストリーム便」で自社配達を行っているが、Amazonも同じように自社配達に切り替えて行くと思う。

 他業者に宅配を委託している限り、その宅配業者が用意しているサービスの範囲内で、自社のサービスを構築するしかない。それは宅配業者の都合次第で、あるサービスが行えたり行えなかったり、今まで行っていたサービスが行えなくなったりするリスクをはらんでいる。

 例えば今回はヤマト運輸が「荷物の総量を制限します」「夜配達やめます」「当日配達便はやめです」と言いだしたことで、Amazonはこれまでのサービスを維持するために他の宅配業者への乗換を余儀なくされている。しかし自社で宅配網を構築できれば、他業者の都合でサービス内容を変更する必要はなくなるのだ。

 荷物の総量、作業員の人数なども自社で完全に把握しコントロールできるから、中長期的な戦略も立てやすくなるだろう。数ヶ月前になっていきなり「次年度はちょっと受けられません」ということはないわけだ。

 配達システムの効率化についても、得意のICT技術やIOT技術を使ってフルに効率化できるかもしれない。例えばGPSやICタグを使って配達先に対して「30分以内に配達します」などと通知することも可能だろうし、負担が多いと言われている再配達についてはスマホのアプリを使って在宅通知した顧客にのみ配達すればいい。

 荷物の種別を減らし、配達員は手持ちの端末に支持されたとおりに動くだけで仕事が終わる、熟練を必要としないシステム。アルバイトの配達員が、端末の使用法さえ覚えれば、それで配達が終わってしまう仕組みを作るのは簡単だろう。

 大事なのは、効率化できそうなところから徹底的に効率化した配送システムを作ることだ。おそらくAmazonが発送する荷物の8割か9割は、自社で構築したシステムに乗せられるだろう。そこからはみ出した荷物は、宅配業者に依頼して配達してもらう。それは全体の1割か2割で、これまでより割高な配送料を請求されることになるだろうが、そこは割り切って構わない。

 配達先も徹底的に精査して、宅配ボックスのない一軒家やアパート、エレベーターのないマンションなどは、自社の配送システムから除外してしまう。(もちろんコンビニや職場での配達に変更するなら受け付ける。)

 結果として、ある程度規格化された定型の荷物に関しては、Amazonは自前の配送システムで効率よく配達できるようになる。首都圏などの人口密集地域では、効率は最大化されるに違いない。郊外の大型中継基地から、都市部の各所に分散した配送センターに荷物を配り、そこから人力で配達していくわけだ。

 こうしたシステムを作ってしまえば、アマゾンに出品していない業者も、Amazonのシステムを使って低コストに荷物を配達できるようになるかもしれない。

 一方こうしたシステムからはじかれた厄介な荷物ばかりが、既存の宅配業者に集中することになる。宅配ボックスやエレベーターに入らない大きな荷物。やたらと重たい荷物。ひどく高価で専門的な運搬技術が必要な荷物。パソコンもスマホも使わず、しかも留守がちで再配達を繰り返す配送先。エレベーターが使えないマンションの上層階や、地方の遠隔地への配達、などなど……。

 Amazonのシステムというフィルターからこぼれ落ちた、面倒くさくて、できれば運びたくない荷物ばかりが、ヤマト運輸や佐川急便に集中するのだ。結果として宅配業者の配達コストは上昇し、運賃は上がるだろう。時間がたつにつれて、Amazonのシステムに相乗りしようとする利用者は増え、Amazonはシステムの更新で配達できる荷物の範囲が広がる。そしてますます、厄介で面倒な荷物ばかりが宅配業者に残るようになる。

 Amazonの出現で、既存の書店はどんどん町から姿を消して、家電店も消えて行った。同じことが、宅配業でも起きるのではないだろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

結婚しないことが当然の世界

 2015年の生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合)が発表された。

 男性は23.37%、女性は14.06%だという。生涯未婚率は調査するたびに割合が増えていて、その増加が鈍化する気配がまるでない。まあそうだろう。結婚する人が増える理由が、どこにもないのだから。

 生涯未婚率は国政調査のデータを使って算出するのだが、2020年の調査ではさらに生涯未婚率が上昇していることは間違いないだろう。

 つまらないことを言うようだが、日本の場合は結婚と出産が強く結びついているため、生涯未婚率の上昇はそのまま少子化に拍車がかかることを意味している。日本は今後もどんどん少子化が加速していくだろう。

 これを「つまらないこと」と言うのは、日本が少子化するのは既定路線であって、今さらそれについて何をどうコメントしても陳腐だからだ。

 このデータから読み取れるのは、日本では既に「夫婦」という社会の基本ユニットが機能しなくなっているという事実だ。「結婚できない」とか「結婚しない」というのは、珍しいことではなくなった。

 じつは現時点(2015年時点)での生涯未婚率は、日本人のガンでの死亡率とほぼ等しいのだ。2014年データによれば、男性の全ガン死亡リスクは25%、女性は16%だという。日本において「未婚のまま死ぬ」ということは、ガンにかかって死ぬのと同じぐらい普通のことになっている。

 結婚する人が少数派になるとは思わないが、そう遠くない未来に、日本では生涯未婚率が30%を超え、40%に近づいていくだろう。案外それは、あっという間にやってくるかもしれない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

自主避難者への支援には一定の線引きが必要

 今村復興大臣が記者会見で、質問した記者に対して激高した問題。

 まあ怒鳴り散らした時点で大臣としての資質はないわけだし、怒鳴ったり恫喝したりすることで記者の質問を止めさせようとするのは責任ある立場の者としてまったくダメだと思う。

 しかし「自主避難者は自己責任」という大臣の主張について言うなら、僕はそこに一定の正当性があるように思うのだ。

 もちろん自主避難が最初から最後まで、すべて自己責任だというわけではない。自主避難にはそうするだけの正当な理由があったし、そこに国が一定の支援をするのも当然だと思う。

 原発事故直後にはかなり広範囲で放射能汚染を心配する声が高まり、東京でも浄水場から放射性物質が発見されてパニックになり、コンビニや自販機から一時的にだがミネラルウォーターが消えたことがある。事故を起こした原発には人が近づけない状態が続き、事態が沈静化するのか、さらなる二次災害や三次災害が起きないとは誰にも言えない状態だった。

 テレビでは政府関係者が「現時点では直ちに健康被害が出ることはない」と繰り返し発言しいてたが、「直ちに健康被害が出ない」としても、長い時間をかけても健康被害が出ないことを確約してくれる人は誰もいなかった。

 そんな中で、福島県外でも自主的に避難を決める人たちがいた。この人たちを「大げさだ」と笑うことはできない。福島で大きな余震が起きて燃料プールから水が漏れたり倒壊したりしていたら、それで福島を中心とした東日本全域が壊滅していたかもしれない……という話が出てきたのは、事故からだいぶたってのことだと思う。

 万が一にでもそうした大規模事故が起きていたら、自主避難者は「先見の明があった」と言われていたに違いない。

 そんなわけで、自主避難についても何らかの支援があって当然……とまでは言わぬまでも、何らかの形で公的な支援があるのは自然な話だと思う。しかし事故終息のめどが立ち、復旧復興を目指している中で、自主避難者への支援を永遠に続けるわけには行かない。

 事故が起きて6年がたつ。福島の原発周辺自治体ですら、強制的な非難指定が解除されて住民が帰還しはじめている。現在最優先でやるべきことは、そうした人たちへの生活再建の支援だ。自主避難者への手当ては後まわしにされたり、打ち切られて当然だと思う。

 自主避難したことそのものを、非難することはできない。事故直後のある段階では、自主避難こそがもっとも賢明な判断だったこともあったに違いない。でも行政の手続きとしては、どこかで支援打ち切りの線引きは必要になると思う。個別の事情について特に斟酌が必要なものについては、司法の場に持ち込むなどして個別に判断していくしかないだろう。

 これは今村復興大臣を擁護しているわけでも何でもない。大臣はダメです。記者の質問に感情的になって、声を荒げた時点でもうだめ。これは教員が生徒に体罰を振るって怪我をさせた時、「生徒の態度も悪かった」というのが言い訳にならないのと同じです。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

Androidがシェア世界一に

 インターネットに接続するコンピュータのシェアの最新データで、AndroidがWindowsを抜いて世界一になったという。

 グラフを見ると、これはもうWindowsに逆転のチャンスはないだろうと思われる。もちろんごく短期的にはどうなるかわからないが、長いレンジで見るとWindowsは軟調推移で、Androidは力強い堅調推移だ。iOSは微増。macOSはシェアを少しずつ落としている。

 ただこれは「シェア」なので、実際の稼働台数になるとまた別の話だ。Windowsはシェアの下落ほどには出荷ベースを落としていないはずだ。スマホはこれからも出荷ベースでは台数を伸ばすだろうから、マイクロソフトがすぐに消えるようなことはあり得ない。ただ、少なくともネット接続端末の世界での趨勢は決まったかな……。

 僕自身は現在パソコンがMacで、スマホがAndroidだ。ただスマホを次に買い替える時は再びiPhoneにしようと思っているし、機会があればiPadも使ってみようと思っている。やはりAppleの統合された環境の心地よさは、Androidの環境では味わえない快適さがある。

 もっとも、今持っているスマホに大きな不都合や不満があるわけでもないので、買い替えるのはまだもう少し先になりそうだけどね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

新しい朝ドラの主人公は団塊の世代

 新しい連続テレビ小説「ひよっこ」がスタートした。

 物語は1964年(昭和39年)からはじまるのだが、ヒロインの谷田部みね子はこの時17歳の高校3年生。逆算すると、彼女は昭和22年か23年に生まれた段階の世代であることがわかる。

 団塊世代も既に70歳前後になっているのだが、これが日本で「老害」や「お荷物」扱いされているのは悲しいことだ。日本の高度経済成長を支えたのは、まさにこの世代だもんね。

 高度経済成長はこのあとさらに10年近く続くのだが(1973年のオイルショックでストップ)、団塊世代の青春期から大人になっていくまでの過程を、ドラマがどのように描くのかは楽しみだ。

 前回の朝ドラ「べっぴんさん」は最後までパッとしなかったのだが、今回は有村架純を主演に迎えて明るく元気なヒロインの成長ぶりを描いてほしい。とにかく朝ドラは元気がいいのが好ましい。「べっぴんさん」は我が家ではとても不評でした。新ドラマには期待してます。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

はじめての北海道旅行(2日目)

 北海道旅行2日目。一泊旅行なので、この日は帰る日でもある。今回の旅の最大の目的だった「札幌でジンギスカン食べるぞ!」は昨夜済ませているので、2日目はバタバタと帰るだけだ。

 朝食はホテルのバイキング。その後は部屋に戻って荷物を片付け、チェックアウトしてから街をぶらぶら。昼時になったのでラーメン横丁でラーメン食べて、食べ終わったらだらだらと駅の方面へ歩く。途中で北海道庁旧本庁舎を見学してから駅へ。

 本当なら新千歳空港で夕食としてスープカレーを食べる予定だったのだが、朝と昼にしっかり食べていたので腹が減らず、土産物を買ってからチェックイン。保安ゲートが大混雑で1時間近く並ぶことになった。

 というわけで無事に名古屋に戻ってきたのだが、夕食は中部国際空港のココイチでスープカレーを食べているのであった……。

 たった一泊では「北海道の土を踏んだ」というだけの旅行だったのだが、次はもう何泊かして周囲の町も見て歩きたいと思っている。取りあえずジンギスカンはもう一度食べて、今回は果たせなかったスープカレーにも挑戦したい。買い物をする趣味がないので、食べるばかりなんですけどね。

 旅行に行くたびに太ってしまうよ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

はじめての北海道旅行(1日目)

 急に思い立って、家族で北海道へ一泊旅行に出かけた。「土日を使って札幌でジンギスカン食べるぞ!」というのが今回のテーマ。

 じつは僕は北海道がはじめてなので、当然札幌もはじめて。北海道や札幌に対する僕のイメージは黒澤明の映画『白痴』だったから、駅前に出て大きなビルばかりなのには驚いた。『白痴』は1951年(昭和26年)の映画だから、今から66年も前の映画か。風景が変わって当然だわな。

 昼食は空港(新千歳)で済ませて、ホテルの周囲を少し散歩し、夕食はすすきのの「夜空のジンギスカン」へ。予約もせずに行ったらあいにく満席。通りをはさんだ別の店舗ならまだ空きがあるとのことで、「夜空のジンギスカン45店」に移動して無事入店し、3,800円の生ラム食べ放題&飲み放題コースというのを頼んだ。

 これは3,800円で食べ放題があり、飲み放題がオプションで付くわけではない。3,800円で食べ放題と飲み放題が込みになっている。

 ジンギスカンも初めてだったのだが、これは美味かった。これだけ食べるために、また札幌まで生きたいと思うぐらいに美味い。席は個室だったので、他の客のタバコなども気にならない。制限時間は一応90分なのだが、たらふく食べて1時間ぐらいで店を出てきた。

 ジンギスカンは店によって味付けに違いがあるようなので、今度また札幌に来ることがあれば、次はタレに付け込んだタイプの店に行ってみたいな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

政治家の不道徳に寛容な国

 俳優の渡辺謙に不倫疑惑(?)が持ち上がり、彼が出演しているCMのスポンサー企業が公式HPなどから彼の画像を削除したりしているらしい。

 まあ俳優は人気商売だし、こうしたことでスポンサーが何らかの対応をするのは理解できなくもない。消費者の中には「不倫なんてけしからん」と考える人もいるだろうし、「けしからん俳優」が企業のCMキャラクターをしていれば、その企業のイメージも悪くなるというものだ。

 最近は芸能人の不倫や非行について世間の目も厳しいから、一昔前なら容認されていたことも許されないのだろう。世知辛い世の中だがしょうがない。渡辺謙が今後どうなるかはわからないが、昨年不倫スキャンダルでテレビから姿を消したベッキーは、いまだに本格復帰にはほど遠い状況になっている。世間の目が彼女を許さないからだ。

 ただ僕が不思議でならないのは、芸能人やタレントには厳しい世間の目が、どういうわけか政治の世界には向かないことなのだ。

 ベッキーや渡辺謙の不倫が許せない人も、政治家が国会で嘘をついたり、大臣が任にあるまじき醜態をさらしたり、政府が弱い者いじめをしても許している。芸能人の不倫で迷惑を被るのは、家族など周囲の限られた人たちだけだろう。しかし政治家が嘘をついたら、国民全体が損害を被るのだ。

 しかし日本では政治家が嘘をついても、誰も真剣には怒らない。安倍首相は「自分や妻が森友学園の土地取得に関わっていたなら、わたしは政治家を辞める」と国会で断言した。どうも首相夫人の昭恵さんが何らかの仲介をしたことは間違いなさそうなのだが、だからといって首相に不快感を持つ国民がどれだけいるのか。

 芸能人が安倍首相と同じような態度を取ったら、あっという間に芸能界から追放されてしまうと思う。でも政治家はそうならないのだ。

 日本人は芸能人に対して高い倫理性を求め、政治家に対してはそれを求めない。芸能人には道徳的に振る舞うことを求め、政治家は不道徳でも構わないと思っているようだ。なんというデタラメな国だろうか。

 何度も言うことだが、道徳というのは「上に立つものが道徳的に振る舞えば、下のものはそれに感化されて道徳的に振る舞うようになる」というものだ。くしくも数日前には道徳教科書の検定問題が話題になっていたが、読み物教材のパン屋を和菓子屋に変更するよりも、政治家が道徳的に正しく振る舞うことをきちんと国民に示せば、それが何よりの道徳教育になるだろうに。

 日本は政治家が道徳的に振る舞うことを放棄して、芸能人にその役目を押し付けている。本当に、なんというデタラメな国だろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

日本の政治に緊張感がほしい

写真:毎日新聞

 森友学園問題で安倍内閣の支持率が低下していることから、安倍首相が4月中にも解散総選挙に打って出るという説がある。

 これは政権にとっては悪くない考えだ。安倍内閣の支持率は確かに落ちている。しかし野党の支持が延びているわけではないので、選挙をすればやはり与党勝利となるだろう。もっともさすがに多くの有権者は愛想を尽かし、与党には投票せず、かといって野党にも投票しないという状態になると思う。投票率は低迷すること間違いなしだと思う。

 だがそれでも、選挙で勝てば、勝ちは勝ちだ。安倍首相は「国民の審判は下った」「国民の信任を受けた」と大いばりで新しい内閣を編成するだろう。

 確かに現在の野党には、政権交代して政権を担う力があるとは思えない。だがそれは「安倍政権でいいじゃん!」ということにはならない。もうちょっと、政治に緊張感がほしいのだ。

 選挙になっても自民公明の与党が、過半数を割るようなことには絶対ならない。でも現在のように、国会で自民党だけがバカみたいに強いという状態は不健全だと思う。森友学園問題というのは、結局のところその「不健全さ」を象徴する事件なのではないだろうか。

 もし近々本当に選挙が行われたら、どうするべきなのか? 小選挙区なら「自民党以外の勝てそうな候補」にとりあえず票を投じることが望ましい。与党を過半数割れに追い込むことは無理でも、大幅に議席を減らせば安倍内閣の求心力は低下する。場合によっては自民党内で「安倍おろし」の動きが出て、別の内閣が発足することになるかもしれない。

 いずれにせよ、「どんな不祥事が出てきても倒れない政権」というのは良くない。何か事があれば政権の存続に関わると思えばこそ、内閣は緊張感を持って政治ができるのではないだろうか。

 

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

事故は必ず起きるものだが

写真:毎日新聞

 栃木県那須町のスキー場近くで雪山登山の訓練をしていた高校生たちが、雪崩に巻き込まれて8人が死亡した事故。

 事故が起きた後になれば「危ない場所だ」「こんなの人災だ」「死んだ高校生たちは殺されたも同然だ」と非難の声が起きるのだが、得てして事故というのは「起きて当然の場所」で起きるのだ。問題は事故に遭う人たちが、それを「起きて当然の場所」だと自覚していない点にある。

 なぜ「起きて当然の場所」が意識されないのか。それは同じ場所で同じように危険なことをしていても、ほとんどの人は事故に遭わないからなのだ。

 雪山で雪崩の危険がある場所を通行していても、じつはほとんどの人は雪崩に遭わない。それはその場所が「安全である」ということではなく、単に運が良かっただけなのだが、当事者にそうした意識はない。「自分が歩いた時に雪崩が起きなかった」ということは、そのまま「自分が歩いた場所では雪崩が起きない」とイコールになってしまう。

 これは雪山登山に限らない。同じようなことは、日常の至るところにある。

 例えば町の中を歩けば、歩きスマホをしている人を嫌と言うほど見かける。歩きスマホは事故のもとだが、じつは歩きスマホで実際に事故を起こす人はそれほど多いわけではない。少なくとも歩きスマホをしている10人のうち、3人とか5人が重大な事故を起こすというような高いリスクがあるわけではないのだ。

 歩きスマホなどましな方で、町の中では自転車に乗りながらスマホを操作している人も時々見かける。自動車を運転しながらのスマホ操作は、何件かの重大な事故を起こして話題になった。しかしそれによって、スマホを見ながらのながら運転は消えただろうか?

 ほとんどの人は事故が起きて当然のことをしながら、事故を起こさずに日常を送っている。100人が事故が起きても不思議でないことをしながら、事故とは無縁に一生を終えるのだ。警察やマスコミが「統計的なリスク」をいくら力説しても、一般の人間は「経験則」で生きている。経験則が「この場所とこの状況で事故は起きない」と告げれば、人はそれを優先する。

 飲酒運転事故はなぜなくならないのか。それは酒を飲んで事故を起こした人が、それまで何度も飲酒運転をして無事故で済んでいたからだ。「自分は酒を飲んでもちゃんと運転できる」「このぐらいの酒なら運転に支障は出ない」という経験則が、その人を飲酒運転に向かわせる。そして飲酒運転を何度か、あるいは何十回か繰り返した末に、重大な事故を起こすことになるのだ。

 そこに至って、その人はようやく事故の危険を思い知る。飲酒運転の危険を、飲酒運転がもたらす悲惨を、骨身にしみて痛感し後悔することになる。だが、思い知るのは事故を起こした本人だけ。だから飲酒運転事故のニュースがいくらテレビで流れても、日本から飲酒運転は消えない。「自分は大丈夫」と考える人がいるからだ。

 今回の雪崩事故についても、指導していた教員たちは「大丈夫だ」「絶対に安全だ」と考えていたのだろう。だが事故というのは、「大丈夫だ」「絶対に安全だ」と考えるからこそ起きるのかもしれない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記