「シネマの宗教美学」から16年

 僕の名前で商業出版社から出ている本は、フィルムアート社の「シネマの宗教美学」が最初だった。

 これは複数のライターが参加している本なのだが、担当編集者が僕の「編著」として出してくれた。趣味的に自分で制作して販売している電子書籍を除くと、商業出版社から出ている紙の本で、僕の名前が大きく出ているのは今までこれ1冊きり。出版されたのは2003年だから、もう16年前になる。

 16年前に比べて、「映画とキリスト教」というニッチなテーマに関心を持つ日本人がどれだけ増えているだろう。「シネマの宗教美学」が出た当時は、世界同時多発テロの影響もあり、「文明の衝突」だの「一神教の排他性」だの「キリスト教文明の衰退」だのが言われていた時代だった。アメリカではジョージ・W・ブッシュが大統領になって、保守的な福音派の教会が社会的な注目を集めていた。

 そうした中では「キリスト教を理解すること」は「世界情勢を理解すること」だったし、映画はそのための格好のテキストになっていたのだ。

 「シネマの宗教美学」がそうした社会ニーズに応えられる本になっていたとは必ずしも思わないのだが、それでも当時の社会が「宗教」や『キリスト教」にそれなりの関心を持っていたことは事実だと思う。日本人も含めた世界の先進国が「世界はもうすっかり世俗化している。宗教など不要だ」と考えていたところに、イスラム過激派のテロが起き、アメリカではきわめて宗教的な大統領が軍隊の指揮を執るようになっていた。

 ではそれから16年たった今はどうなのか。世界は再び脱宗教化しているように見える。各地で宗教的な動乱がないわけではないが、一時は中東地域の広範囲を勢力下に置いたISはほぽ鎮圧された。世界は再び「経済」が動かすようになっている。アメリカとイラクの対立も宗教対立というより、石油利権を巡る経済的な対立なのではないだろうか。

 まあ大きな話はともかく、僕は人間が生きていく上での根源的な「苦しさ」を解消していくには、やはり宗教的な何かが役に立つことも多かろうと思っている。僕は現在の日本を見ていると、どことなく宗教化しているようにも思う。現在の日本は、合理性を超えた別の何かに、人々が突き動かされているのではないだろうか。

 それはきわめて単純に言ってしまえば、マンモン崇拝(拝金主義)ということなのかもしれない。人は神とマンモンの両方に仕えることはできない。その点、無宗教で神を持たない日本人は、もともと拝金主義と親和性が高かったのかもしれない。であればこそ、日本人は戦後あっという間に国際的な経済大国になりおおせることもできた。金儲けに対するタブーがなかったからだ。

 バブル崩壊後にマンモンの恩恵に見放された日本人は、自分から遠ざかっていくマンモンに媚びへつらうようにして、人間を祭壇の生贄に捧げるようになった。非正規労働者の増加がそれだ。日本人はそろそろマンモン崇拝から距離を置いたほうがいいような気がするのだが、だからといって今更信じるべき神もいないしなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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