途方もない数をどう表現するか

駐車場からの出口(東池袋)
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 晴れ。駅までは自転車。

 電車の中でスマホのニュースを見ていたら、乗り過ごして一駅先まで行ってしまった。あわてて下りたが、なんとか遅刻せずに済んでホッとした。

 先日ようやく「全品現代語訳 法華経」を読み終えたので、今日は読みかけの「チャップリン自伝 若き日々」をと思ったのだが、結局ぜんぜん手つかずのままだった。

 我がチャップリン氏は、まだロンドン下町の貧民窟で赤貧に苦しみあえいでいる。間もなくカーノー一座に参加し、渡米して、生まれたばかりのハリウッドにたどり着くはずなのだが、現時点ではまだまだその気配さえ見えない。がんばって読まなくては。そうこうしているうちに、Amazonから次の本が届いてしまう。

 「法華経」は面白かった。これと同じようなものをどこかで読んだことがあると思ったが、それは「ヨハネの黙示録」だった。次から次に飛び出してくる奇想天外でスケールの大きなビジョンの数々。釈迦牟尼仏を中心にして、多数の菩薩や出家者、在家信徒たちが集まり、この世のものではない者たちも集合し、同時並行して存在する他世界の仏や菩薩も姿を現し、無限の過去と無限の未来が語られる。

 聖書の世界もスケールがでかいが、法華経はさらにとんでもなくスケールが大きい。例えば世界のスケール。三千大千世界(略して三千世界)という言葉がある。これが一人の仏が支配する一つの宇宙だ。人間が暮らしている、だいたい太陽系ぐらいの宇宙が一世界。それが1,000個集まって中千世界になり、中千世界が1,000個集まると三千大千世界になる。

 これは1,000掛ける1,000だから、100万の世界ということになる。これが一人の仏が支配する一仏国土。我々が知っている釈迦牟尼仏の世界だ。

 しかしこの仏国土の外側にも、多くの仏がいてそれぞれの仏国土がある。有名なのは、例えば「西方極楽浄土」だ。西方浄土を支配しているのは阿弥陀如来。その反対側、東方の浄瑠璃世界を支配しているのは薬師如来。このように四方八方あらゆる方角(東西南北上下と過去と未来の十方)に別の仏による仏国土がある。その数は恒河沙(ごうがしゃ)とか微塵数(みじんじゅ)という数で表す。

 恒河沙はガンジス川の砂の数。途方もない数であることはわかるが、具体的にどのくらいの数かはさっぱりわからない。微塵数というのは、全世界(一世界か三千大千世界?)をきわめて小さな粉塵状に砕いた、その塵の数だという。これも有限ではあるのだろうが、とてつもない数だ。

 法華経だったかは忘れたが、仏典の中には「ガンジス川の砂の数(恒河沙)と同じだけの世界があり、そこにもガンジス川と同じような川があって、そこにある砂を全部足した数」というのもあった。恒河沙の二乗だ。考えただけでクラクラしてくる。よくこんなこと考えつくな……。

 法華経に限らないのだろうが、仏典に出てくる数字にまつわる例えはじつに面白い。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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