人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?

 著者や出版社は人工知能入門書のつもりなのかもしれないが、入門書や初歩的な解説書として読むと、まったく要領を得ない本になっている。

 例えば最近あちこちで話題になっている「ディープラーニング」については、この本の中でもそれなりに紙幅を割いて説明しているのだが、正直何を言っているのかさっぱりわからない。前提になる話をすっ飛ばしたまま、別のたとえ話などを出してくるから、たとえ話がたとえ話としての機能を果たせないのだ。

 しかしそれでも、この本は面白い。あっという間に読んでしまう。それは人工知能を開発している現場の熱気や興奮が、行間からダイレクトに伝わってくるような勢いがあるからだ。

 本を書いているわずか数ヶ月の間に、「将棋にディープラーニングは向かない」と言っていたのをひっくり返し、将棋ソフトPonanzaにディープラーニングの技術を実装したというのも、そうした「勢い」のひとつだろう。結果として前言を翻したわけだから、普通なら「将棋にディープラーニングは向かない」と書いていた内容を訂正して全体の整合性を取れば良さそうなものなのに、この本ではそうした調整を行わない。その結果として、この本を読む人は人工知能開発の最前線を同時進行で体験するような読後感を味わえるはずだ。

 人工知能開発が必ずしも「理論的」に進められているわけではなく、現場の職人的な「経験知」の積み重ねで、少しずつ改良が加えられているという話は部外者にとってはとても興味深いものだと思う。

 それを象徴するのが「黒魔術」というキーワードだ。人工知能に何らかの改良を加えてみると、その結果が功を奏することもあれば奏さないこともある。よい結果が出る改良は全体の2%程度。しかもその改良がなぜよい結果を生み出したのか、開発者自身にもよくわからないのだという。よかれと思って行った改良が、結果として悪い結果を出すこともある。しかし「理由はわからないが上手くいった方法」は人工知能開発者の中で共有されて、人工知能強化のためのノウハウとして定着していく。まさに「黒魔術」なのだ。

 著者は「知能」の点において、もはや人工知能は人間の能力を超えていると言う。「知能」とは設定された目的に対して、最善の手段を探す能力のことだ。例えば「将棋に勝つ」とか「囲碁に勝つ」という目的が設定されれば、人工知能は人間の能力をはるかに凌駕する力を発揮する。

 しかし現時点で人工知能に欠けているのは、そうした目的そのものを設定する「知性」なのだ。人工知能は少なくとも現時点において、「自分は今この時に何をすればいいのか」という問いを自ら設定することができない。言われたことは完璧にやり遂げるが、言われていないことについて配慮することはない。

 また人間は大きな目的を達成するためにの中間段階に、小さな目標を設定してそれを達成していくことで最終目標に近づいていく。大きな問題を小さな問題に分割するというのが、人間の「知性」なのだ。ところが現時点で人工知能は「中間目標」を設定することができず、予測不能な遠い将来については思考停止状態になってしまうらしい。これを「水平線効果」と呼ぶ。

 しかし著者はこうした「知性」も、いずれは人工知能が獲得していくだろうと考えているようだ。人工知能の技術は幾何級数的に進化している。人間が「人工知能もだいぶ人間に近づいてきたなぁ」と考えはじめた次の瞬間に、人工知能は人間をフルスピードで追い抜いて、手の届かない彼方へと進んでしまうだろう。

 人工知能と人間のプロ棋士が戦う電王戦は、今年が最後になった。人間はもはや人工知能の棋力に太刀打ちできないので、わざわざ大会で雌雄を決する面白味がなくなってしまったのだ。Googleの開発したアルファ碁も、既に人間との対局をやめて機械学習のみの世界に閉じこもってしまった。「人間の力を人工知能が凌駕する」ことをシンギュラリティと呼ぶが、これは将棋や囲碁の世界では既に完了している。今後は人工知能に人間が太刀打ちできない領域が少しずつ広がり、他の分野でも少しずつ人間が人工知能に置き換わっていくだろう。

 ただしそれは、人間が不要になるという意味ではない。人工知能がいくら将棋に強くなっても、中学生棋士の藤井聡太四段が20何連勝かしているというニュースほどには人を興奮させないのだ。人工知能が人間のプロ棋士相手に50連勝しても100連勝しても、人間はそれにワクワクドキドキすることはできないだろう。人間だけが人をワクワクドキドキさせ、楽しませ、幸せな気持ちにさせることができる。

 もっともこれは、ずいぶん昔から他の領域でも起きている事なのだ。「地上をより速いスピードで移動する」ということなら、人間は馬にはかなわない。その馬は乗用車にかなわず、乗用車は新幹線にかなわない。でもオリンピック100メートル走の金メダリストよりも、新幹線の方が偉いのだろうか? これはものの見方によるわけだが、ひとつだけ言えるのは、より多くの人を興奮させるのはオリンピックの金メダリストだということだ。

 人工知能には無限の可能性がある。でも人工知能の発達によって、人間の活動する領域も広がって行くに違いない。人工知能の将棋プログラムや囲碁プログラムが、新しい定石や布石を生み出しているように、人工知能時代の人間はそれまで考えてもいなかったような新しいライフスタイルを手に入れると思う。それがどんなものかは、その時が来てみないとわからない。でもきっとそれは、今よりずっとワクワクドキドキさせてきれる未来だと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中