易占をするとわかること

 3月からはじめた毎朝の易占は、今もほぼ欠かさず続けている。時々忘れたり時間がなくて朝できないときは、その日の夜に占う。それも忘れれば翌日だ。翌日に前日の卦を出しているのだから、これはもう「占い」ではないだろうけれど……。

 易占を毎日やっていると、面白いことが実感としていろいろと理解できるようになる。それは例えば「確率」の問題だ。

 易経で易占の結果として出される基本的な「卦」の数は全部で64ある。サイコロでランダムにこれを出しているわけだから、64の卦のどれが出るかは確率的にはすべて同じだ。最初の卦の「乾」から最後の卦の「未済」まで、64分の1の確率で出ることになる。どれも平等に機会が与えられているのだ。

 しかし実際に毎朝サイコロを振っていると、何度も繰り返し出てくる卦もあれば、まったく出て来ない卦もある。かれこれ5ヶ月近く毎日サイコロを振っているのだが、僕の場合は水火既済がこれまでに7回出て最多なのに対して、乾為天や地山謙、山火賁、山地剥など、10個の卦はまだ1度も出ていない。

 「確率が同じ」であることは「結果が同じ」になることを意味しない。これは確率論の基本なのだが、人間は何となく「確率が同じなら結果もだいたい同じになる」と思いがちなのではないだろうか。六十四卦の出る確率がすべて同じなら、64回の操作でどの卦をだいたい一通り出るような気がしてしまう。そんなことはあり得ないのだが(それは僕がやっている実例を見れば一目瞭然だ)、「確率が同じなら結果も平等になるはずだ」という人間の生理的な感覚を、数学的な正しさが裏切っていく様子を実際に見られるのは面白いと思う。

 こうした偏りはまったくの偶然によって生じているものだ。少なくとも僕はそう考えている。しかしこうした偏りが、何らかの必然や暗示のように感じられてしまうのも面白い。

 例えば先日の日曜日に出た卦は「遯の大過に之く(遯の卦が大過に変化する)」だった。翌月曜日の卦は「大過の困に之く(大過が困に変化する)」だ。「遯→大過→困」という連続性が、きちんと示されている。もっとも火曜日の卦は「師の坤に之く」で、「困」は無関係なんだけど……。

 しかし火曜日の卦が「師の坤に之く」だったものが、今日の水曜日には「坤の師に之く」になったりすると、そこには偶然とは言え面白さを感じるのだ。

 なお変爻が出る確率は4分の1で、多くの場合はひとつの卦の中で複数の変爻が出る。以前は「複数の変爻が出たときは本卦と之卦の卦辞だけ見て占う」ことにしていたのだが、変爻が複数出る事があまりにも多いので、数日前からは「変爻が2回出たら後から出た変爻の爻辞も見る」という形に変えてみた。これは朱子が行っていた方法だそうで、易占の中では伝統的な方法のようだ。

 すべて本卦と之卦の卦辞は参考にするのだが、変爻をどう扱うかは以下のようになるらしい。

  • 無変爻 本卦の卦辞のみ見る(それしかない)
  • 一変爻 本卦の変爻の爻辞を見る
  • 二変爻 本卦の後から出た変爻の爻辞を見る
  • 三変爻 変爻は用いず本卦と之卦の卦辞のみ見る
  • 四変爻 之卦の二つの不変爻のうち先に出た方を見る
  • 五変爻 之卦の不変爻を見る
  • 六変爻 之卦の卦辞を主とする

 それなりによく考えられているとは思うが、なんだかヤヤコシイのだ。易占を何らかの「啓示」と考えると、出された変爻にも意味を求めたくなるのだろう。変爻と無変爻を同じには扱いたくない。なるべく無駄なく変爻を生かしたいというのが、こうした複雑な仕組みを生み出しているような気もする。

 自分の過去の易占の結果を見ると、これまで最高で五変爻という例があった。しかし出現数で言えば、一変爻、二変爻、無変爻がほとんどだと思う。(一度全部数えてみようかな……。)三変爻以上は変爻を用いず、卦辞だけを見る方法でしばらくやってみようと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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