キリスト教がサブカルだろう

ministry-31

 キリスト新聞社の雑誌「Ministry」の最新31号は、「サブカルチャー宣教論 ニッポンの教会が見出す新たな地平」という特集を組んでいる。全92ページのうち20ページが特集というのは、かなり力が入っていると思うのだが、読んでいて何かボタンの掛け違いのような印象がある。

 少なくともこの日本において、キリスト教自体がサブカルチャーなのだ。その事実が、この特集からは抜け落ちているような気がする。「いやいや、キリスト教はメインカルチャーだよ」と言う人がいるかもしれないが、それは海外での話だ。日本ではだいぶ様子が異なる。

 サブカルチャーの辞書的な定義は次のようなものだ。

ある社会に支配的にみられる文化に対し,その社会の一部の人々を担い手とする独特な文化。例えば,若者文化・都市文化など。副次文化。下位文化。サブカル。(三省堂 大辞林)

 日本社会ではキリスト教が支配的な文化になったことがない。しかし日本社会の中でも1%未満と言われる一部の人々を担い手として、独特な文化を形成しているわけだ。これは完全にサブカルの定義を満たしているではないか。

 この特集で取り上げられているサブカルチャーは、マンガ、アニメ、ラノベ、特撮などの、いわゆる「オタク文化」のことだ。じつは日本におけるサブカルは「オタク文化」と大部分が重なり合っていて、本来の意味から少しずれている。だから日本ではキリスト教自体がサブカルであるにも関わらず、「キリスト教とサブカル」という対比が成り立ってしまうわけだ。

 でもこれは、じつは対比すべき関係ではない。日本でキリスト教の「サブカルチャー宣教論」を考えるのであれば、キリスト教と「オタク文化」の関わりを考えるのもいいが、「キリスト教自体がサブカルである」という前提で宣教方法を模索することがあってもいいような気がするんだけどな……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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