しらけ鳥は飛んでいく

 ニュースでは盛んに「事実上の選挙戦突入!」などと騒いでいるが、気持ちは白けるばかりだ。たぶん国民の多くは白けきっていると思う。

 頭の中では小松政夫の「しらけ鳥音頭」(作詞:小松政夫・スージー白鳥)が無限にリフレインしている。

しらけ鳥 飛んでいく
南の空へ
みじめ みじめ
しらけないで しらけないで
しらけたけれど
みじめ みじめ

 選挙というのは多少なりともお祭り気分のもので、それが任期満了による地方自治体の選挙であれ、全国区のニュースになる国政選挙であれ、多かれ少なかれ根拠のない浮かれた気分に包まれるものなのだ。

 しかし今回の選挙には、それがまったく感じられない。いったい何なんだろう。それとも僕の知らないところで、この選挙に浮かれた気分になっている人もいるんだろうか……。

 頭の中にこだまするしらけ鳥は、四方どこへ飛んでいってもしらけっぱなしだ。膨大な国費を使った茶番劇の幕が開き、数週間後には安倍首相がニコニコした顔で「国民の審判は下った」「自民党は信任を得た」「憲法改正だ」などと言い出すに違いない。

 安倍首相は「北朝鮮の脅威や少子化といった国難を、国民の信を得てご理解とお力をいただき、乗り越えていかなければならない」などと言っているが、日本が憲法を改正すれば北朝鮮の対米政策が変わるのか? 憲法を改正すれば少子高齢化が何とかなるのか? なるわけな〜いじゃ〜ん!

 政治家の言葉は空回りするばかり。まったくしらけるしかないのだ。しらけていてもしょうがないと思いつつ、しらけてしまうのは止められない。みじめ、みじめ〜♪

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

国会は解散し、民進党も解散する

写真:時事通信

 衆議院はよくわからない形で解散したが、これは安倍首相にとって選挙をする前からの勝ち戦だろう。何しろ野党第一党の民進党が「希望の党に合流する」という意味不明の理由で、事実上消滅してしまうからだ。

 国政選挙に自分の党の名前で候補者を立てない国政政党なんて、少なくとも僕は今までに聞いたことがない。弱小政党ならさまざまな理由で他党と相乗りはあり得るだろうが、民進党は国会の野党第一党なのだ。それがこの体たらくでは、与党の勝ちは決まったようなものだ。

 野党共闘はこれで足をすくわれ、共産党も維新も「うちはうちでやる」と独自路線を宣言。民進党は他党の信頼を失い、希望の党からも「誰でも受け入れるわけではない」と冷水を浴びせられ、もうまったく何やってんだか……。

 このダメダメぶりは前原代表だからダメというわけではなく、もう民進党は賞味期限が完全に切れてしまっているのだ。

 冷えたビールはコップに注いで泡が立っているときが一番美味い。民主党がブームを起こしたときというのは、まさにそういう状態だった。しかし民主党印のビールはあっという間に泡が消えて、ぬるくなって気が抜けてしまった。こうなったらもう、誰も手を付けない。

 泡が消えて生ぬるくなったビールを再び泡立たせるためには、新しい冷えたビールを上から注ぐしかないのだ。それが「希望の党との合流」という作戦なのだろうが、ぬるいビールが混じれば冷えていたビールもぬるくなる。希望の党の側は、頭数がほしいから民進議員の合流に異論は無いだろう。しかし民進の議員が混じっても、民進色を出させないはずだ。ぬるいビールによるイメージダウンは避けたい。

 次の選挙は自公与党と希望の党の一騎打ちという話もあり、自民党の側もそうしたムードを出そうとしているらしい。しかしこれは勝負にならないと僕は思っている。希望の党には、かつての維新の会ほどの勢いも感じられない。選挙は自民党の勝利に終わるだろう。へたをすれば、前回の選挙以上の大勝かもしれない。

 自民党政権にウンザリしている人は、野党に票を投じるしかない。しかしいったいどこに投票すればいいのだろうか? こういう場合は「勝てそうな野党に票を入れる」というのが鉄則なので、やはり希望の党に入れるべきか。それとも老舗野党の共産党に希望を託すか。

 とりあえず自分の選挙区の趨勢を見て、「勝てそうな野党」がどこになるのかを見極めるしかない。やれやれ。なんだか盛り上がりに欠ける、憂鬱な選挙になりそうだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

手帳の季節

 もう間もなく9月も終わる。文具店や書店には、来年用の手帳の棚ができている。

 僕はもう来年の手帳を決めてしまった。スケジュール帳は博文館の横線ポケット日記で、これはここ何年もずっと同じものを使っている。(ただし装丁やカバーの色などはそのつど違う。)

 サイズはワイシャツの胸ポケットにすっぽり収まる小型サイズ。鉛筆付なのでこれだけでもたいていの用には間に合うが、僕は同じ胸ポケットに3色ボールペンを挿してそれを使うことが多い。附属の鉛筆は万が一のための保険だ。

 見開き1週間が一覧できて、1日は5行分。そのうち1行は日付や祝日、記念日などが印刷してあるので、毎日使えるのは4行。ここに午前中1行、午後2行、夕方以降1行のペースで予定を記入する。だいたいこれで、間に合わない要件はない。どうしても間に合わない場合は、見開きの右下にあるメモスペースを使えばいい。

 今年はもう1冊、同じ博文館の要務手帳というのも使い始めた。これはスケジュール帳ではなく、業務日誌として使う。見開きで4日分のスペース。左側の欄には時間の表示があるので(8時から午後5時まで)、ここにその日に実際に行った仕事を書き込む。

 右側は罫線のない白地で、ここにはその日の予定を書いておく。メモを書く場所が少ないのだが、これは土日や祝日の欄を使えば間に合う。要務日記は使い始めたばかりでまだ試行錯誤しているところもあるのだが、細身の油性ボールペンで1行ずつ作業を埋めていくのはそれなりに楽しい。

 スケジュールもダイアリーもスマホのアプリがいくらでも出ている分野だが、僕はもう何年も前から手書きにしている。理由は特にない。

 便利さで言えばスマホの方がいいだろう。Googleカレンダーと連動させれば、パソコンでもスマホでも同じ予定表が見られる。実際に自分でも、そうした使い方をしていたことがある。でも手書きに戻った。自分にはこれぐらいが丁度いいようだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

聖書を読む楽しみ

 クリスティーナ・リッチが主演した、『ギャザリング』(2002)という地味なサスペンス・ホラー映画がある。

 まあどうせ今さら誰も観ないような映画だろうし、これから書く内容に関わるのでネタばらしをすると、イエスの磔刑を目撃した人たちが神に呪われ、不死者としてこの世をさまよい続ける……というお話しだ。

 ワーグナーのオペラで有名な「さまよえるオランダ人」などにも現れる、神に呪われた不死者の物語だが、それを誰もが知っている聖書の物語と結びつけているのが面白かった。ただし、十字架のイエスを見て呪われた人たちの話は、特に聖書には書かれていないんだけどね……。

 聖書に登場する不死者としては、アダムの最初の息子カインがいる。嫉妬から弟のアベルを殺した、カインとアベルの兄の方だ。カインが不死者だと聖書に直接書かれているわけではないのだが、聖書を読む限り「カインは不死者」と読むのも不自然ではないような気がするなぁ……と、今回「新改訳 2017」を読みながら思ったのだ。

 弟アベルを殺したカインに、神はこう言っている。

「今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。(中略)あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」(創世記 4:11-12/新改訳 2017)

 ひっかかったのは「大地から、あなたは追い出される」というくだりだ。弟のアベルは死んで大地に受け入れられたが(土から作られた人間は土に返る)、カインは呪われた存在として「大地から追い出される」のだ。つまり死なない人間になってしまう。

 僕がこんなことを考えたのは今回の「新改訳 2017」を読んでからのことで、それまではこんなこと考えたこともなかった。新共同訳では同じ場所を次のように訳している。

「今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。(中略)お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

 新共同訳では神によるこの言葉が、カインをその土地(地域)から追放することだと解釈されている。一般的にはそう考えるのが妥当なのだろう。カインは「私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」と言っているわけで、これはやはり神の庇護を受ける場所を追放されると解釈するのが妥当なのかもしれない。(まあ、普通はそう解釈する。)

 しかし神は「彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけ」ている。カインは誰にも殺されることがない。大地から追い出された不死者であり、他者から傷つけられることもない。なんだかすごいことになっている。

 聖書はその後カインの一族の系図を記しているのだが、この系図の中にカインの没年は書かれていない。ならばやはり、カインは死んでいないのかもしれない。

 といったように、いろんな読み方が可能なのが聖書の面白さだ。こういうひねた読み方を可能にするのが「古典」の力強さであって、初期のキリスト教徒たちが「イエス・キリストの誕生と死は聖書に預言されていた!」などと考えたのも、そうした「ひねた読み方」の結果に違いないのだ。

 なお「カインは不死者になっている」というアイデアは他にも考えている人がいて、2015年に『不死身』という映画が作られているようだ。かくして「なんだかすごいことを考えてしまったぞ!」という僕の思いつきは、先行事例があることがわかってガッカリしたわけだけれど……。

 でも聖書にはこんなことも書かれている。

「これを見よ。これは新しい」
と言われるものがあっても、
それは、私たちよりはるか前の時代に、
すでにあったものだ。
(伝道者の書 1:10/新改訳 2017)

 カインが不死者だったという説は、たぶん何千年も前からユダヤ人たちによって語られているに違いない。たぶん、きっとそうなのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

聖書 新改訳 2017

 新日本聖書刊行会による「聖書 新改訳 2017」が送られて来た。発売日は10月だが、早期予約していたので少し早めに発送されたのかもしれない。

 「聖書 新改訳」の初版は1970年発行で、その後1978年には改訂第2版が出て、2003年にはかなり大きく改訂された第3版が出ている。僕が現在持っている新改訳は、この第3版だった。

 今回の改訂は第4版ではなく、「新改訳 2017」というタイトルになった新しい訳だ。当初は「標準訳」というタイトルで発表されたが、結局こうしたタイトルに落ち着いた。今後は大きな改訂があるたびに「新改訳 2030」とか「新改訳 2045」などのタイトルになるんだろうか……。(なんだかSF映画のタイトルみたいだな。)

 今回購入したのは旧新約合本の中型聖書。ソフトカバーのビニル装で、脚注付きになっている。本文はちゃんと現代の日本語になっているが、ところどころに文語風の表現が残っているのはやはり聖書らしい言い回しだ。

 例えば神が世界を創造するときは、やはり「光、あれ。」から世界が誕生する。これか「光があるように」とかでは、まるでサマにならないのだろうなぁ……。

 (ちなみに英語聖書だと1611年のKJVが同じ部分を「Let there be light」と訳し、21世紀になって訳されたESVが「Let there be light」だから、結局は400年たっても訳は同じ。地の文はともかく「神の言葉」については、訳語が保守的になる傾向があるのかも。)

 現在教会で使われている主だった日本語聖書としては、福音派系のプロテスタント教会で使われている新改訳の他に、日本聖書協会が発行している「新共同訳」がプロテスタントやカトリックの教会で広く使用されている。この「新共同訳」も現在新しい翻訳が準備中で、予定通りに作業が進めば、来年には翻訳が完了して新たな聖書が発売されるはずだ。

 日本ではキリスト教人口は総人口の1%以下と言われているが、聖書翻訳の世界はどういうわけか元気。今年は田川建三の「新約聖書 訳と註」も7巻(8冊目)の黙示録が出て完結しているので、僕もまだ入手していない巻を少しずつ購入しなければ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

こむら返りの再発

 最近はあまり大きな発作を起こさなかった足の具合だが、昨夜は久しぶりにこむら返りの大きな発作を起こした。

 しかも一晩に3回ぐらい。それ以外に小さな引きつりやしびれが何度かあったので、夜中に何度も飛び起きてしまった。

 朝起きたのも、5時半過ぎに大きめの発作が起きそうな気配を感じて飛び起きたためで、こうなるともう時間も時間なのでそのまま起きてしまおうということになる。おかげで今日は寝不足気味だ。

 僕のこむら返りが起きるのはほとんどの場合左足に限定されているのだが、昨夜は久しぶりに左右両足が同時につった。左足の方が痛いのは確かなのだが、左右がつると身動きできなくなって難儀する。

 まあ発作が起きてから泥縄式に水を飲むとか、夏に買った塩分とクエン酸補給のラムネ菓子みたいなものを口に放り込んで噛み砕くとか、痛む場所に湿布を貼るとか、痛み止めのロキソニンを飲んだり、特効薬と言われる芍薬甘草湯を飲んだりもしたのだが、結局その後も発作は続いたからあまり役には立っていなかったのかもしれない。

 この時期になってこむら返りがぶり返したのは、涼しくなってきて昼間水を飲む量が減ったからか、最近どうも野菜の摂取が足りずミネラル不足になっているのか、夜中に部屋の気温が下がって足が冷えるのか、まあ理由はどうでもいいことだ。どのみち何をどうしても完全には予防できず治らないことは、長年の経験でわかっている。

 発作は寝ているときだけでなく、昼間起きているときに起きることもある。

 こむら返りは筋肉に異常な引きつりが起きることなので、発作が起きそうになった段階で意識して脱力すると、大発作につながるのを防げることも多い。同じ姿勢を続けていると、筋肉やすじがこわばって発作が出そうになることもある。この時は少し立ち上がってゆっくりと歩くことで、筋肉をのばしたりほぐしたりすると発作の気配が遠のいていく。いろいろと工夫しているのだ。

 しかし寝ているときはこうした工夫の余地がなく、思いがけない大きな発作を招くこともある。困ったものだが、これが僕の持病みたいなものだ。これからも末永く付き合うことになるんだろうなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

買った本は積ん読に一直線!

 読みたい本がある。本を買うのは無駄づかいじゃないと思っているから、Amazonで次々に購入する。問題は読むための時間がないこととだ。

 1日15分読書で少しずつはかどるようになった。調子がよければこれを2セットやる。でも調子に乗って週に何冊も本を買っているから、これではとても間に合わない。

 紙の本だけではない。少し前からAmazonのKindle Unlimitedにも加入して、電子書籍でただ読みできそうなものは次々手を出している。これはこれで、週に1冊ぐらいは読んでいる。

 もうぜんぜん、本を読む時間が足りないのだ。

 というわけで、買った本のほとんどは部屋の隅に積み上げられている。いわゆる「積ん読」だ。この山と格闘し、少し高さが減ってくると思うと、またAmazonに注文。翌日にはまた山が高くなる。

 まるでシジフォスの岩みたいなものだが、僕自身はこういう生活が気に入っている。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

解散の大義は「今なら勝てる」から

 安倍首相が衆院解散の意向を固めたことに対して、「解散する理由がない」とか「大義なき解散だ」と言う人たちは馬鹿じゃなかろうかと思うよ。

 安倍首相がこのタイミングで解散をするのは、今なら選挙で勝てると踏んだからです。

 野党第一党の民進党は、代表が交代した途端にガタガタで崩壊状態。維新にはかつての勢いがなくてふらついているし、都民ファーストを母体とする国政政党はまだ準備不足。今なら自民党は恐いものなしでしょう。

 安倍政権が長く高い支持を受けているのは、「他の選択肢がない」という有権者の気持ちが大きい。先の都議選ではそこに、都民ファーストの会という受け皿ができて大勝したわけだけど、国政の場ではまだまだ他の選択肢がない状態が続いている。

 ならば勝てるうちに勝っておくのが、自民党総裁でもある安倍首相の考えなんでしょう。

 野党や反体制マスコミは身勝手なもんで、森友問題や加計問題などで内閣支持率が低くなってくれば「解散しろ」「国民の審判を仰げ」と言うくせに、内閣支持率が盛り返して再び支持率が不支持を上回るようになれば「解散には大義がない」と文句を言う。

 要するに「首相は支持率の落ちたときに選挙をして、負けて退陣しろ」ということなんでしょう。でも支持率が落ちてにっちもさっちも行かなくなったわけじゃあるまいに、解散権を持つ首相がわざわざ自分の不利なタイミングで解散するはずないじゃないか。少しでも自分の有利なところ、勝てるチャンスがあるところで解散するに決まってるでしょ?

 自民党議員やその支持者たちは、ほんの1〜2ヶ月前には内閣支持率が急落してヒヤヒヤしていたはず。それが民進党のあれだの、北朝鮮のあれだののおかげもあってか、みるみるうちに支持率はV字回復。もう安倍首相は、民進党本部と北朝鮮にどれだけ感謝してもしたりないはず。足を向けて寝られないね。

 まあ選挙は自民党が勝つでしょう。現有議席は勝ちすぎだったから少し減るかもしれないけど、それでも与党で過半数は楽勝だと思うよ。安倍内閣は、まだまだ続きます。

 それが日本人の選択だもの。しょうがないよ。もっとも選挙になったら、僕は自民党には投票しないけどね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

日馬富士を休ませてあげて!

写真:東京新聞

 日馬富士が今日で4敗目。1場所で4個の金星配給で、もうボロボロ状態だ。

 普通であれば序盤で3敗目を喫した時点で横綱休場となったはず。それができないのは、今場所は上位陣や人気力士の休場が多く、日馬富士が一人横綱状態になっているからだ。

 横綱がいるかどうかで興行の価値が違ってくる。今場所は何が何でも、日馬富士に頑張ってもらいたいという興行の事情もわかる。しかし、これはあんまりだろう。日馬富士が気の毒だ。

 横綱だって人間だから、調子のいいときも悪いときもある。調子が悪いときは休場して心身を整え、次の場所で横綱らしい相撲を見せてくれればそれでいいではない。今の状態で日馬富士を出場させ続け相撲協会には、横綱に対する敬意が感じられない。

 もちろん休むかよ住まないかは本人の意思もあるだろう。しかしこれは本人がどう言おうと、休場させるべき時に来ているのだ。後半戦は上位陣との対戦も続く。この状態で出場し続け、日馬富士が怪我でもしたらどうするんだよ……。

 日馬富士は心も体も傷ついているはずだ。大相撲を愛する人なら、こんな横綱を見ることに忍びないだろう。心の痛みを感じるだろう。お願いだから、日馬富士はもう休場させてやってほしい。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

ロボット時代の家事と余暇

 ロボット掃除機のルンバが我が家にやって来て、かれこれ3ヶ月弱になったので、感想を書いておこうと思う。

 購入したのはiRobot社のルンバ960で、ルンバシリーズの中ではハイグレードな部類の製品だ。これを選んだ理由は、スマホアプリに対応していて外出中でも操作できることと、掃除中にバッテリーが不足すると掃除機が自動的に充電ポートで追加充電して掃除を再開することができるからだった。

 しかし後者の機能は、今のところ使ったことがない。1回フル充電しておけば、住んでいる4LDKのマンションの全部屋を掃除してしまうからだ。日本の場合、おそらくほとんどの家庭で追加充電機能は必要とされないような気がする。

 現在は部屋中掃除して1時間前後なのだが、とりあえずそのぐらいならバッテリーは持つ。ただし長く使用し続けるとバッテリーが劣化してくるので、連続稼働時間が短くなるかもしれないけれど……。

 スマホアプリで外部から操作できる機能は、最近発売された下位機種のルンバ890690でも可能になっているのだが、我が家がルンバを購入したときは最上位機種のルンバ980と購入した960にしか装備されていなかった(と思う)。最上位機種のルンバ980は毛足の長いカーペットに対応した吸引力だが、我が家はフローリングなので960にした次第。

 ただしこのスマホアプリは、ルンバ900シリーズのものだけ、掃除した結果をマップにして表示する機能がある。これは外部でモニターできるし、何らかの事情でルンバが途中で止まってしまったときも、場所を探すのに便利だ。

 ルンバについては「買ったよかった」「もっと早く買っておけばよかった」と思っている。何よりいいのは、毎日会社に出かけて留守にしている間に、部屋中すべてを掃除しておいてくれることだ。これは便利だぞ! 我が家は週5日、平日の午前中にルンバが部屋中を掃除してくれる設定になっている。

 同じような生活家電としては、食器洗い乾燥機と洗濯乾燥機がある。これとロボット掃除機は、一度使い始めるともう手放せないのではないだろうか。(現在の住まいの食器洗い簡素機はマンションの部屋に備え付けのビルトインタイプで、じつはこれが少々使いにくくて不満ではあるのだが、それでもこれがないことはもう考えられない。)

 我が家は期せずして、ロボットが人間の仕事を代替していくロボットやAIの時代を少しだけ先取りしているようなものだ。そしてわかったことは、ロボットやAIは人間の生活を便利にするが、それはある面で、人間の生活から多様性を奪ってしまうということだった。

 我が家では洗濯乾燥機を使い始めてから、「洗濯乾燥機で乾燥までできるかどうか?」を基準にして衣類を購入するようになった。乾燥できないものや、乾燥させたくないもの(シワにしたくないシャツなど)は外干しするのだが、それ以外は基本的にすべて乾燥機で乾燥させてしまう。

 食器やカトラリーも「食器洗い機で洗えるか」が選択基準だ。食洗機は高温のお湯で洗うので、樹脂製の食器や漆器などは使えない。陶器も避けた方がいいものがある。こうして我が家からは、食器洗い機に使えない食器が少しずつ減っていった。

 ロボット掃除機については、今のところ大きな変化はない。しかし今後たとえばソファを買い替えるなら、掃除機が下には入れるように足つきのものにしようと思っている。掃除機の都合に合わせて、インテリアが変化していくわけだ。

 機械あれば機事あり、機事あれば必ず機心あり。便利な機械を使うようになると、人は機械の都合に合わせて生活するようになり、機械に合わせた生活はやがて人間の心も機械に合わせたものに変えていく。機械の都合に合わせて衣類や食器や家具を選ぶことで、人間は衣食住すべてが機械の都合に合わせて規格化されていくのだ。

 もちろん機械が家事を代行してくれることで人間が自由に時間を使えるようになり、そこで本を読んだり、映画を観たりするのは自由だ。機械が作り出してくれた余暇が、人間の生活を豊かにする。

 しかしその余暇で使う時間も、「Kindleの読み放題で読める本はどれか」とか「動画配信サービスで無料で観られる映画はどれか」という話になるなら、それはそれで機械の都合に合わせた生活のような気がするけどね……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記