五十の手習い

 昔から字が汚いのが気になっていたので、この年になって字の練習をすることにした。

 手本を見ながらノートに書き写すという、小学生がやるのと同じ練習法だ。買ってきたのはジャポニカ学習帳の漢字練習ノート。

 50文字の大きなマスのノートは、特定の漢字を反復練習するのに使う。少し文字が小さくなる84文字のノートは、長い文章を書き写すのに使う。筆記具は鉛筆、またはボールペン。

 書き写すテキストとしては、とりあえず「千字文」を考えているのだが、まあこんなものは「般若心経」でもいいし、いろは歌でもいい。とりあえずこれは、手本になるテキストが届いてから考えようと思う。

 (「般若心経」は文字数が少なくて、最初にチャレンジするには良いかも。「千字文」は1,000文字だが、「般若心経」は本文だけで266文字しかない。)

 最初に練習を始めたのは、おそらくあらゆる人にとってもっとも手書きをする機会が多そうな漢字だ。それは自分の名前。これがある程度書けるようになったら、次は住所にチャレンジしようと思う。

 僕の場合は名前が漢字で5文字。住所は「愛知県名古屋市」からはじまって、区名、町名、丁目、番地、号数、マンション名、室名など、カタカナや漢数字なども交えつつ、さて何文字ぐらいになるのかな……。

 子供の頃から書いていた漢字の中には、そもそも書き順から間違っている物がいくつもある。僕の場合は平仮名や片仮名もかなり怪しい。やばいです。

 書き方の手本としては、辞書の印刷に使われている「明朝体」や「ゴシック体」は使えない。これはデザイン上の制約や約束事で、筆写には使われない装飾が施されていたり、筆写に必要な要素が省略されていたりするからだ。

 手本に使える書体は「楷書体」や「教科書体」。しかしこれらを見ても筆順はわからないので、とりあえず自分の名前と住所については筆順字典を見ながら一画ずつ覚えて行こうと思う。

 仕事でも何でもないことだけど、この年になってこんなことをはじめるのは一種の趣味でしょうかね。でも子供の連絡帳を書いたりする時も、字が汚いと恥ずかしいもんです。趣味が半分、実用が半分みたいなものかな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

人口激減時代を迎える日本

推計グラフは毎日新聞より

 国立社会保障・人口問題研究所が、『日本の将来推計人口(平成29年推計)』を発表したのに合わせて、各マスコミが内容を報じている。

 この推計は5年ごとの国政調査のデータをもとに作っているそうで、今回の発表は2015年の調査をもとにしたものだった。それによると、調査があった一昨年1億2,700万人だった日本の人口は、50年後の2065年に8,800万人まで減少する。なんと3割以上の減少だ。

 安倍政権は「50年後も人口1億人維持」を日本の成長戦略に不可欠なラインとしていたが、これはとても実現できない。ちなみに今回の8,800万人という推計値は、5年前の推計値に比べるとかなり楽観的な数値になっているのだ。5年前は2065年の人口を8,135万人と推計していた。この5年で若干出生率が改善したので、これを上方修正して600万人以上も積み増したのだ。

 しかし1億人はまるで無理。そんなものは夢のまた夢だ。日本は今後ゆるやかに、場合によっては急速に、経済が縮小して衰退して行くだろう。

 こういう話をすると、「人口と経済は関係ない!」と言い張る人が現れる。人口8,800万人は、1950年代から60年代にかけての人口と同水準だ。しかしその時代の日本は、まさに高度経済成長のまっただ中ではないか。三種の神器だの新三種の神器だのを求めて、人々はがむしゃらに働いて、消費活動に邁進した。人口減少恐るるに足らず。そもそも日本の人口は多すぎたのだ。多少減るぐらいでちょうどいい。

 だがこうした意見は、人口だけを見てその中身を見ていない。高度経済成長時代の日本は、若年人口が多く、子供も多かった。高齢者なんてごく一握りだ。高齢者がごく一握りしかいなかったからこそ、高齢者は尊ばれ、社会から大切にされたのだ。

 しかし2065年の日本は違う。高齢者は人口の4割を占めるようになる。子供が1割。15歳から65歳の生産年齢人口は全体の半分しかいない。

 人口問題研究所の人口推計は、出生率を1.44で固定している。しかしこれは大甘なのではないだろうか。高齢者が増えてその社会負担が増していけば、現役世代は世代間扶養の負担を少しでも減らすために、子育てを回避するようになると思う。

 高齢者は減らせない。今日の現役世代は、明日の高齢者だからだ。しかし子供の数は減らすことができる。結婚しない、子供を作らないという選択をすれば、社会全体の子育て負担は軽減できるからだ。僕の感覚としては、出生率は今よりもっと減っていくと思う。

 日本の労働者不足もずっと深刻になるだろう。既に「後継者がいない」という理由で事業を精算する会社は多くなっているのだが、今後はそれが加速していくはずだ。どこもかしこも人手不足になるが、高齢者が多い社会では全体の生産性を引き上げることができない。経済が拡大傾向にあれば雇用条件を引き上げて新しい人材を確保できるが、経済が縮小していく中では労働者に好条件を示すことなどできっこない。人口減少と高齢化は、日本の経済活動の大きなブレーキになる。

 「AIやロボット技術で人手不足は解消できる!」というのも、楽観的どころかお花畑的な妄想だと思う。そもそもこうした最新技術で、日本は世界のリーダーとしての位置に立っているわけではないだろう。仮に日本がこうした先進技術のリーダーになれたとしても、これらの技術はグローバルなものなので、日本一国で独占できるわけではないのだ。AIやロボットの技術が日本で誕生したとしても、それを買って経済成長するのは日本以外の新興国になるのではないだろうか。

 ことさら悲観的なことを言っているつもりはなく、これは人口推計から見えてくる「やがて確実にやってくる未来」の話をしている。日本はそれに備えて準備をしておくべきだと思うのだが、今の政治家にはその期待が持てそうにない。

 政治家はあまり不景気な話をしたくないのだ。国会議員は「50年後の未来」より「次の選挙」の方が大事だ。有権者に対して「日本は経済縮小していくのでそれに備えておこう」という話をするより、「日本経済は立て直せる。出生率も引き上げられる。何も問題ない!」という話をする方がウケがいい。特に高齢層のウケがいいから、政治家は「かつての好景気をもう一度」という話ばかりしている。

 やれやれ、困ったもんだよ。どうすりゃいいんだろうねぇ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

サイコロを使った占筮の方法

占筮に使っているサイコロ

 占筮(易占)には正式には筮竹を使う。筮竹は長さが30センチから45センチぐらいの竹の棒が、50本セットになっているものだ。これは購入しようとするとそれなりに高価だし、保管に場所も取りそうなので、僕はサイコロを使っている。

 筮竹の代用品としては、コインを使った方法(擲銭法)が良く知られている。僕も何度かやってみたが、コインがよく混ざり切らなくて似たような卦が出ることが多いような気がして止めてしまった。

 僕自身が現在どのようにして占筮を行っているかを、自分自身の記録も兼ねて簡単に書いておく。

 サイコロを使う易占では、サイコロを3つ(色違いの8面体のサイコロ2つと6面体のサイコロ1つ)使って一度に大成卦と変爻を出してしまう方法があり、専用のサイコロも売られている。小成八卦には1から8までの数字が割り当ててあるので、8面サイコロのどちらかを内卦、もう一方を外卦と決めておけばいいのだ。(易占用サイコロでは8面それぞれに八卦の名前が書いてある。)6面サイコロは変爻を出すのに使う。

 これは筮竹を使った「略筮法」をサイコロで代用したものだ。占いで生計を立てている易者も多くの場合は略筮法で易を立てているようだから、この方法でも占いには使えるのだ。この方法だと、毎回必ず1つの変爻が出て之卦が示される。(略筮法は内卦と外卦を2回の操作で出すのだから、8面体のサイコロを2回振って内卦と外卦を出し、その後で6面サイコロを振ってもいいと思う。)

 しかし僕はこの方法を取らず、サイコロ1回ずつの操作で、初爻から上爻まで、順番に6つの爻を出している。これは筮竹を使った「中筮法」を、サイコロで代用したものだ。サイコロを6回振り終わった時点で、示された6つの爻の中に老陽や老陰などの変爻があれば、そこから爻辞や之卦も出てしまう。

 しかし中背法では変爻が出ないこともあれば、複数の変爻があって爻辞が役にたたないことも多い。(複数の変更があった場合は、本卦と之卦の卦辞を参考にする。)変爻なしは易占の言葉としてひとつの卦辞しか使えず、解釈の幅はそれだけ狭まってしまう。僕自身はそれも勉強だと思っているが、職業的な占い師が略筮法を用いるのは、必ず変爻が1つだけ出て爻辞が占いに使えるというメリットがあるからかもしれない。

 サイコロを使った中筮法だが、やり方は2つある。ひとつは6面体のサイコロを一度に3つ使う方法だ。易では奇数が陽で、偶数が陰になる。そこで、サイコロを振って奇数の目が多ければ陽爻、偶数の目が多ければ陰爻にする。サイコロが3つとも奇数なら老陽、3つとも奇数なら老陰だ。

 もうひとつの方法は、8面体のサイコロを1つ使う。1が出れば老陽、4・6・7なら少陽、2・3・5なら少陰、8が老陰になる。こうした数字と陰陽の対応関係は、中筮法で用いているものをそのまま利用している。8面体のサイコロは手に入れにくいかもしれないが、サイコロ1つで占えるのはシンプル。僕は最近、この方法を用いることが多い。

 サイコロを使った占筮の方法としては、他にも6面体のサイコロ1つだけ使う方法がある。サイコロを振って奇数なら陽爻、偶数なら陰爻とし、6回の操作で大成卦ができた後に、もう1度サイコロを振って変爻を出す方法だ。僕はやったことがないのだが、6面体のサイコロは100円ショップなどでも簡単に手に入れられるので、この方法もひとつのやり方だと思う。

 プロの易者は出した卦を算木で表示するのだが、僕は方眼ノートにボールペンで記入している。ここまでできたら、あとは「易経」を取りだして該当する卦の卦辞や爻辞を読み、示された卦の解釈を考えるのだ。

 僕は岩波文庫の「易経」上下巻と、朝日選書の「易」を利用することがほとんどだが、旅行の時などにこれを全部持って行くのはかさばるので、どうしようかと今から思案中だ。(岩波文庫だけ持ち出すことになるのかな。)

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

名城公園で桜見物

 桜の見頃も今週末までだろうということで、名古屋城まで花見に出かけることにした。ただし今回は天気も良くなく、足もとも悪そうなので、名古屋城の中には入らずに、名城公園から堀端を市役所前まで歩いた。

 名古屋に引っ越してきたのは昨年の4月末なので、名古屋で桜を見るのは今回が初めて。もう少し天気が良ければ最高だったけど、温かくて快適でした。僕は途中から上着を脱いで、今年初のアロハシャツ姿。このぐらいの季節だと、半袖シャツで歩いている人もいれば、薄手のコートを羽織ってる人もいるという感じです。

 結局そのまま栄まで歩き、伏見から地下鉄に乗って金山で遅い昼食。ま、ほとんど夕食も兼ねてましたけどね。その後はスーパーで買い物してから帰宅。これにて今年のお花見は終了。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

山口組の綱領は素晴らしい!

 日刊ゲンダイの記事に山口組の綱領が少しだけ紹介されていたので、Wikipediaで調べて全部を読んでみた。

 これは道徳的に素晴らしいことが書かれている。ここに書かれていることは、あらゆる組織に適応できる普遍的なものだ。これを否定できる人はまずできないだろう。

 以下、Wikipediaから引用した綱領の全文だ。

山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。
一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。
一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。
一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。
一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。

 この綱領は三代目の田岡組長時代に作られたそうだが、かなり教養と知恵のある人が作ったのだろう。山口組の中にこれだけの教養を持つ人がいたか、あるいは親しくしていた人に作ってもらったのかもしれない。

 これは簡潔で無駄がなく、伝統的な道徳律に沿っていて、どんな組織にあっても適応できる原則だ。少し前に話題になった「電通鬼十則」は仕事の上での原理原則だったが、これは人間が生きる上での原理原則を説いている。

 5つの項目はそれぞれ、組織の内側における原則、組織の外と接する時の原則、対人関係における原則、社会的な立場についての原則、個人の成長についての教えからなる。じつに立派なもんです。

 「長幼の序を弁え礼に依って終始す」というところは、やくざ社会であればおそらく杯事での親子兄弟関係によって決まってくるのだと思う。(年齢に関係なく兄弟の序列が決まるのは、芸人の世界に近いのかも。)

 「世に処するに己の節を守り譏を招かず」というのも良い。「譏(き)」というのは「そしり」のことで、他者から悪口を言われること。やくざだから当然それを悪く言われることはあるだろうけれど、ここでは「節を守り」というのが大事。節を守った上で他人様から何か言われたとしても、それは恥ずべきことではない。しかし節を曲げて他人から批判されるとしたら、それは自分の不徳であり、人としても恥ずかしいことなのだ。

 ところで「教育勅語には大切なことがたくさん書かれている。だから子供に教えるべきだ」という人は、同じように「山口組の綱領には大切なことがたくさん書かれている。だから子供たちに教えても構わない」と言うだろうか? それとも「どんなに立派なことを言っていても、反社会的な暴力集団の綱領などとんでもない!」と言うだろうか。

 もし山口組の綱領を子供に教えるのが「とんでもない」のだとしたら、教育勅語もやはり子供に教えるのは「とんでもない」ものだと思う。中に書かれている道徳的に訓戒がいくら正しかろうと、その前提となる「天皇主権の疑似神権国家」という枠組みがダメだからだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

Amazonの宅配進出は運送業の脅威

 ヤマト運輸がAmazonの当日配達便から撤退する意向のようだ。

 ヤマト運輸が宅配便のありかたや大手取引先との関係をドラスティックに変革することで、収益性が改善し、現場従業員の待遇が良くなるなら、宅配業界全体としても良いことだと思う。ヤマトが変われば、宅配業界全体が変わる可能性があるからだ。

 しかしヤマト運輸の「Amazon離れ」は、Amazonが独自の宅配システムを構築することを後押しすることになるのではないだろうか。

 既にニュースで報じられていることだが、アメリカではAmazonがドローンを使った宅配システムの実験を行ったり、実験的な小売店舗を運営したりしている。これがすぐに日本にもやってくることはないと思うが、こうしたことからわかるのは、Amazonが宅配や小売といった事業にも興味を持って、実証的な実験を行っていることなのだ。

 Amazonはやがて宅配まで自前で行うようになるだろう。それは日本の宅配業界に、壊滅的なインパクトを与えるものになるかもしれない。既にヨドバシカメラは「エクストリーム便」で自社配達を行っているが、Amazonも同じように自社配達に切り替えて行くと思う。

 他業者に宅配を委託している限り、その宅配業者が用意しているサービスの範囲内で、自社のサービスを構築するしかない。それは宅配業者の都合次第で、あるサービスが行えたり行えなかったり、今まで行っていたサービスが行えなくなったりするリスクをはらんでいる。

 例えば今回はヤマト運輸が「荷物の総量を制限します」「夜配達やめます」「当日配達便はやめです」と言いだしたことで、Amazonはこれまでのサービスを維持するために他の宅配業者への乗換を余儀なくされている。しかし自社で宅配網を構築できれば、他業者の都合でサービス内容を変更する必要はなくなるのだ。

 荷物の総量、作業員の人数なども自社で完全に把握しコントロールできるから、中長期的な戦略も立てやすくなるだろう。数ヶ月前になっていきなり「次年度はちょっと受けられません」ということはないわけだ。

 配達システムの効率化についても、得意のICT技術やIOT技術を使ってフルに効率化できるかもしれない。例えばGPSやICタグを使って配達先に対して「30分以内に配達します」などと通知することも可能だろうし、負担が多いと言われている再配達についてはスマホのアプリを使って在宅通知した顧客にのみ配達すればいい。

 荷物の種別を減らし、配達員は手持ちの端末に支持されたとおりに動くだけで仕事が終わる、熟練を必要としないシステム。アルバイトの配達員が、端末の使用法さえ覚えれば、それで配達が終わってしまう仕組みを作るのは簡単だろう。

 大事なのは、効率化できそうなところから徹底的に効率化した配送システムを作ることだ。おそらくAmazonが発送する荷物の8割か9割は、自社で構築したシステムに乗せられるだろう。そこからはみ出した荷物は、宅配業者に依頼して配達してもらう。それは全体の1割か2割で、これまでより割高な配送料を請求されることになるだろうが、そこは割り切って構わない。

 配達先も徹底的に精査して、宅配ボックスのない一軒家やアパート、エレベーターのないマンションなどは、自社の配送システムから除外してしまう。(もちろんコンビニや職場での配達に変更するなら受け付ける。)

 結果として、ある程度規格化された定型の荷物に関しては、Amazonは自前の配送システムで効率よく配達できるようになる。首都圏などの人口密集地域では、効率は最大化されるに違いない。郊外の大型中継基地から、都市部の各所に分散した配送センターに荷物を配り、そこから人力で配達していくわけだ。

 こうしたシステムを作ってしまえば、アマゾンに出品していない業者も、Amazonのシステムを使って低コストに荷物を配達できるようになるかもしれない。

 一方こうしたシステムからはじかれた厄介な荷物ばかりが、既存の宅配業者に集中することになる。宅配ボックスやエレベーターに入らない大きな荷物。やたらと重たい荷物。ひどく高価で専門的な運搬技術が必要な荷物。パソコンもスマホも使わず、しかも留守がちで再配達を繰り返す配送先。エレベーターが使えないマンションの上層階や、地方の遠隔地への配達、などなど……。

 Amazonのシステムというフィルターからこぼれ落ちた、面倒くさくて、できれば運びたくない荷物ばかりが、ヤマト運輸や佐川急便に集中するのだ。結果として宅配業者の配達コストは上昇し、運賃は上がるだろう。時間がたつにつれて、Amazonのシステムに相乗りしようとする利用者は増え、Amazonはシステムの更新で配達できる荷物の範囲が広がる。そしてますます、厄介で面倒な荷物ばかりが宅配業者に残るようになる。

 Amazonの出現で、既存の書店はどんどん町から姿を消して、家電店も消えて行った。同じことが、宅配業でも起きるのではないだろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

結婚しないことが当然の世界

 2015年の生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合)が発表された。

 男性は23.37%、女性は14.06%だという。生涯未婚率は調査するたびに割合が増えていて、その増加が鈍化する気配がまるでない。まあそうだろう。結婚する人が増える理由が、どこにもないのだから。

 生涯未婚率は国政調査のデータを使って算出するのだが、2020年の調査ではさらに生涯未婚率が上昇していることは間違いないだろう。

 つまらないことを言うようだが、日本の場合は結婚と出産が強く結びついているため、生涯未婚率の上昇はそのまま少子化に拍車がかかることを意味している。日本は今後もどんどん少子化が加速していくだろう。

 これを「つまらないこと」と言うのは、日本が少子化するのは既定路線であって、今さらそれについて何をどうコメントしても陳腐だからだ。

 このデータから読み取れるのは、日本では既に「夫婦」という社会の基本ユニットが機能しなくなっているという事実だ。「結婚できない」とか「結婚しない」というのは、珍しいことではなくなった。

 じつは現時点(2015年時点)での生涯未婚率は、日本人のガンでの死亡率とほぼ等しいのだ。2014年データによれば、男性の全ガン死亡リスクは25%、女性は16%だという。日本において「未婚のまま死ぬ」ということは、ガンにかかって死ぬのと同じぐらい普通のことになっている。

 結婚する人が少数派になるとは思わないが、そう遠くない未来に、日本では生涯未婚率が30%を超え、40%に近づいていくだろう。案外それは、あっという間にやってくるかもしれない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

自主避難者への支援には一定の線引きが必要

 今村復興大臣が記者会見で、質問した記者に対して激高した問題。

 まあ怒鳴り散らした時点で大臣としての資質はないわけだし、怒鳴ったり恫喝したりすることで記者の質問を止めさせようとするのは責任ある立場の者としてまったくダメだと思う。

 しかし「自主避難者は自己責任」という大臣の主張について言うなら、僕はそこに一定の正当性があるように思うのだ。

 もちろん自主避難が最初から最後まで、すべて自己責任だというわけではない。自主避難にはそうするだけの正当な理由があったし、そこに国が一定の支援をするのも当然だと思う。

 原発事故直後にはかなり広範囲で放射能汚染を心配する声が高まり、東京でも浄水場から放射性物質が発見されてパニックになり、コンビニや自販機から一時的にだがミネラルウォーターが消えたことがある。事故を起こした原発には人が近づけない状態が続き、事態が沈静化するのか、さらなる二次災害や三次災害が起きないとは誰にも言えない状態だった。

 テレビでは政府関係者が「現時点では直ちに健康被害が出ることはない」と繰り返し発言しいてたが、「直ちに健康被害が出ない」としても、長い時間をかけても健康被害が出ないことを確約してくれる人は誰もいなかった。

 そんな中で、福島県外でも自主的に避難を決める人たちがいた。この人たちを「大げさだ」と笑うことはできない。福島で大きな余震が起きて燃料プールから水が漏れたり倒壊したりしていたら、それで福島を中心とした東日本全域が壊滅していたかもしれない……という話が出てきたのは、事故からだいぶたってのことだと思う。

 万が一にでもそうした大規模事故が起きていたら、自主避難者は「先見の明があった」と言われていたに違いない。

 そんなわけで、自主避難についても何らかの支援があって当然……とまでは言わぬまでも、何らかの形で公的な支援があるのは自然な話だと思う。しかし事故終息のめどが立ち、復旧復興を目指している中で、自主避難者への支援を永遠に続けるわけには行かない。

 事故が起きて6年がたつ。福島の原発周辺自治体ですら、強制的な非難指定が解除されて住民が帰還しはじめている。現在最優先でやるべきことは、そうした人たちへの生活再建の支援だ。自主避難者への手当ては後まわしにされたり、打ち切られて当然だと思う。

 自主避難したことそのものを、非難することはできない。事故直後のある段階では、自主避難こそがもっとも賢明な判断だったこともあったに違いない。でも行政の手続きとしては、どこかで支援打ち切りの線引きは必要になると思う。個別の事情について特に斟酌が必要なものについては、司法の場に持ち込むなどして個別に判断していくしかないだろう。

 これは今村復興大臣を擁護しているわけでも何でもない。大臣はダメです。記者の質問に感情的になって、声を荒げた時点でもうだめ。これは教員が生徒に体罰を振るって怪我をさせた時、「生徒の態度も悪かった」というのが言い訳にならないのと同じです。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

Androidがシェア世界一に

 インターネットに接続するコンピュータのシェアの最新データで、AndroidがWindowsを抜いて世界一になったという。

 グラフを見ると、これはもうWindowsに逆転のチャンスはないだろうと思われる。もちろんごく短期的にはどうなるかわからないが、長いレンジで見るとWindowsは軟調推移で、Androidは力強い堅調推移だ。iOSは微増。macOSはシェアを少しずつ落としている。

 ただこれは「シェア」なので、実際の稼働台数になるとまた別の話だ。Windowsはシェアの下落ほどには出荷ベースを落としていないはずだ。スマホはこれからも出荷ベースでは台数を伸ばすだろうから、マイクロソフトがすぐに消えるようなことはあり得ない。ただ、少なくともネット接続端末の世界での趨勢は決まったかな……。

 僕自身は現在パソコンがMacで、スマホがAndroidだ。ただスマホを次に買い替える時は再びiPhoneにしようと思っているし、機会があればiPadも使ってみようと思っている。やはりAppleの統合された環境の心地よさは、Androidの環境では味わえない快適さがある。

 もっとも、今持っているスマホに大きな不都合や不満があるわけでもないので、買い替えるのはまだもう少し先になりそうだけどね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

新しい朝ドラの主人公は団塊の世代

 新しい連続テレビ小説「ひよっこ」がスタートした。

 物語は1964年(昭和39年)からはじまるのだが、ヒロインの谷田部みね子はこの時17歳の高校3年生。逆算すると、彼女は昭和22年か23年に生まれた段階の世代であることがわかる。

 団塊世代も既に70歳前後になっているのだが、これが日本で「老害」や「お荷物」扱いされているのは悲しいことだ。日本の高度経済成長を支えたのは、まさにこの世代だもんね。

 高度経済成長はこのあとさらに10年近く続くのだが(1973年のオイルショックでストップ)、団塊世代の青春期から大人になっていくまでの過程を、ドラマがどのように描くのかは楽しみだ。

 前回の朝ドラ「べっぴんさん」は最後までパッとしなかったのだが、今回は有村架純を主演に迎えて明るく元気なヒロインの成長ぶりを描いてほしい。とにかく朝ドラは元気がいいのが好ましい。「べっぴんさん」は我が家ではとても不評でした。新ドラマには期待してます。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記