易の面白さ

 易の面白さにはまりつつある。

 いろいろ参考書も買ったが、結局一番利用するのは岩波文庫の「易経」上下巻と、朝日選書の「易」だ。

 この2種の本はどちらも「易経」の日本語訳だが、正確は正反対だ。岩波文庫版は「易経」の本文だけを訳したもので、それをどう解釈するかという解説はほとんどない。

 それに対して朝日選書版の「易」は本田濟による詳細な解説が入る。この解説は朱熹を中心とした過去の解説や注釈書をもとにしたもので、そこに著者のコメントや批評が時折差し挟まれている。

 どちらも「この卦はこのように解釈できる」という具体的な記述はなく、「易経」の本文に踏みとどまっているのが特徴だろう。僕は最近毎日サイコロを転がして示された卦を解釈しているのだが、その時、この2種の本は解釈の邪魔にならないのがいい。

 「易経」を使った易占というのは、「易経」に示された卦辞や爻辞を手掛かりにして、自分の周囲の出来事を解釈していくものだ。「易経」はコンパスで描く円の中心点であり、そこからコンパスの足をどれだけ大きく開き、歪みのない大きな円を描けるかが易占の楽しみだと思う。

 岩波文庫の「易経」と朝日選書の「易」は、この中心点をしっかりと確保できる本になる。

 角川ソフィア文庫版の「易経」は、本文から十翼を省略したもので、卦辞と爻辞を見るだけならこれでも十分に役に立つ。徳間書店の「易経」(丸山松幸訳)も購入したが、これも六十四卦の象と爻の意味が「易経」本文をもとに噛み砕いた訳になっている。

 易の面白さは、解釈に正解がないことだと思う。易を占いとして見るなら、未来の予想が当たればそれが正解で、外れればそれは間違いということになるのだろう。だが「この卦の意味は何か?」といった抽象的なことがら、特に僕がやっている「本日の卦は?」のような漠然とした問いに対しては、正解などまったくない。

 やっているのは示された卦から「易経」をひもとき、それをどう考えるか知恵を絞るだけだ。例えば「豫の睽に之く」という卦をどう解釈すべきか? 豫の象や卦辞を見て、之卦である睽でも同じことをして、それを付き合わせてストーリーを作る。

 このストーリーに占問者本人の生活を密接にリンクさせた上で、それが過去の出来事であれば「反省」ということになるし、今現在のことであれば「注意事項」になるし、未来のことであれば「占い」になるのが易なのだと思う。

 岩波文庫「易経」と朝日選書「易」はとても参考になるのだが、この2つの本をいくら読んでも示された卦の意味がわかりにくいことがある。その時は「黄小娥の易入門」や水沢有の「すべてがわかる384爻 易占い」を見る。そこに実占家ならではの解釈や占例が載っていて、とても参考になることが多い。

 ただ岩波文庫にしろ朝日選書にしろ、ただ読み物として読んでも面白くもなんともないだろう。これは自分で何かを問うて卦を出し、それを自分で解釈してみるという作業を繰り返しながら読むことで、その面白さや価値がわかるものだと思う。

 「易経」は単に占いの本とするのはもったいないし、かといって占いを離れてしまっても意味のない本だ。それもまた、「易経」の面白さであり不思議な点だと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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