140文字に切り取られた世界

 最近ブログの更新がすっかり滞っていたのは、何にせよ、書いたり読んだりすることはSNSで用が足りるようになってしまったからだ。

 インターネットが普及しはじめた今から20年ほど前、自分で何かの意見を発表をする人は、ホームページを作った。その後、メルマガやメーリングリストが流行した。さらにブログが登場した。それがSNSに置き換わって今に至る。

 他には動画配信サービスというものもあるが、僕はこれを利用していない。初期に動画に進出していれば、ひょっとしたら今ごろは有名YouTuberになっていたかもしれないのに、残念なことをした。

(……と、こういうことを書くと本気にする人がいるので念のためだが、これは冗談で書いている。大スクリーンで3時間の映画を観ることは苦にならなくても、テレビで30分の番組を見る根気が続かない僕にとって、YouTubeに代表される動画サイトは、最初から興味のわかないものだった。)

 現在僕はFacebookやTwitterを主に使っている。Facebookの投稿はTwitterにも投稿される設定にしているので、書くのはそれを見越した短文になる。140字以内。少し長いものを書くときは、これを連投する。あるいはTwitterの側で、コメントをつなげて行く。

 最初はこれが物足りない部分もあってブログも更新していた。ブログとSNSの棲み分けや使い分けを考えていた。でもそのうち、SNSだけで用が足りるようになってしまったのだ。SNSだけで用が足りる世界に足を踏み入れると、140字でたいていのことは言えるし意味が通ることがわかる。

 スピーチ原稿は1分間に300字が目安で、ニュース原稿などなら350字ぐらいだという。黙読ならそれよりスピードアップするので、1分で400字は読めるだろう。映画瓦版は本文1,200字だが、これはだいたい3分で読める計算だ。

 しかしSNSは140字なのだ。目で追うだけなら数秒で読める。それがSNSのスピード感だ。ブログやメルマガが将棋の対局なら、SNSは卓球の高速ラリーみたいなスピード感になる。問題は世の中全体が、高速ラリーのスピード感で動いていることなのだ。

 140字で大概のことは言える。しかし140字からこぼれ落ちてしまうことも多い。それを補うのがSNSのリンク先にある記事本文なのだが、高速ラリーの中にいる人の多くはそれを読みもせずに、SNS記事に「いいね」したり「シェア」したりしているのだ。何を隠そう、僕もそうしている。

 SNSが主流になると、文章の中で委曲を尽くすとか、ひねりを効かせるということができなくなる。文章の構成など不要になる。起承転結なんて要らない。結論だけスパッと書く。それでOK。確かにそれで用は足りるのだろうが、そこからこぼれ落ちてしまう部分にこそ、本当に大事なものがあるんじゃないだろうか。

 ずいぶん昔、大昔の話だが、深夜テレビでシナトラ主演の『夜の豹』(1957)という映画を観た。原作はジーン・ケリーが主演した舞台ミュージカル「パル・ジョイ」で、リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートが作ったミュージカルだ。ところがこの放送では、肝心のミュージカルシーンを全部切った短縮版になっていた。それでストーリーはわかるのだ。でもミュージカルシーンを全部切った『夜の豹』に、どれだけの価値があるんだろう。

 世の中の森羅万象を140字にしてしまうSNSというのも、それと同じなんじゃないだろうか。我々はあらゆる物事を140字にまとめられるSNSの簡便さと引き替えに、本当に大事な何かを切り捨ててしまった可能性がある。

 あの日同じ深夜テレビを見ていた人は、ミュージカルシーンを切り捨てた『夜の豹』の短縮版を見て、それが『夜の豹』という映画だと思ったことだろう。140字で流れて行くSNSというのは、そんなものの連続なのかもしれない。

 というわけで、僕はその反省も込めて、またブログに復帰しようと思っているわけだ。とはいえSNSの簡便さにすっかり慣れてしまっているので、これがいつまで続くかわからないけどね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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