仏教の面白さ

 ここ何年かで、仏教の本を読むことが多くなっている。もともと僕はキリスト教育ちで、その後は映画の仕事を通じてキリスト教を掘り下げる方向に向かったのだが、最近の個人的な仏教ブームは仕事とはあまり関係がない。

 仏教関係の入門書はずいぶん前に何冊か読んでいたのだが、どれもあまりピンと来なかったというのが正直なところだ。四諦と八正道、十二縁起、三法印に四法印、六波羅蜜など、次から次に数字と専門用語が出てくるものの、まるでチンプンカンプンだった。

 岩波文庫版の「ダンマパダ」(中村元訳の「ブッダの真理のことば・感興のことば」)は前から持っていたのだが、ちょっと読んで投げ出していた。数年前に辻秀一先生のライフスキルに関するセミナーに参加して「心を整える」ということを学び、ここから「ダンマパダ」を読み直したら、ブッダの言葉は心を整えるための心構えやノウハウが満載で面白かったというのがきっかけだ。

 ライフスキル方面の探求と実践からはすっかり遠ざかってしまったが、仏教関係は面白いと思うようになった。マインドフルネス瞑想なども、自己流で時々やっている。あくまでも自己流なので、あまり効果は実感できないのだけれど……。

 読書に関して言えば、「ダンマパダ」の後は「スッタニパータ」を読み、さらに仏教関係の概説書に戻り、原始仏教から日本の仏教関係の本を読んだりして今に至っている。専門的な本を読むほどではなく、現時点ではあくまでも表面を舐めている程度だが、仏教はキリスト教と同じぐらい範囲が広いのできりがない。今は巨大なバースデイケーキの上に立てたローソクを引き抜いて、その根本の銀紙に付いたクリームを少し舐めてみた程度のことだろうと思う。

 僕が仏教を面白いと感じるのは、そこにキリスト教的な人間観や世界観とはまったく別種の考えがあるからだ。

 例えばキリスト教は「わたしはある」と名乗る神が、自らの似姿として人間を作ったことになっている。当然人間たちも「わたしはある」という強烈な自意識・自我を持って生きている。しかし仏教はそれとはまったく逆に、「わたしはない(無我)」を主張するのだ。

 もちろん人間はほとんどの場合、「わたしはある」と考えて生きている。しかしそれは仏教の考えからすると愚かな人間の錯覚に過ぎず、他から独立した個別具体的な「わたし」という存在はあり得ない。あらゆるものには固有の実体がなく(諸法無我)、周囲との関係性の中でかりそめに存在するはかないものなのだ。

 キリスト教は世界を「神によって創造されたもの」と考える。しかし仏教には創造神というものがなく、しかも世界は無限に存在しているという。我々の暮らす世界は百何十億年か昔にビッグバンによって誕生したと言うが、仏教の世界観ではこうした「我々の暮らす宇宙」に限を飛び越えた多元宇宙を想定している。生命はそうした多種多様な宇宙の中を、無限に輪廻しているのだ。

 その中には戦争に明け暮れる修羅の世界もあれば、飢えにさいなまれる餓鬼の世界もある。安楽に暮らす天上界もあれば、ひたすら苦しみを味わう地獄もある。これは我々が暮らしている世界の中だけでなく、無限に存在する多様な宇宙のありようのことだ。仏教ではそれを大ざっぱに六道に分類するわけだが、実際には他にも無数の世界があるのだろう。(西方浄土に代表される別の仏国土も、そうした多元宇宙のひとつだと考えてもいい。)

 キリスト教はかなりスケールの大きな話をしている宗教だが、仏教もそれに負けずにスケールの大きな世界を扱う宗教だ。こうした人間の生死の尺度を離れたスケールの話というのは、荒唐無稽と言えば荒唐無稽ではあるが、それを考えることで目の前の現実を別の視点から見られる効能がある。

 もちろんキリスト教と仏教の共通点もある。両宗教で共通していることの第一は、「人間はアホである」「アホは死んでも治らない」という身もふたもない人間性の洞察をしていることだ。人間がアホなのは原罪のせいなのか、はたまた無明のせいなのかはわからない。しかし「人間はアホである」「人間はアホだから不幸になるのである」「アホは治らないのだから人間はずっと不幸なままである」という認識は変わらない。

 アホな人間は、どうすればいいのか? ゴータマ・ブッダは「修行して涅槃に至れ」「悟ってブッダになれ」と言うが、普通の人にそれは無理。しょうがないから仏教では、「今の人生では無理でも来世に望みを託せ」と言いだした。やがて「阿弥陀様が助けてくれるから、来世では必ずブッダになれる」という信仰も生まれる。キリスト教も「イエス・キリストを信じれば世の終わりに必ず神の国に入れる」と、とりあえずいつ来るかわからない未来に問題の根本的な解決を投げ出してしまった。

 でも未来に問題を投げ出すことで今はその問題に悩まずに済むのなら、それはそれで幸せなことなのだ。この点では、仏教もキリスト教も似たようなものだと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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