劣悪な環境に適応する人間

この世界の片隅に

 人間は劣悪な環境に投げ込まれても、そこに積極的に適応してしまう傾向がある。

 劣悪な環境に渋々従っていると、常に対応が後手後手になって辛く苦しい思いをする。それよりも環境変化の先を見越して、その環境でより快適に過ごす方法を考えた方がいいのだ。

 突然雨に降られて立ち往生するよりも、雨に備えて傘を持って歩く方がいい。天気予報で今日は寒くなると言っているなら、いつもより1枚多く着込んで出かける方がいい。雨が降ってからコンビニで傘を買ったり、寒さの前に為す術もなく震えているより、まずは先々の環境に自分から歩み寄るのだ。

 これは天候の変化だけでなく、社会環境の変化についても同じことが言える。その極端な例が戦争だ。戦争になっても人々はその中での暮らしをより快適にするため、積極的に変化に対応しようとした。その様子を映画『この世界の片隅に』は丁寧に再現してみせる。

 食べ物がなくなればないなりに、物がなくなればないなりに、人々は工夫して積極的にその環境に対応し、豊かではなくとも、より快適な暮らしを手に入れようとする。

 じつはここ十何年日本で続いている少子化やデフレというのも、結局はそういうものだと思うのだ。子供がいない世界は寂しいかもしれない。いつまでも給料が上がらない世界も先行きが不安だろう。でも子供がいなければいないなりに、給与が上がらなければ上がらないなりに、人々はその世界に適応し、最適化された生活を送るようになる。それはそれで楽しく、快適で、便利なのだ。

 日本は今後も少しずつ衰退していくだろう。それについて「大変だ大変だ。何とかしなければ!」と政治家が幾ら騒いでも、人々は衰退する社会に適応し、衰退する社会に最適化されたライフスタイルを身に着けるだろう。そしてそれはやはり、そこそこ楽しく、快適で、便利であるに違いないのだ。

 だがその楽しさや、快適さや、便利さは、決して健全なものではない。戦争中に庶民が味わっていた楽しさや、快適さや、便利さが、健全なものとは言えないのと同じだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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