佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?

佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?

 最近はキリスト教関連の著書も多い佐藤優と、動物行動学者の竹内久美子の対談本。タイトルが「佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?」で、副題らしきコピーが「宗教と科学のガチンコ対談」。これはがっぷり四つに組んだ真剣勝負の相撲が見られるかと思ったら、中身は馴れ合いの八百長プロレスみたいな内容だったことに少し拍子抜けしてしまった。

 馴れ合いのプロレスが悪いわけではない。互いの得意技をご見物に披露するのは、興行という面では不可避なことだからだ。しかしそれはやはり、ガチンコ(真剣勝負)と呼ぶべきものではないと思う。

 この本で言えば、キリスト教徒である佐藤勝に対して、科学者の立場からがんがんツッコミが入って行くことを読者は期待するだろう。「天国はあるのです」「エビデンス(科学的根拠)を見せて」という表紙帯のコピーにも、そうした真剣勝負を煽ろうとする出版者側の意図を感じる。だが対談ではこれが盛り上がらない。対話はうまく噛み合わないまま、両者が互いの得意とする論を披露して終わってしまう。

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 例えば著者たちはドーキンスの「神は妄想である」を引き合いに出しながら、科学と宗教の関係について語り合う。ここでは両者がわりと互いの領域に踏み込んだ発言をしているのだが、どちらも相手の批判をスルリとかわして逃げてしまう。例えば「神は妄想である」という宗教に対する批判に対して、佐藤優は「妄想として簡単に片付けるような神は、近代以降の神学で考えられている神ではない」とか、「人格神を奉じる宗教はもはや主流ではない」「神は超越的なるものであり外部性だ」などと言って議論を打ちきってしまう。佐藤優曰く、これは「趣味の問題」なのだそうだ。これではこれ以上切り込みようがないだろう。

 結局このふたりは、本書の中でやや批判的な紹介されているスティーブン・J・グールドの「ノーマ(NOMA/重複することなき教導権)」の枠内で発言しているようにも見えるのだ。エビデンスに基づく竹内久美子の話を、佐藤優は面白そうに聞いているし、事実これは読んでいて面白い。だが信仰の領域に切り込まれると、「趣味の問題」に逃げてしまう佐藤を、竹内は深追いしようとはしない。また佐藤がドーキンスを批判すると、「神は妄想である」は読者を限定している本だと、やはりこちらも逃げてしまう。互いに相手の領域には踏み込まず、取っ組み合いの肉弾戦になる前に、遠くから声を掛け合っているようなものだ。(これではプロレス未満だが、リングサイドのマイクパフォーマンスもプロレスのうちかもしれない。)

 というわけで佐藤優のキリスト教論を期待すると物足りないのだが、動物行動学のさわりを紹介する竹内久美子の弁舌は軽やかで興味深いエピソードも多い。竹内久美子の他の本は読んでみても面白いかも……と思わせる本だった。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 読書

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