忖度(そんたく)はあって当然

 テレビでどのチャンネルを回しても、首相夫人である安倍昭恵さん付きのノンキャリア官僚やその問合せを受けた官庁が、首相官邸の意図を忖度(そんたく)して便宜を図ったか否かで侃々諤々の議論をしている。

 まったくバカバカしい。そんなものは、あったに決まっているではないか。

 そもそも「忖度」に悪い意味は何もない。辞書では忖度を次のように定義している。

そんーたく【忖度】
(「忖」も「度」も、はかる意)他人の心中をおしはかること。推察。「相手の気持ちを—する」(広辞苑)

 「忖度」などと言うと難しいことのように思えるが、別に何ということはない。これは「他人の気持ちを察する」とか、「他人の気持ちになって考える」という意味なのだ。

 他人の気持ちを考えるのは人間関係の基本であって、我々は子供の頃から「他人の気持ちを考えろ」とか、「同じことをされたら相手はどう思うか想像してみろ」などと言われて育っている。それができない人間は、「自己中心的で身勝手な人間」として嫌われることになるだろう。

 逆に相手の気持ちを忖度する能力に長けた人は、「気がきく」とか「気配りができる」として高く評価されるはずだ。組織の中で仕事をする上では、常に周囲の求めることを察し、先回りして準備ができる人間がいると大変重宝する。こういう人は「できる奴」として、会社などでも出世していくのではないだろうか。

 日本の中央官庁は日本の中でもトップクラスの「できる奴」の集団だが、首相夫人付きの女性官僚というのは、その中でも特に細やかな配慮ができる人材が送り込まれてくるらしい。要するに「忖度のかたまり」みたいな人たちだ。

 政治の世界も役人の世界も人間集団である以上、そこには何かしらの「情実」がからむ。情のからまない政治は「血の通わない政治」であり、情のからまない役所の仕事は「マニュアル対応」でしかない。政治家や役人の仕事が世のため人のために役立つものになるためには、杓子定規な規定を時として情で乗り越えることが必要になる。

 黒澤明の映画『生きる』(1952)みたいなものだ。

 映画『生きる』は死を前にした市役所の課長が、地域の人々が求める公園作りのために自分の命を削るようにして働く姿を描いている。課長が死んだ後、地域の人たちやマスコミはその死を悼むのだが、市の助役はマスコミに対して「彼は公務員としての仕事をしていただけで、何ら特別なことをしていない。彼のおかげで公園ができたというのは、市役所の仕事に対する侮辱だ」というようなことを言い放つ。

 しかしこうした助役の言葉に、主人公の部下たちは首をひねるのだ。確かに助役の言うことは正しい。死んだ課長は確かに特別なことをしていないかもしれない。事実、役所の課長の権限を越えて何かをしたことはなかった。だが地域の人の陳情に答えて他の部署に掛け合ったり、のんびりしたお役所仕事を急かしたりしたのは、死んだ課長のがんばりがあったからではないか。それは役所に勤める人なら、誰もがみんな知っているだろう……。

 今回の「忖度騒動」についても、僕は似たものを感じるのだ。政府は安倍昭恵さん付きの役人が、安倍首相夫人の意を汲んで特別な配慮をしたことはないと言う。それは公務員として当たり前の問合せをしただけだし、相手の役所もこれまた当たり前の返答をしただけだと言うのだ。本当にそうなのか?

 森友学園の土地取得疑惑に関して言えば、この問題のどこにも違法性はない。法律違反は何もないのだ。(森友学園の補助金不正受給などはまた別の話だ。)しかし法律の枠組みを越えない範囲で、役人たちがいつも以上に一所懸命に仕事をして、森友学園の小学校開設を実現させようとしたのは事実なのではないだろうか。

 役人たちはなにがしかの事柄を「忖度」しただろう。そうでなければこうしたことにはならない。だがそこに忖度があったとしても、それ自体は罪ではないのだ。

 日本維新の会の代表でもある松井一郎大阪府知事は、政府が「忖度はなかった」と言っていることを批判して、「問題に油を注いでいるのは皮肉にも安倍晋三首相だ。『忖度はない』と強弁し続けるからそうなる。忖度はあったと認め、『いい忖度とやってはいけない忖度がある』とはっきり言うべきだ」と述べている。この問題については松井知事の立場も微妙だから「お前が言うな!」とお考えの人もいるだろうが、安倍首相や政府が「忖度はない」と言い続けていることに無理があるというのは事実だと思う。

 安倍昭恵さんは公人なのか私人なのかという問題についても、安倍首相や政府の立場は混乱している。

 安倍首相は「問題に自分や妻が関わっていたなら、自分は首相も政治家も辞める」と国会で断言してみせた。しかし首相夫人が「私人」であって首相の公務と何ら関係がないのであれば、私人としての妻が問題に関わっていたとしても首相が辞任や政治家引退をする必要はないだろう。安倍首相の発言は、「首相夫人は半ば公的な立場である」ということを暗に認めている。「首相夫人は私人である」などと閣議決定してもあとの祭りだと思うんだけどなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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