「バカダークファンタジー」としての聖書入門

 架神恭介によるキリスト教三部作の第三部。旧新約聖書66書を全巻読んだ上で、各文書の主要トピックや内容をまとめ、著者がそこに辛辣なコメントをするという内容。

 ちなみにこれに先立つ過去の2冊は、キリスト教史を東映実録やくざ路線風に脚色した「仁義なきキリスト教史」と、より網羅的にキリスト教史のトピックを取り上げた「かわいい☆キリスト教の本」だ。どちらも聖書やキリスト教史の資料をしっかり読み込んだ上で書かれた本になっている。

 この三部作のすべてに言えることだが、著者のキリスト教や聖書に対する姿勢には遠慮がまったくない。信仰の外側からキリスト教の世界にずかずかと土足で踏み込んで、著者の目から見ておかしなものはおかしいと言い、受け入れられないものは受け入れられないとはっきり言いきっている。キリスト教徒から見れば、これはずいぶんと無礼な態度に違いない。

 しかし僕はこれが、架神恭介という作家が書くキリスト教関連本の良さだと思うのだ。

 キリスト教は外部に開かれた宗教だ。中身に隠し事は何もない。信仰の規範となる聖典(聖書のこと)は普通に書店で市販されているし、過去の歴史も、そこで起きた事件も、基本的な教義なども、すべて外部にオープンにされている。一切の隠し立てなしに全部さらけ出した上で、「これが信じられる人はいらっしゃい」というのがキリスト教なのだ。

 部外者が土足でのそのそ中に入り込んでいけるのは、キリスト教がオープンな証拠だろう。信仰の外側にいる人たちがキリスト教について何を言おうと、キリスト教内部のルールでそれを断罪したり攻撃することもない。

 そもそもこの著者の本を読んで、それを批判したり断罪したりすることができるキリスト教徒がどれだけいるだろう。例えば今回の本で言えば、著者は少なくとも聖書を全部読んでいる。しかもただ読むだけではなく、複数の訳を読み比べ、訳注を読み込み、注釈書と突き合わせ、相当にしっかりと読み込んでいるのだ。「聖書は当然読んでます!」というクリスチャンでも、ここまで丁寧に聖書を読んでいる人はそれほど多くないはずだ。

 その上で著者は、ヤハウェはろくでもない神で、それを信じる人たちはボンクラで、イエス本人はちょっとやんちゃでかっこいい兄ちゃんだったものの、その取り巻きは頭の悪いチンピラどもだと断じているわけです。まあ確かに、信仰抜きに聖書を読めば、そういう読み方もありだよなぁ……。

 著者によれば旧約聖書より新約聖書の方がレベルが低く、特にパウロとその弟子筋は最悪なんだとか。パウロに対する批判は痛烈で、それは著者がパウロの各書簡に付けている見出しでも一目瞭然だろう。

  • テサロニケ人への第一の手紙——俺様パウロ! 死者は蘇るよ!
  • コリント人への第一の手紙——俺様パウロ! 俺がルールだ!
  • コリント人への第二の手紙——俺様パウロ! 逆らう奴は許さない!
  • ガラテヤ人への手紙——俺様パウロ! ちんこは大切にな!
  • フィリピ人への手紙——俺様パウロ! 俺への支援は楽しいだろ?
  • フィレモンへの手紙——俺様パウロ! その奴隷、俺にくれ!
  • ローマ人への手紙——俺様パウロ! 人間皆平等! 神に感謝しろよ!

 これ以外にも、「ベスト・オブ・パウロの寝言10選」と「パウロの矛盾一覧」もあるなど、著者のパウロに対する並々ならぬこだわりは、もはや愛と言ってもいいのではないだろうか?

 まあ全編この調子なのだが、この本はキリスト教徒にこそぜひ読んでいただきたい。これを読むと多くの人が「えっ? 聖書にそんなこと書かれてたっけ?」と驚くに違いない。そして聖書を確認して、実際にその通りに書かれていて再度驚くだろう。信仰を通して聖書を読むことで、無意識の内にスルーしてしまったり、思い込みから何となく辻褄を合わせながら聖書を読んでいることがいかに多いことか!

 

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中