世界の誰もがパリが好き!

An American in Paris

 パリで起きた連続テロで120人以上(現時点では129人と報じられている)の人が亡くなった。IS(イスラム国)が犯行声明を出したと言うが、まだ詳細はわからない。いずれにせよ組織だった計画的犯行で、世界中が9.11テロ以来の大きな衝撃を受けている。

 この事件に対して「9.11テロ以降も世界中でテロが起きているのに、なぜパリだけを特別視するのだ?」と言う人がいる。12日にはレバノンのベイルートで自爆テロが起きて、40人以上が亡くなる事件が起きた。でもそれについて、世界が大きく反応したとは言えない。世界各地で起きている「対テロ戦争」では、大勢の罪もない民間人が犠牲になっている。その数は100人とか200人という単位では間に合わないほどだ。だがそれに対して、世界が何をしたというのか。ほとんど無視しているではないか。

 はい。それはまったくその通り。パリで死んだり傷つけられた人たちの命も、ベイルートで死んだり傷つけられた人たちの命も、命の価値としてはまったく差がない。しかし世界はパリにより大きく反応し、ベイルートは無視している。対テロ戦争での誤爆などは、その存在が知られることがほとんどない。

 しかしそれを「差別だ」とか「欧米中心主義だ」と言うのは、ちょっと違うと思う。これは人間の認知的な、あるいは心理学的な、さらに言えば社会的な性格によるものであって、パリで暮らす欧米人の人命の方が他の地域の人命よりも価値があると考えているわけではない。

 人間は自分にとって身近な人や場所に、そうでない場合よりも大きな関心を持ち、強くコミットしていくという性格がある。あらゆる人間にとって、一番身近な人間は自分自身だ。だから人は他のどんな人よりもまず、自分自身の事を気にかける。パリで何人が犠牲になろうと、病気や事故で生死の境をさまよっている人にとってはまず自分の身が大事だ。

 自分の次に大事なのは、肉親や家族のことだ。次は友人や親戚、職場の同僚、町内会や学校といったコミュニティ内部。さらに自分と同じ地域、同じ年齢、同じような家族構成、同じような趣味など、自分との共通点が多いほど、その対象にコミットする気持ちが大きく働く。

 テレビの旅番組を何気なく見ていても、人は自分にとって馴染みの場所が取材されていればそれに強い関心を持つ。一番関心を持つのは自分の今住んでいる場所。そしてよく通う店。通っていた学校。住んでいた町。旅行で訪れたことがある場所も、「ここは行ったことがある」と思うとつい見てしまう。

 人間は「自分と関わりがある場所と人」に興味があるのだ。

 だからテロリストは、そうした場所を襲撃のターゲットにする。9.11テロで攻撃されたのは、ニューヨークのワールドトレードセンターだった。ニューヨークは世界最大の都市であると同時に、世界最大の観光地でもある。ニューヨークを観光で訪れた人なら、誰でもワールドトレードセンターを見ているだろう。誰もが見たことがあり、知っている場所であれば、それを人は「自分と関わりがある場所」として認識する。そこを攻撃すれば、世界的な注目を浴びる。

 今回パリが標的になったのも同じだ。パリはヨーロッパ随一の観光地であり、これまでに多くの映画でも取り上げられている場所だ。パリを知らない人はいない。だから狙われたわけだし、世界の反応もベイルートの自爆テロよりずっと大きなものになる。

 人間の命の価値に軽重はない。しかしテロリストは同じリスクを払うなら、より世界的な注目を浴びる方法を選ぶ。テロリズムの目的は、人を殺すことだけではない。テロの目的は人々を恐れさせることなのだ。恐怖によって人々を支配し、自分たちの要求を認めさせるのがテロの最終目標になる。中東の名もない町で起きるテロにも、それなりの目的はあるだろう。だがパリのテロは世界の注目を集め、世界中の人たちを恐れさせることを目的としたものだ。

 現在すでにネットなどでは、「テロ攻撃を受けるフランスにも問題があったのではないか」とか、「テロリストたちの言い分も少しは聞いた方がいいのではないか」、「日本がテロの標的にならないためにも、ISの問題には関わらない方がいいのではないか」といった意見がちらほらと見られるようになっている。こうした意見が世界の多数派になれば、それでテロリストの目的は達成されたことになる。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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