東京の感染者はじき2,000人を超える

RICOH GXR A12 ƒ/2.8 1/570 33 mm ISO 200

 明後日にはオリンピックの開会式が行われるらしいが、東京の新規感染者は1,832人になった。おそらく開会式前後には2,000人突破。早ければ来週にも3,000人を超してしまうかもしれず、東京の医療体制は屋台骨が緩んでガタガタになるはずだが、そんな中でもオリンピックだけは淡々と実施に向けて進んで行く。

 もうダメだとわかっているのに止められない、太平洋戦争末期の日本のようだ。

 昭和20年に日本の敗戦がほぼ確定的になっても、日本は戦争を止められなかった。3月には東京が丸焼けになる大空襲があり、他の大都市も次々に空襲された。太平洋の島々では玉砕が相次いだ。6月には沖縄も米軍に制圧された。日本に反撃の力はもう残っていなかった。それでも日本は戦争を止められなかった。8月には広島と長崎に原子爆弾が落とされ、ソ連が日本に宣戦布告したが、それでも日本は戦争を止めなかった。このあたりのグダグダぶりは、半藤一利の「日本のいちばん長い日」に描かれている。

 これは2回映画になっているが、映画版は8月14日から15日未明にかけてのクーデター未遂事件が中心。御前会議で聖断がくだり、玉音盤の録音も終わり、15日正午には敗戦の事実が国民に知らされるというのに、まだ戦争継続に拘り続ける軍人たちの姿が映画の中でリアルに再現されていた。これはこれで面白い。

 しかし宮城クーデター未遂事件より問題なのは、日本が8月中旬まで戦争を止められなかったことにこそある。日本の戦争被害(戦没者数や空襲による一般人の被害)は、昭和20年になってからがほとんどなのだ。「この街は空襲に遭った」とか「ここにあった建物は空襲で焼けた」という話のほとんどは、昭和20年になってからの話だ。「うちの爺さんは戦争で亡くなった」とか「親戚の誰某は戦死した」という話も、圧倒的に昭和20年が多い。それまでに戦争を止める機会は何度もあったと思うのだが、日本にはそれができなかった。

 結局日本人が「これはもう負けだ。どうしようもない」と納得するには、日本中の大都市が丸焼けになり、日本中のあらゆる家庭が戦死者や空襲による身内の死を経験する必要があったのかもしれない。いずれ負けることがわかっていても、まだ余裕がある中で戦争を止めたのでは、「まだ戦えた」と考える人たちが戦後に不満をとなえるだろう。だから余裕が完全になくなるどん詰まりのところまで、戦争被害を拡大させてしまった。

 オリンピックもそうなのだ。既に海外のマスコミも報じているようだが、合理的に考えればこの夏に東京でオリンピックをやるべきではない。しかしこれを中止にするには、日本国内でもっとコロナ感染者が増えないとダメなのだろう。「医療崩壊する前にオリンピック中止を」というのは合理的な判断だが、日本人の気質としてそれは受け入れられない。今後も患者がどんどん増えて日本中で医療崩壊が起きたら、その時はいよいよオリンピック中止になる。

 タイミングを考えると、オリンピック期間中は何となくごまかして閉会式を迎えるかもしれない。でもパラリンピックは中止かなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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