日本映画と反戦思想

この世界の片隅に

 映画『この世界の片隅に』を観てきた。映画の感想は映画瓦版に書くことにするが、これはスゴイ映画だと思った。主人公すずの声を担当したのんも、場にまったく馴染んでいない感じがむしろキャラクターに合っている。たぶんこれが監督の狙いなんでしょうね。

 Togetterに「映画やフィクションで反戦思想を押し出すべきではない理由」というまとめが出来ていて、それに少しコメントもしたんだけど、あまり長々とコメント欄を占有してしまうのもどうかと思うので、こちらに自分の考えを書いておく。

 日本映画界ではかつて「反戦映画」を大量に作っていた時代がある。例えばそれは『きけ、わだつみのこえ』(1950、1995)であったり、『ひめゆりの塔』(1953、1982、1995)であったり、『雲ながるる果てに』(1953)であったり……。タイトルをあげていけば、それこそきりがないほど大量に作っている。

 反戦映画が作られ始めたのは昭和20年代。まだ日本のあちこちに戦争の傷跡が残っていた時代だし、当時社会の第一線で働いていた人たちの多くは従軍経験があった。『きけ、わだつみのこえ』にしろ『ひめゆりの塔』にしろ、そこに登場する主人公たちと同世代の観客が劇場に詰めかけて、「自分もまかり間違えばああなっていたのだ」という同時代の共感を通して映画を観ていたわけです。

 「もはや戦後ではない」という言葉は1956年の経済白書に登場して有名になるわけですが、戦争の傷跡は社会のあちこちにまだ生々しく残っていたわけです。日本中に戦災のあとはまだ残っていたし、家族を戦争で亡くした人は社会のどこにでもいた。軍隊経験者は集まれば戦争の思い出話をしているし、町の中では白い服を着た傷痍軍人が物乞いをしていた。戦争は過去の出来事ではあったけれど、それはすぐ身近な過去の出来事だった。

 1970年(昭和45年)に発表されたジローズの「戦争を知らない子供たち」は、戦争をいまだに引きずっている社会に対する「戦争はもういいじゃん」という世代の問題提起でもあった。これが敗戦から25年、四半世紀たっている。この曲は大ヒットしたけれど、一方で袋叩きにも遭ったらしい。それは当時の大人たちの大半が、まだ「戦争を知る世代」だったからです。

 戦後の日本の戦争映画は基本的には「反戦映画」です。反戦を前面に押し出さない『独立愚連隊』(1959)や『兵隊やくざ』(1965)のような娯楽映画であっても、「戦争の非人間性」や「残虐性」は当然の前提になっている。それは当時の日本人にとって当たり前の事実であって、それを無視して戦争映画を作ることは出来なかったわけです。

 当時は戦争映画に対して「戦争反対のメッセージがない」とか「日本の加害責任の追及が足りない」という批判がしばしば行われたわけですが、それは反戦思想とか、ましてや反日宣伝とか、そういうことじゃないのです。「戦争は嫌だなぁ」「戦争はひどいよね」という気持ちが共有できない映画から、当時の観客は「戦争のリアリティ」が感じられなかったのです。それは思想の問題ではなく、気分や気持ちの問題です。思想などという、そんなご大層なものではないのです。

 僕なんかは昭和40年代生まれだし、本当の戦争なんて当然知らないわけだから、当時の日本映画にあった「厭戦気分」や「反戦気分」は、自分の感覚には合わなくなっていた。矢作俊彦と大友克彦の「気分はもう戦争」が大ウケしたのが1980年代です。厭戦や反戦の「気分」を、これで中和させていたのでしょうね。

 1980年代までは、日本の映画やテレビの現場には本物の戦争経験者がいたわけです。製作予算などの関係で日本映画の戦闘シーンはチャチだったし、軍装品なども本物が使えないから間違いやごまかしが多いし、ミニチュア特撮はいかにも作り物だったりするけど、それでも細かな描写は「本物」のニオイが残ってます。でも1990年代以降は、現場から戦争経験者が消えて行く。スタッフも出演者も戦争を知らない人が大多数になり、それを観る人たちも戦後生まれがほとんどになった。

 それでも日本映画や日本のテレビドラマは、戦後に作られた「反戦気分」や「厭戦気分」という戦争映画のフォーマットを踏襲し続けたわけです。戦後生まれの作り手はそんな気分をリアルには味わったことがないし、観客だってそんな気分を自分の体験としては知らない。でも「戦争映画はこういうもの」「戦争のドラマというのはこういうもの」という先入観が、作り手にも観客の側にも残っていて、それを誰も疑わなかったわけです。

 たぶんこれは、今でも日本の映画やドラマの世界に残っている「先入観」だと思います。これは反戦思想ではないのです。規定のフォーマットを無批判に受け入れ、それを忠実になぞっているだけで、そこには何からの思想もメッセージもないのです。

 こうの史代の「夕凪の街 桜の国」と「この世界の片隅に」は、リアルな戦争など知らない戦後世代の作者が、同じくリアルな戦争を知らない戦後世代の読者に、いかにして「戦争のリアル」を伝えられるかに挑戦した作品です。でも田中麗奈と堺正章が出演した映画版の『夕凪の街 桜の国』は、「反戦気分」という規定のフォーマットを守って失敗していると思うし、ドラマ版の「この世界の片隅に」(僕は未見)は確たる評価も受けないままに、今では忘れられた存在になっています。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

日本映画と反戦思想」への1件のコメント

  1. ピンバック: 戦争の記憶と反戦映画(または反戦ドラマ) | 新佃島・映画ジャーナル

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