「左ききのエレン」を一気読み

 ネットで話題になっていた「左ききのエレン」を10巻分一気読みしてしまった。

 絵はドヘタで、小学生の落書きレベル。しかしとにかくキャラとストーリーが強烈で、ぐいぐいと読ませてしまう。マンガを読んでいて鳥肌が立つような熱い感動なんて何年もしたことがなかったけれど、このマンガにはそれがある。

 主人公の朝倉は広告代理店のデザイナーで、物語の中では彼の高校時代から、数年後にアートディレクターになるまでの足かけ十数年を扱っている。

 何となく絵が上手くて、絵を描くのが好きで、絵に関わる仕事に就きたくてデザイナーを目指して、美大に入って、大手広告代理店のクリエイティブに就職することに成功して……。

 時代が違い、経路は違うけれど、僕も似たような高校生だったし、新米のデザイナーだったから、ここに描かれている世界のことはよくわかる。(ちなみに僕が就職したのは1980年代の終わり頃。「左ききのエレン」とは20年ぐらいの時代差がある。)

 広告の世界は「クリエイティブな世界」で、広告に関わっているデザイナーやコピーライターは「クリエイター」と呼ばれる。しかし広告業界のクリエイターは、アーティストではない。出資者である企業の要請を受けて、出資企業の望む表現の範囲内で何かしらを提案して実現し、対価を得るのが仕事だ。

 広告のクリエイターは、企業広告の裏側にいる黒子であって、一般の人には名前も知られない存在。しかしその中で、クリエイターは自分の表現のために命を削るような仕事をしている。その奮闘ぶりが、泥臭く、汗臭く、しかしリアルに、現実以上にドラマチックに描かれているのが、このマンガなのだ。

 「左ききのエレン」に登場するが現実には滅多にいないのが、この作品のテーマにもなっている「天才」という人種だ。主人公の朝倉は、自分自身に才能が無いことを思い知らされ、天才たちに対して嫉妬する。しかし僕は「自分に才能が無い」ことはすぐにわかったが、嫉妬すべき天才には出会わないまま現在に至っている。

 センスのある人、仕事のできる人、自信過剰な人、鼻持ちならない人、いろんな個性に出会ってきたけれど、「こいつは天才だ。人種が違う!」というような人には会わなかった。もっともこれは、才能の片鱗すらない者には天才と凡才を見分ける力すらない、ということなのかもしれないけれど。

 「左ききのエレン」は、本物の天才に出会ってしまった人の、幸福と不幸を描いた作品だ。映画で言えば『アマデウス』がちょうど同じテーマを扱っている。主人公の朝倉は、『アマデウス』の中のサリエリの役回りだ。しかしこのマンガは『アマデウス』以上に、このテーマを掘り下げていく。

 この作品に登場する文句なしの天才はエレンだが、彼女は天才であるがゆえに幸福になれない人間として描かれる。ただし凡人である朝倉のキャラクターに比べると、エレンのキャラクターは浅いような気もする。天才というのは一種の「欠陥人間」であり、人並みの幸福(凡人の幸福)を味わうことができないのだ。でもこうした「天才の不幸」の描き方自体が、なんだか紋切り型のような気もするけどね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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