道徳の基本は教育勅語にはない

国民の修身

 森友学園への国有地払い下げ問題が連日のように国会で論じられているが、その過程で出てくる学園理事長・籠池氏の言動や、安倍首相と昭恵夫人の行動にはあきれるしかない。

 この人たちは、これで「道徳」だの「愛国心」だのを語っているのだから片腹痛い。国民の多くが今回の事件に「疑惑」を感じているのだが、そうした疑惑が生じるのは、この人たちが疑われるに足るだけのことをしているからだ。

 この人たちは「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という言葉を知らないのだろうか。実際には悪いことをしていないとしても、他人の目から見て疑われるようなことをしないのが君子のたしなみだ。「君子は危きに近寄らず」とも言うではないか。

 国有地払い下げ問題の真相はまだよくわからないのだが、仮にそこに何らかの不正や不当な価格のダンピングがあったのだとすれば、森友学園は国民の財産を不当に安く手に入れたことになる。国民の財産を盗んだのだ。その盗人が語る「道徳」や「愛国心」とは一体何なのか?

 道徳教育の基本はそれほど難しいものではない。それは「上に立つ者が道徳的に振る舞えば、下の者はその徳に感化されて同じように振る舞うようになる」というものだ。幼稚園や小学校で子供たちに道徳や愛国心を教えたいなら、まず学校のトップが道徳と愛国心を備えた者であるべきなのだ。そうすれば言葉で教えなくても、徳に感化されて子供たちも従うようになるだろう。

 道徳や愛国心は理屈ではない。それは目上の者の徳の風に当たって、下の者が草のようになびくのだ。「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」とも言う。下の者を理屈で従わせようとするのではなく、まず上の者が模範を示してやれば下の者はそれに従うのだ。

 森友学園が経営する幼稚園では園児たちに「教育勅語」を暗誦させていたらしいが、教育者に求められるのは子供に「教育勅語」を暗誦させることではなく、「教育勅語」の教えを身をもって示すことだろう。籠池理事長は、自分は教育勅語の教えの通りに生きていると胸を張れるだろうか?

 教育勅語に書かれている徳目が悪いわけではない。もちろん「勅語」という形式そのものが、戦後の日本国憲法にそぐわないという問題はあるのだが、これは問題の本質ではないだろう。問題は「教育勅語を復活させろ」とか「教育勅語は素晴らしい」と言っている人たちの多くが、「教育勅語」の教えを実際には生きていないことなのだ。

 「教育勅語の精神は素晴らしい。子供たちにも教えるべきだ」と言う方々は、まず教育勅語の教える徳目を一通り守るべきだ。教育勅語はこう教えている。

父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ

 今回問題になってやり玉に挙がっている人たちは、首相も含めてこれを守っているとは思えない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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