マインドフルネスは目的地ではない

Buddha

 最近は気が向くとNAVERまとめを作っているのだが、先日は「5分でわかるお釈迦様の教え(仏教の基本教義)」というまとめを作ってみた。その前に「5分でわかるキリスト教の基本教義」というのを作っていたので、その続編かシリーズものみたいなまとめだ。

 仏教のまとめと言っても、中身は四諦(したい)と八正道(はっしょうどう)についての簡単な紹介だ。四諦については以前もこの日記で「仏教の「四諦」についてのメモ」という記事を書いたことがあるのだが、そこでは八正道が後まわしになっていたので、今回改めてまとめられたのは良かったと思う。

 八正道は、仏教の「実践」について8つの方法を述べたものだ。おそらく釈迦が直接説いた教えにさかのぼれるのではないだろうか。仏教の中ではもっとも古い、基本的な教えだ。

 釈迦の説いた仏教の基本的な考え方は、四諦にまとめられている。苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)だ。世界はすべて苦しみであるという現状認識が苦諦、苦しみには原因があるという分析が集諦、苦しみの原因を消し去れば苦しみも消えるという理論が滅諦、ではどうすれば苦しみの原因を消し去れるのかという実践が道諦なる。

 この四諦は説明のために、さらに詳細に論じられている。例えば苦諦については四苦八苦の教えがあるし、集諦と滅諦については十二縁起や十二因縁がある。道諦について詳細に論じたのが八正道。(仏教というのはどうも4の倍数が好きだ。四諦、四苦八苦、十二縁起、すべて4の倍数になっている。)

 この八正道は仏教のもっとも基本的な修行法なのだが、それは正見(しょうけん)・正思惟(しょうしゆい)・正語(しょうご)・正業(しょうぎょう)・正命(しょうみょう)・正精進(しょうしょうじん)・正念(しょうねん)・正定(しょうじょう)の8つだ。このうち正念と正定は瞑想修行のことを意味している。

 正念はパーリ語の「サティ」が原語で、意味としては「気づき」のこと。英語だとマインドフルネス。最近世間で流行しているマインドフルネス瞑想は、じつは八正道の中から「正念」の部分だけを取り出したものなのだ。

 仏教におけるマインドフルネス(正念)は、瞑想修行の目的地ではない。この先にさらに「正定」という別の瞑想があり、しかもそれすら仏教者が修行によって目指す「悟り」とは別の物なのだ。八正道はあくまでも悟りに至る通過点であり、マインドフルネス(正念)だけができたとしても「それがどうしたの?」という話に過ぎない。

 マインドフルネスで人生が変わるとか、仕事がバリバリできるようになるということは、たぶんないのだと思う。マインドフルネスを通して身に着けた心の整え方や物事の見方を、他の分野に応用しては初めてマインドフルは実生活の役に立つ。仏教なら仏道修行のための八正道にマインドフルを位置づけるわけだし、GoogleではSIYというプログラムを作って、マインドフルネスの技術を日々の仕事の中に生かす訓練を行っている。

 八正道については仏教の入門書に必ず書かれているものなのだが、読んでいてもよくわからないことが何度もあった。「正念とは正しく念じること」とか「正定とは正しい座禅」などと言われても、そもそも念じるということが何なのかわからない。このあたりはもう少し勉強しなければ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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