「べっぴんさん」と朝ドラの高齢化問題

べっぴんさん

 NHKの朝ドラ「べっぴんさん」は暗くてジメジメして、朝っぱらからどんなもんだろうと心配していたのだが、最近になって少しずつ「女性たちのサクセスストーリー」としての物語が転がりはじめたと思う。やれやれ、少しだけ安心したよ。

 しかしこのドラマを見ていて気になったのは、朝ドラの高齢化問題だ。朝ドラというのはヒロインと同じ世代の女性視聴者たちの共感を得ることで成立しているのだとばかり思っていたが、それが僕の大きな勘違いだと思い至った。朝ドラのヒロインのような「若い女性」は、じつはほとんど朝ドラを見ていないのだ。

 今回の朝ドラは語り手の菅野美穂が、ヒロインの亡くなった母親という設定だ。主人公が幼い頃に亡くなった母親が、成長した娘を見守り、寄り添い、応援しながら、語り手として物語に参加して行く。この物語は「母親世代の視点から若いヒロインを見守る」という構成になっているわけだ。

 「べっぴんさん」にはヒロインたちに対する共感や感情移入がほとんど感じられない。若者たちは社会経験が乏しく、未熟で、見ていても危なっかしい。それを「大人の目」で見ていればあれこれ言いたいことも出てくるわけだが、このドラマでは語り手がそこに助言や口出しをすることが許されない。このもどかしさが、このドラマを見ている視聴者の視点と重なり合うという趣向らしい。

 かつての朝ドラは……というより、最近の朝ドラも含めて朝ドラの定番の構成というのは、成長して行く主人公に視聴者が自分自身を重ね合わせ、喜怒哀楽を共にするというものだったはずだ。しかし「べっぴんさん」は、登場人物をもっと冷たく突き放している。登場人物たちの感情に視聴者は同期できず、それを他人ごとのように見つめている。

 僕が男性だから余計に強く感じるのかもしれないが、ナレーター(ヒロインの母)がヒロインの夫を「紀夫くん」と呼び、ヒロインの姉の夫を「潔くん」と呼ぶ点に、このドラマのユニークさが象徴されていると思う。このナレーターは常に、主人公たちに対して目上の者の立場から物語を語っている。そしてこれが、ドラマ視聴者の立場でもある。

 「べっぴんさん」にはいろいろな見どころがあると思うのだが、視聴者の高齢化が直接透けて見えるという点で、このドラマは朝ドラ史上に残る存在になっている。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中