事故は必ず起きるものだが

写真:毎日新聞

 栃木県那須町のスキー場近くで雪山登山の訓練をしていた高校生たちが、雪崩に巻き込まれて8人が死亡した事故。

 事故が起きた後になれば「危ない場所だ」「こんなの人災だ」「死んだ高校生たちは殺されたも同然だ」と非難の声が起きるのだが、得てして事故というのは「起きて当然の場所」で起きるのだ。問題は事故に遭う人たちが、それを「起きて当然の場所」だと自覚していない点にある。

 なぜ「起きて当然の場所」が意識されないのか。それは同じ場所で同じように危険なことをしていても、ほとんどの人は事故に遭わないからなのだ。

 雪山で雪崩の危険がある場所を通行していても、じつはほとんどの人は雪崩に遭わない。それはその場所が「安全である」ということではなく、単に運が良かっただけなのだが、当事者にそうした意識はない。「自分が歩いた時に雪崩が起きなかった」ということは、そのまま「自分が歩いた場所では雪崩が起きない」とイコールになってしまう。

 これは雪山登山に限らない。同じようなことは、日常の至るところにある。

 例えば町の中を歩けば、歩きスマホをしている人を嫌と言うほど見かける。歩きスマホは事故のもとだが、じつは歩きスマホで実際に事故を起こす人はそれほど多いわけではない。少なくとも歩きスマホをしている10人のうち、3人とか5人が重大な事故を起こすというような高いリスクがあるわけではないのだ。

 歩きスマホなどましな方で、町の中では自転車に乗りながらスマホを操作している人も時々見かける。自動車を運転しながらのスマホ操作は、何件かの重大な事故を起こして話題になった。しかしそれによって、スマホを見ながらのながら運転は消えただろうか?

 ほとんどの人は事故が起きて当然のことをしながら、事故を起こさずに日常を送っている。100人が事故が起きても不思議でないことをしながら、事故とは無縁に一生を終えるのだ。警察やマスコミが「統計的なリスク」をいくら力説しても、一般の人間は「経験則」で生きている。経験則が「この場所とこの状況で事故は起きない」と告げれば、人はそれを優先する。

 飲酒運転事故はなぜなくならないのか。それは酒を飲んで事故を起こした人が、それまで何度も飲酒運転をして無事故で済んでいたからだ。「自分は酒を飲んでもちゃんと運転できる」「このぐらいの酒なら運転に支障は出ない」という経験則が、その人を飲酒運転に向かわせる。そして飲酒運転を何度か、あるいは何十回か繰り返した末に、重大な事故を起こすことになるのだ。

 そこに至って、その人はようやく事故の危険を思い知る。飲酒運転の危険を、飲酒運転がもたらす悲惨を、骨身にしみて痛感し後悔することになる。だが、思い知るのは事故を起こした本人だけ。だから飲酒運転事故のニュースがいくらテレビで流れても、日本から飲酒運転は消えない。「自分は大丈夫」と考える人がいるからだ。

 今回の雪崩事故についても、指導していた教員たちは「大丈夫だ」「絶対に安全だ」と考えていたのだろう。だが事故というのは、「大丈夫だ」「絶対に安全だ」と考えるからこそ起きるのかもしれない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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