韓国という異次元の世界

NHKニュース

 今朝のニュースは、対馬から盗まれた仏像のニュースで持ちきり。

 以下、NHK NEWS WEBから事件のあらまし

5年前に長崎県対馬市の寺から盗まれその後、韓国で見つかった仏像をめぐって、韓国の寺が「日本の倭寇に略奪されたものだ」と主張して仏像を保管する韓国政府に対し引き渡すよう求めていた裁判で、韓国の地方裁判所は26日、「仏像は過去、正常ではない形で対馬に渡ったと見られる」などとして、韓国の寺への引き渡しを命じる判決を言い渡しました。一方、韓国政府は判決を不服として控訴しました。

 何百年も前に「うちの寺から盗まれたものかもしれない」という根拠の乏しい理由で、窃盗団が盗んできた仏像の所有権を主張するというのもそもそも理解できない。

 これについて仏像を盗まれた寺の元住職が、「隣国でありながら異次元の世界が隣にあった」と言っていたが、これは現在日本人の多くが感じる韓国の姿だろう。

 ことは今回の仏像の話だけではない。慰安婦少女像もまた同じだし、集団ヒステリーのように現職大統領を弾劾して側近を吊し上げるのも、日本人にはちょっと考えられない行動に思える。

 そう、韓国は「異次元の世界」なのだ。最初からそう思えば、日本人が戸惑うことはない。

 日本の多くは何だかんだ言って、「日本と韓国は基本的に同じだ」と思っているのではないだろうか。日本と韓国は地理的にも近いし、人種的にも同じモンゴロイドだし、歴史的にも古い時代から交流があったし、歴史的な出来事のいくつかを共有しているし、文化習俗にも似たところがある。それは事実だ。

 だから日本人は何となく、「日本の常識が韓国でも通用する」と思っている。これは韓国のやり方を非難する右側の人たちも、韓国に同情的で理解を示そうとする左側の人たちも、共通する韓国への認識なのだと思う。

 慰安婦少女像や今回の仏像問題で、韓国を非難する人たちはこう考えているはずだ。「韓国は常識が通用しないけしからん国だ。国際的な取り決めやルールがきちんとあるのだから、まずそれを守るべきだろうに!」と。これは「日本人はそうしたルールを守るのだから、韓国人だってそれを守るのが当然だ」という前提があってのことだ。日本人と韓国人は、同じルールを共有していると思っている。だからこそ、そのルールを踏みにじられると怒るのだ。

 一方で韓国に理解を示し、慰安婦少女像や仏像問題でも融和的な態度を取って行こうとする人たちは、「韓国人だってきちんと時間をかけて説得すればいずれ理解してくれるはずだ。日本にだって悪いところはあるんだから、気長に時間をかけて解決していくべきだ」とでも考えているに違いない。これも「韓国人と日本人はきちんと話し合えば相互理解は可能だ」という前提がある。

 でもそれは違うのではないだろうか。韓国と日本との間には、そもそも相互理解がまったく不可能な、深くて乗り越えられない溝があると考えた方が、話はわかりやすくなるような気がする。それを端的に言えば、「韓国は異次元の世界」ということだ。

 相手は異次元の世界の住人だ。だから韓国が無茶苦茶なことを言ってきても、それにまともに反発したり、逆に同情的に振る舞ったりする必要はない。「異次元の住民なんだから、そういう反応もあるだろうなぁ」「異次元のルールではそういう言い分も通るのか」と思えばいい。

 異次元の世界相手に、こちらの世界のルールを無理矢理当てはめようとするから軋轢が生まれるのだ。かといって異次元の世界のルールを容認すれば、こちらの世界のルールを曲げなければならないことも出てくる。異次元の世界のことは異次元の世界のものとして、そのまま受け入れるしかない。

 韓国が「異次元の世界」だとわかれば、慰安婦問題がいつまでもこじれようと、仏像の返還が難しくなろうと、そこに至る韓国人の行動や思考そのものにイライラすることはなくなる。「異次元の世界ではそのように考えてしまうんだから、こちらの世界の常識であれこれ言っても意味ないね」ということになる。

 じゃあどうすればいいのか? こんなものは感情的に反発したり同情したりするのをやめて、ひたすら事務的に対処していくしかない。

 異次元の国である韓国も、国際社会の一員として最低限の共通ルールには従わざるを得ない。それは各種の国際条約などだ。日本はそうしたルールを盾にとって、国際機関と連携して韓国に言うべきことを言えばいいのだ。

 感情的に相手を恫喝しようとしたり、下手に出て懐柔しようとしたりすると、先方の異次元ルールに巻き込まれてひどい目に遭う。相手にこちらのルールや常識を押し付けず、相手のルールや常識に理解を示さず、わずかでも存在する最低限の共通ルールを相手に守るよう圧力をかけるしかない。

 盗難美術品の国際取引についてはユネスコ条約の規定があるので、まずはそれに従って仏像の処遇を決めるのが筋。異次元の国のルールではどうなっているのか不明だが、国内法より国際条約が優先するのが日本の常識なので、まずはそれに則って国際機関を通じて韓国政府に仏像の返還を求めればいいだろう。

 しかし「異次元の世界」というのは、こちらから見れば先方が異次元だが、先方から見ればこちらが異次元の世界だという意味でもある。韓国人から見れば、日本人は自分たちが常識だと考えるルールに従わない異次元の世界の住民になる。

 自分の常識は、相手の常識ではない。相手の常識もまた、自分の常識ではない。双方で話し合いをしても、「こちらの常識が正しい」という結論はまず出ない。「世の中にはいろんな考え方がある」ということを理解し、自分の考え方だけが「唯一無二の常識的な考えだ」と思わないようにするしかないのだ。

 これは韓国に対する態度だけに限らない。他の国との関係もそうだろうし、日々の生活の中で出会う、あらゆる「他者」について言えることだ。我が家の常識は、山田さんの家の常識とは異なる。わたしの常識は、わたしの妻の常識とは異なる。それぞれが小さな「異次元の世界」に住んでいて、何とかかんとか次元のズレを調節しながら生活しているのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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