成人式は誰のものなのか?

成人式

 成人の日には各地で成人式が行われ、毎年のように「荒れる成人式」の様子がニュースで報じられる。

 成人式が荒れるのは、そもそも成人式に対する根本的な誤解があるからだと思う。それは「成人式は新成人のもので、成人式の主役は新成人である」という誤解だ。

 だがこれは大間違いなのだ。成人式についての、辞書的な説明は以下の通りだ。

1.成人の日に、国・地方自治体・企業などが主催し聖人に達した人を祝う儀式。
2.成人に達したことを社会的に認知する通過儀礼。イニシエーションのうちで最も重要なものの一つ。(広辞苑)

その社会で一人前の成員になったことを認める儀式。(現代社会用語集)

 成人式のルーツは、世界各地にある「成年式」だ。これについて百科事典は次のように説明する。

それまで子どもとして扱われていた個人が、一人前として社会から認められる儀礼で、通過儀礼の中でもっとも重要かつ多彩な性格をもっている。(ニッポニカ)

通過儀礼の一つで、子どもから一人前の社会人になったことを公認する儀礼。(ブリタニカ)

男女が一人前になったことを社会的に認める儀式。(マイペディア)

 成人式は地域社会が、新成人を新たな加入メンバーとして受け入れることを表明する式典だ。主役は地域社会。だからこそその地域の自治体が主宰者となり、自治体の施設を使って、自治体の費用で運営がまかなわれている。

 じつは人生の節目となるさまざまな式典には、こうした性格のものが多いのだ。入学式や卒業式の主宰者は学校で、主役は学校の側だ。企業の入社式も、主宰者であり主役となるのは企業の側だ。しかしこうした式典について、「招かれる側が主役」と考える人たちが増えている。いや、むしろ最近は、それが多数派になっているのではないだろうか。

 招かれる側が主役だと思うようになったからこそ、新成人たちは式典の中で「自分らしさ」や「個性」を求めるようになる。式典の主役は自分たちなのだから、首長や来賓の挨拶を長くて退屈で面倒くさいものだと感じても、それが当然のことだと思っている。

 だがそれは間違いなのだ。完全に間違っている。

 成人式に新成人の存在は欠かせないが、じつは成人式の主役は新成人ではない。主役は各自治体なのだから、その自覚を持って、主宰者としての権限で「成人式に参加するにふさわしくない者」は最初から会場に入れなければいい。また会場内で式を妨害するようなそぶりを見せる者がいれば、会場からつまみ出してしまえばいいだけの話だ。

 こうした勘違いは、どうも学校現場から来ているような気がする。例えば素行の悪い生徒が卒業式に規定の制服を着てこなかった場合、式の主宰者である学校はこれを会場から排除することができる。しかしもしここで断固とした態度を取れば、「そのぐらい大目に見ればいいのに」「一生に一度の卒業式から追い出すなんてひどい」と考える人も多いのだ。

 このあたりから、式典における主客転倒の理屈がまかり通るようになったような気がする。

 あらゆる式典の主役は式を行う側にある。参加者は主宰者が期待する態度を取ることが求められるし、それができないなら最初から式に参加すべきではない。それが礼法の基本だと思う。

 「荒れる成人式」の場合、もうひとつ問題がある。それは暴れた人たちの行動が、多くの場合、大目に見られてしまうことだ。成人式に参加するのは「新成人」のはずだが、そこで逮捕者が出てもほとんどの場合実名が報じられることはない。

 最近の成人式は学年単位で行われることが多いので、式当日に19歳の少年少女も参加する。だが当日に仮に「未成年」であったとしても、式典に参加するのは「新成人」なのだから、成人式の妨害に関してだけは実名を報じても構わないという報道協定を結べばどうだろうか?

 新成人が「一人前の大人」にあるまじき振る舞いをし、その報いとして警察のご厄介になったのなら、「大人」としてそれなりの社会的制裁を受けるのが筋だろう。それが嫌なら最初から「大人しく」しているか、式に参加せずに会場外で騒いでいればいいのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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