老後が下流でもいいじゃないか

PRESIDENT

 「老後に◯千万円の貯金がないと生活が破綻する」といった類の記事を、あちこちで見かけることが多いような気がする。それらの記事によれば、何千万だか何億だかの老後資産が準備できない人たちは、これまで守ってきた中流の生活から下流へと転落するらしい。

 でも「下流老人」になるリスクがそれほど高く、実際に下流に転落してしまう人が多いのであれば、日本社会は「老後に備えて◯千万の貯蓄」に励んで中流にしがみつこうとするのをやめて、「老後は下流になる」ということを前提に人生設計をするような仕組みに変えて行くしかないのではないだろうか。現役時代と同じような生活とお金の使い方をしていたら、収入のなくなった老後は消費する一方だからお金は減るばかり。でも「現役時代とリタイア後は違うのだ」と頭を切り替えれば、それなりに何とかなるような気もするんだけど……。

 例えば江戸時代には使用人を十人以上抱える大店の主人を例外として、商売を子供に譲って引退した年寄りは郊外の借家や裏店の長屋に住まいを移してひっそりと暮らしたようだ。落語に登場する「ご隠居さん」というのは、まさにそういう人たち。彼らは子供たちからわずかばかりの小遣いをもらって日々の暮らしを送り、あとはあまりお金のかからない趣味で時間を潰したのだ。

 江戸時代の趣味でよく知られているのは俳諧で、これはまったくお金がかからなかった。あとは盆栽や植木などの園芸。これもさほど金がかかるわけではない。あとは芝居見物とか、端唄や小唄、義太夫、三味線、詩吟、お茶やお花などの芸事。これらは今は多少金のかかる趣味になってしまっているが、当時は参加人口が多かったし、お師匠さんも大勢いる身近な習い事だった。今よりはずっとお金がかからなかったのではないだろうか。こうした「金のかからない趣味」も、それを洗練させていけば「江戸の粋」になるのだ。

 日本も今後は江戸時代に倣って、老人たちは金のかからない趣味を探して洗練させていった方がいいような気がする。俳諧、園芸、芸事といった、江戸の模倣に向かうのもひとつの方法だが、他にも自主的な読書会や勉強会、町内会への積極参加、NPOへの協力、地元の学校でのボランティア、地元のお寺や神社や教会での宗教活動など、お金はかからないけれどできそうなことは山ほどあるはずだ。

 もちろん生きていく上で最低限の衣食住は必要になる。それは年金なり蓄えなりで、まず何とかするしかない。でも年をとれば流行のファッションを追う必要はないし、食事もそれほどたくさん食べることはなくなる。衣と食については、ずっと節約できるようになるのだ。住まいの面については、日本中でやたらと空き家があるのだから、行政の支援次第(空き住居の斡旋など)では住居コストもどんどん下がって行くに違いない。それで「老後資金が◯千万」と慌てる必要はないのではないだろうか。

 日本社会はどんどん老化して衰退していく。ならばそれに見合った社会の仕組みを、日本全体で考えていくべきだろう。下流老人で大いに結構。「老後資金が◯千万」といった話題は、どうもそれとは逆行した話のように思えてならない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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