紀里谷和明監督の『GOEMON』について

Goemon

 Amazonプライム・ビデオで無料だったこともあり、紀里谷和明監督の『GOEMON』(2009)を観た。僕は紀里谷監督の『CASSHERN』(2004)を「まるでダメだ」と思ったのだが、『GOEMON』は面白かったな……。

 これは日本のキャストと舞台設定で作られた、「香港製アクション時代劇」みたいなものなのだ。

 香港製の時代劇の中には、時代考証や美術セットに力を入れた本格派もあれば、考証の正しさよりも映画としてのエンタテインメント性を重視した作品もある。『GOEMON』は明らかに後者の系統だ。

 僕はこの映画から、千葉真一が出演して話題になった『風雲 ストームライダーズ』(1998)や、ドニー・イェン主演の『モンキー・マジック 孫悟空誕生』(2014)などを連想する。CGを多用して背景を全部作ってしまうことが、香港製アクション時代劇のひとつのスタイルになっているのだ。

 ただし日本映画では、同系統の映画が滅多にない。絵作りとしてはPVなどにあるものだし、映画の一場面に演出としてこうした場面が入ることがあっても、それで全編通して見せるのは『CASSHERN』や『GOEMON』のユニークなところだと思う。『CASSHERN』ではそれが成功しているとは思えなかったが、『GOEMON』は結構はまっている。

 『GOEMON』は電気仕掛けの歌舞伎みたいな作品でもある。歌舞伎も実在の歴史的な事件に題材を取りながら、それを大きく脚色し、時として荒唐無稽なファンタジーにしてしまう演劇だ。(その前に人形浄瑠璃というものがあるわけだけれど。)『GOEMON』は織田信長が暗殺された本能寺の変から、関ヶ原の戦いまでの時代を大きくアレンジしている。この史実のいじりっぷりは、歌舞伎に近いのではないだろうか。

 (信長を演じたのは歌舞伎役者の中村橋之助。彼が信長に扮して「人間五十年〜」と敦盛を舞う場面は、ここだけ発声も身のこなしも本格的すぎて笑いそうになってしまった。)

 でもここまで史実をいじり倒すのであれば、最後はハッピーエンドにしてほしかったと思う。せっかく五右衛門を殺さず戦場から去らせたのだから、最後まで生かしておけばよかったのに。あるいは生死不明で、観客に判断を投げ出してしまうかだ。

 五右衛門と茶々が共に姿を消して、「五右衛門と茶々の行方は誰も知らない。関ヶ原の戦いから数年後、百姓姿のふたりを見たという者もいる。しかしその噂の真偽は誰にも確かめようがなかった」などとタイトルやナレーションで処理してもよかっただろうになぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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