易占は絶対に当たる?

易経

 Amazonに注文していた徳間書店版の「易経」が届いた。易経本文の訳を読まずに、まず最初の解説だけ読んで思ったのだが、易経というのは何をどう占っても外れがないんじゃないだろうか?

 この本には占筮の心得として、次の3点をあげている。

  1. 占うべき問題については、占う前に十分な考察を加えておかねばならない。
  2. 同じことを二度占ってはならない。
  3. 不正な事柄を占ってはならない。

 3点目は道徳的・倫理的な事柄だから別として、占いの当否に関わってくるのは1番目と2番目だ。特に1番目のことは、こと「占い」に関しては忘れられがちだが、とても大事だと思う。

 これは同じことが柳下尚範の「易入門」にも出てくるのだが、占筮を行う前に、まず占問者と易者がその占問について考え得る合理的な可能性を一通りリストアップするのだ。「易入門」はこれを「筮前の審事」と呼んでいる。

 まずは問うべき事柄について、合理的に理屈で考える。そして答えの可能性を、限りなく小さく絞り込んでいく。その上で「考えてもこれ以上はわからない」というどころまで達したら、そこで易に伺いを立てる。

 これは理屈では答えがわからないことだから、易占でどんな答えが出ても、少なくともその時は「大きく外れる」ということがないだろう。合理を突きつめて考えた末に、占筮という不合理を頼りとするのが易占なのかもしれない。

 でもこれはたぶん、どんな占いでも本来は同じなのだろうけれど……。

 易占には過去の占例というものがたくさんあって、そのどれもが恐るべき的中を見せている。しかしこれは「的中したものしか占例として残らない」ということだと思う。実際には外れる占いも多いはずなのだ。

 易占に関して言えば最初に「筮前の審事」を行っている段階で、易者が第三者として答えを見つけてしまうことが多いのではないだろうか。恋愛や結婚についての相談、職場での人間関係の相談などは、本人がわかっていないだけで、他人が見れば「それはこういうことだろう」と察しがついてしまうケースが多いと思う。ならばどんな卦が出ようと、「こういうこと」を前提とした解釈をすればいいだけだ。

 あるいは「筮前の審事」で考え尽くしていた可能性の盲点を、示された卦が教えてくれることもあるだろう。可能性のA・B・Cをリストアップした後、占いによってより可能性の高そうなDやEが見つかるわけだ。

 易占で得られた卦はかなり幅広い解釈が可能で、ひとつの卦の中に隠れている他の卦や八卦の可能性も検討すると、ほとんど無限の可能性が導かれてしまう。そうした無限の可能性の中から何を選び取り、何を捨て去るのかは、易とは無関係な人間観察の領域なのではないだろうか。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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