ガチャポンはポストモダン

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 本日も池袋。今日は雨が降らなかったので、駅まで自転車で行けたのはありがたい。駅までさほど距離があるわけではないのだが、自転車のメーターによれば、自宅から1キロ弱ぐらいはある様子。少し早足でさっささっさと歩いても、10分ぐらいはかかるのだ。

 まあ朝はそれでもいい。身体を動かして血のめぐりが良くなりそう。日頃運動不足気味だし、歩くのはいいことだ。でも帰りはヘトヘトになって帰ってきてから、駅から家まで歩くのがちょっとつらいと感じることもある。

 もちろん、ちょっとです。感じることもあるのです。毎回すごく疲れてるわけではないのだけれど、それでもここで自転車が使えるのは大助かり。

 池袋で久しぶりにガチャポン(カプセルトイの自販機)をやった。SNSの文具系サークルで、ネコがペンを支える小さなフィギュアが話題になっていたので同じものを探したのだが、見つかったのは動物シリーズだ。出てきたのはライオン。まあ取り立ててネコ好きというわけでもないので、これはこれでいいのです。ライオンは大きなネコみたいなものだしな……。

 それにしても、ガチャポンというのはカオスな世界。ネコや他の動物にペンを持たせるというのは、まだ何らかの機能がそこにあるから欲しい人がいるのもわかる。僕も欲しかった。アニメやマンガのキャラクターものも、欲しい人がいるのはわかる。昆虫や小動物の小さなフィギュアというのも、まあ欲しい人はいるだろう。それはわかる。

 でもカプセルトイの中には、僕にはさっぱりその魅力が理解できず、それでいて作り手が本気であることがありありとわかる品々がある。今日見ていて良くわからなかったのは、筋トレマシーンのミニチュアとか、焼却炉のミニチュアとか……。これって何に使うの?

 いや、そもそも「何かに使う」という考えがダメなのかもしれない。使い道なんてないのだ。カプセルトイには意味がない。動物にペンを持たせるのも、意味がないっちゃ意味がないわけで、こういうものは「何に使うのか」「何の役に立つのか」「どう便利なのか」「値段分の価値があるのか」などと考えるのが、そもそもナンセンスなのかもしれない。

 物事に意味や価値を求めるのは、近代合理主義に洗脳された現代人の悪いクセなのではないだろうか。近代以前の人たちは、そうした価値基準を離れて、物事が面白いかそうでないかを判断していたようにも思う。カプセルトイには近代合理主義では測れない魅力があって、それゆえに一定の市場が成り立っているのだと思う。

 しかしこれは、何か突き抜けてしまった面白さだと思う。僕はカプセルトイにポストモダンを感じる。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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