聖書を読む楽しみ

 クリスティーナ・リッチが主演した、『ギャザリング』(2002)という地味なサスペンス・ホラー映画がある。

 まあどうせ今さら誰も観ないような映画だろうし、これから書く内容に関わるのでネタばらしをすると、イエスの磔刑を目撃した人たちが神に呪われ、不死者としてこの世をさまよい続ける……というお話しだ。

 ワーグナーのオペラで有名な「さまよえるオランダ人」などにも現れる、神に呪われた不死者の物語だが、それを誰もが知っている聖書の物語と結びつけているのが面白かった。ただし、十字架のイエスを見て呪われた人たちの話は、特に聖書には書かれていないんだけどね……。

 聖書に登場する不死者としては、アダムの最初の息子カインがいる。嫉妬から弟のアベルを殺した、カインとアベルの兄の方だ。カインが不死者だと聖書に直接書かれているわけではないのだが、聖書を読む限り「カインは不死者」と読むのも不自然ではないような気がするなぁ……と、今回「新改訳 2017」を読みながら思ったのだ。

 弟アベルを殺したカインに、神はこう言っている。

「今や、あなたはのろわれている。そして、口を開けてあなたの手から弟の血を受けた大地から、あなたは追い出される。(中略)あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる。」(創世記 4:11-12/新改訳 2017)

 ひっかかったのは「大地から、あなたは追い出される」というくだりだ。弟のアベルは死んで大地に受け入れられたが(土から作られた人間は土に返る)、カインは呪われた存在として「大地から追い出される」のだ。つまり死なない人間になってしまう。

 僕がこんなことを考えたのは今回の「新改訳 2017」を読んでからのことで、それまではこんなこと考えたこともなかった。新共同訳では同じ場所を次のように訳している。

「今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。(中略)お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

 新共同訳では神によるこの言葉が、カインをその土地(地域)から追放することだと解釈されている。一般的にはそう考えるのが妥当なのだろう。カインは「私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう。」と言っているわけで、これはやはり神の庇護を受ける場所を追放されると解釈するのが妥当なのかもしれない。(まあ、普通はそう解釈する。)

 しかし神は「彼を見つけた人が、だれも彼を打ち殺すことのないように、カインに一つのしるしをつけ」ている。カインは誰にも殺されることがない。大地から追い出された不死者であり、他者から傷つけられることもない。なんだかすごいことになっている。

 聖書はその後カインの一族の系図を記しているのだが、この系図の中にカインの没年は書かれていない。ならばやはり、カインは死んでいないのかもしれない。

 といったように、いろんな読み方が可能なのが聖書の面白さだ。こういうひねた読み方を可能にするのが「古典」の力強さであって、初期のキリスト教徒たちが「イエス・キリストの誕生と死は聖書に預言されていた!」などと考えたのも、そうした「ひねた読み方」の結果に違いないのだ。

 なお「カインは不死者になっている」というアイデアは他にも考えている人がいて、2015年に『不死身』という映画が作られているようだ。かくして「なんだかすごいことを考えてしまったぞ!」という僕の思いつきは、先行事例があることがわかってガッカリしたわけだけれど……。

 でも聖書にはこんなことも書かれている。

「これを見よ。これは新しい」
と言われるものがあっても、
それは、私たちよりはるか前の時代に、
すでにあったものだ。
(伝道者の書 1:10/新改訳 2017)

 カインが不死者だったという説は、たぶん何千年も前からユダヤ人たちによって語られているに違いない。たぶん、きっとそうなのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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