旧宮家の復活は憲法違反じゃないの?

竹田恒泰

 先日の「皇室改革を急がないと皇統断絶するぞ!」という記事では、とりあえず「男系の女性天皇」までは早急に認めてしまうべきだろうと書いた。しかし世間の自称・保守派の中には、「旧宮家の男系男子が皇族に復帰する」という案が強く主張されているようだ。

 だが旧宮家の復帰なんてことが、現在の日本で可能なのだろうか? 右派タレントの竹田恒泰などはそれが簡単なことであるかのように主張しているのだが、これは自称・保守派の中だけで通用しているファンタジーではないだろうか。僕自身は、旧宮家の皇族復帰は不可能だと考える。その根拠は憲法第14条の存在だ。

第十四条
1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 日本では貴族が存在しない。家柄によって特別扱いされるのは皇族だけだ。旧宮家の血を引いた一族であるという理由だけで皇族という特別な身分に取り立てられるとすれば、それは憲法が禁じる「門地による差別」に他ならないのてはないだろうか。

 旧宮家が皇族から離脱したのは、終戦後の1947年だった。今から69年前だ。この時に皇族から一般国民になった人は、最も若い人でも70歳前後の老人になっている。こうした人たちが皇族に復帰しても、もはや皇統の継承には何の影響も与えられない。

 もちろん自称・保守派が「旧宮家の復活」と主張しているのは、69年前に皇族を離れた人たちを皇族に戻せということではない。69年前に皇族を離れた人たちの子供や孫を、新たな皇族としてロイヤル・ファミリーの一員に加えろと主張しているのだ。「先祖が皇族ならその血を継承している者は皇族になる資格がある」という理屈だ。

 具体的に考えてみよう。

 タレントの竹田恒泰は「旧皇族」を自称しているようだが、1975年生まれの彼自身が皇族だったことは一度もない。彼の父の竹田恆和も竹田宮家の皇室離脱直後に生まれているので、やはり皇族だったことは一度もない。仮に竹田恒泰やその子供が皇族に復帰するなら、それは憲法が禁じた「門地による差別」になってしまう。

 旧宮家の復活には、憲法改正が必要になる。しかし「門地による差別」を容認するような憲法改正が、現在の日本ではたして認められるだろうか? それはまず不可能だろう。

 では旧宮家の男系男子に皇位を継承させることや、皇位継承者にそうした者を加えることはまったく不可能なのか?

 これは皇室典範の改正によって、可能になるかもしれない。

 具体的には、現在皇室典範の9条で禁止されている養子を解禁すればいいのだ。その上で女性皇族しかいない宮家に、旧宮家の血を引く外部の一般家庭から男子の養子を迎えればいい。養子を取って宮家を継承するにあたっては皇室会議の承認を得ることとして、その内規で「旧宮家の男系男子からの養子のみを認める」などとしておけばいいだろう。

 自称・保守派の中には「旧皇族の家に生まれた男系男子を未婚の女性皇族と結婚させればいい」などと言っている人もいるが、未婚の女性皇族は一般人と結婚した時点で皇族を離れてしまうので、相手が旧皇族であろうと誰であろうと無意味な話だ。もしそうした形で男系男子の血筋を皇族内に残そうとするなら、やはり養子を解禁して結婚相手に宮家に入ってもらうか、女性宮家の創設しか道はない。

 なお女性宮家の創設について憲法14条違反だという意見を見かけるのだが、この根拠が僕にはよくわからない。皇族の資格は皇室典範に記されているので、それを改正すれば結婚後も内親王や女王が皇族の身分に留まることは可能だろう。少なくとも法的な手続きとしては、憲法改正が必要になりそうな旧宮家の復帰よりはるかにハードルが低いものだと思う。

 しかし「旧宮家の子供を女性皇族しかいない宮家に後継者として迎え入れる」にしろ、「未婚の女性皇族と旧宮家の家に生まれた男性を結婚させる」にしろ、こんなものは「旧宮家の復活」と同じレベルのファンタジーだ。「そういう方法も考えられるよね」という机上の空論に過ぎない。これらのアイデアを国民的な議論の場で討論し、世論として盛り上げて行くには少なくとも十数年はかかるだろう。

 だがその十数年の内に、現在の皇室はひどく痩せ細ってしまうのだ。これは避けた方がいい。議論の時間を稼ぐためにも、まずは「女性天皇の是非」と「一代限りの女性宮家創設」の議論を急いだ方がいいと思う。

 僕自身は「女性天皇もあり」で「将来的には女系天皇が現れても仕方がない」と思っているのだが、心情的には伝統重視の保守主義者だから、「男系男子が天皇である!」という理屈もわかるのだ。だがその「男系男子の天皇」を実現するためには、議論のための時間が必要になる。そしてその時間は、もう限られたものになっているのだ。「女性天皇」と「女性宮家の創設」は、議論のための時間を作る数少ない道だと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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