黒澤明と高倉健

 戦後の日本映画界を代表する映画スターの高倉健には、生涯に一度だけ黒澤映画への出演機会があった。それは『乱』(1985)の鉄修理(くろがねしゅり)という役だ。

 黒澤明は「鉄=高倉」というアイデアがとても気に入っていたようで、自作の絵コンテの中でも毅然とした鉄修理=高倉健の肖像画を描いている。だが結局、この話は流れてしまった。高倉健が同時期に準備中だった『居酒屋兆治』(1983)を優先したためだと言われている。

 完成した『乱』では、鉄修理の役を井川比佐志が演じている。決して悪くはないのだが、この役を高倉健が演じていれば、より迫力のある非情な戦国武将になっていたような気がする。

 だが僕は、「高倉健は『居酒屋兆治』を優先して『乱』を断った」というこの話を、最近になって疑うようになっている。高倉健は黒澤映画に出演することに、単に尻込みしたのではないだろうか。

 東映の大スターだった高倉健のことはどの映画現場に言っても、周囲のスタッフもキャストが「健さん」「健さん」と持ち上げてくれる。でも黒澤組に入れば、それはできない相談だ。それに『乱』の鉄修理は主役ですらない。主役は仲代達矢が演じる一文字秀虎で、鉄修理はその次男である次郎正虎(根津甚八)の腹心の部下という位置づけなのだ。

 「健さんはものすごくバリアを張る人で、ぜんぜん男らしくない。“男高倉健”はまったくの虚像です」と断言したのは、今年亡くなった俳優の松方弘樹だ。彼は『昭和残侠伝 吠えろ唐獅子』(1971)に出演して好演したのだが、その初号試写の際、主演の高倉健から演技を揶揄されたのだという。自分の映画で、若手である松方が注目されるのが気に食わなかったのだ。嫉妬して、焼き餅を焼いたのだ。(この話は「無冠の男 松方弘樹伝」に載っている。)

 高倉健は映画のイメージとは裏腹に、じつに繊細な心の持ち主だった。だから黒澤監督からオファーがあったときに、いろいろと考えることもあったのだろう。そして結局、この話を断った。

 もちろんこの時の高倉健は、押しも押されもせぬ大スターだ。しかも主役しか演じない大スターだった。東映から離れた後、高倉健には何本もの映画がある。しかしハリウッド映画の『ブラック・レイン 』(1989)や『ミスター・ベースボール』(1993)、ゲスト出演した『刑事物語』(1982)を除けば、高倉健は主演映画以外に1本たりとも出演していない。

 高倉健が『乱』で脇役として素晴らしい演技を見せれば、その後の彼の俳優人生はまったく違ったものになっていたかもしれない。映画出演の機会も増えて、特に晩年の俳優人生はずっと充実したものになっただろう。だが高倉健本人が、それを望まなかったのだ。「俺は今後も主役一本で行く!」というのが、俳優としての高倉健の選択だった。

 『乱』への出演を固辞した後、高倉健は『居酒屋兆治』の監督である降旗康男とコンビで何本もの映画を撮っている。その中には名作もあるだろう。だが「降籏&高倉コンビ」という安定した世界に閉じこもって、俳優として「いつもの高倉健」を再生産することで一生を終えてしまったような気もする。

 『乱』の鉄修理は、役柄としては『蜘蛛巣城』(1957)におけるマクベス夫人の男版みたいなものだ。高倉健が『乱』に出演していれば、『蜘蛛巣城』の山田五十鈴が忘れがたい印象を刻みつけたのと同じか、それ以上に凄まじいキャラクターになったかもしれない。だが『乱』に高倉健が出ていればと言うのは、『影武者』(1980)に勝新太郎が出ていればと言うのと同じ、映画ファンの夢想みたいなものだ。無い物ねだりなのだ。

 僕が『乱』に高倉健が出演しなかったのを惜しむのは、晩年の高倉健には脇役としてもっといろいろな映画に出演してほしかったと思うからだ。映画界における高倉健の大先輩俳優たち、例えば片岡千恵蔵や大河内伝次郎、嵐寛寿郎などは、晩年に膨大な数の映画に出演して若手のサポート役として貫禄の芝居を見せている。高倉健にも、そうした道を歩める可能性があったはずなのだ。『乱』はその大きなきっかけに成り得る作品であっただろうに。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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