黒澤明の映画入門

 著者の都築政昭は1934年生まれで、今や絶滅の危機に瀕しているであろう「昭和一桁世代」だ。黒澤明の多くの作品を、おそらくはリアルタイムで観ているに違いない。「黒澤明 全作品と全生涯」「黒澤明の遺言」など、黒澤明に関する本も何冊か書いている。

 あいにく僕はこの著者の本をほとんど読んでいないのだが、今回の本はあまり面白いと思えなかった。

 黒澤明の著書やインタビューから黒澤本人の言葉を抜き出し、著者がテーマ別に整理して、黒澤明自身にそれについて語らせる……といった趣向の本だ。この狙いは悪くないと思う。しかしテーマの区分が曖昧で、読んでいても切れ味が悪い。黒澤明の語録という素材は極上品なのに、陳列の仕方が悪くて素材をダメにしてしまっている気がする。

 なぜそうなってしまったのか? それは著者が素材に頼り切りで、それをどう料理し、どう献立を組み立てるかという工夫を怠っているからだと思う。(これは編集者の責任でもある。)申し訳ないが、黒澤明という「素材」は、もう鮮度が落ちてきているのだ。亡くなったのは1998年。もう20年近い昔のことだ。

 この本はポプラ新書から出ているのだが、ポプラ社は児童書で知られる出版社。しかしポプラ新書が児童やYA世代向け……というわけでもないらしい。しかしながら、黒澤明の没後18年目(この本は2016年初版)に出される「入門書」ということであれば、これはやはり、黒澤映画にリアルタイムでは接してこなかった若い映画ファン向けの本ではないのか?

 この本に関しては、そうした「本の成り立ち」や「立ち位置」自体が良くわからなくなっている。要するに、この本のコンセプトは何なのかということだ。

 例えばこの本には、黒澤明の作品リストすらない。監督作はたった30本だ。なぜそれを一覧にして、簡単なあらすじを添えて紹介できないのだろうか? かわりにこの本には、「黒澤映画の名作選」として15作品が紹介されている。だがこれにもあらすじはない。これでは「映画ガイド」にならないではないか……。

 この本を読めば、著者が黒澤明に心酔していることはわかる。黒澤明の映画術をほとんど絶対視し、黒澤明を「人間賛歌のヒューマニスト」と持ち上げる。黒澤明の限界も欠点も、一切認めようとしない黒澤明絶対主義者だ。

 黒澤明の映画作りには、他の映画作家にはない強い特徴、個性がある。入念なリハーサルを繰り返して、複数カメラでワンシーン・ワンカットで撮影するのはその最たるものだろう。だが著者はそのメリットや出来上がった映像の素晴らしさについては黒澤の言葉を引いて力説するが、デメリットについては何も言わない。メリットばかりなら、なぜ他の映画監督は黒澤方式をもっと取り入れないのだろうか?

 黒澤明の時代にはフィルム代がやたらかかるという問題があったが、今ならデジタルだから費用はさほどかからない。マルチカメラがメリットばかりなら、同じ方式をまねする映画作家が続出しても良さそうなものだろうに。しかし実際にまねする人が出ないのは、マルチカメラ方式には欠点も多いからなのではないか?

 黒澤明は僕の大好きな映画作家だし(もちろんリアルタイムではないが劇場で全作品を観た)、関連本もいろいろと読んでいる。黒澤明は日本が世界に誇る偉大な映画作家だが、しかしその黒澤明にも欠点はあるし限界もあったのだ。それでもなお、黒澤明の映画は素晴らしい。

 この本を読むぐらいなら、僕は佐藤忠男の「黒澤明作品解題」を薦める。岩波書店の「全集黒澤明」から作品解題だけを集めたものだが、資料的な価値も高いものだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

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