高校生が感動した「論語」

高校生が感動した「論語」

 最近はすっかり論語の権威になっている佐久協だが、これは著者の論語本の中では最初に書かれた本のようだ。発行は2006年だから、今からちょうど10年前。高校の国語教師を定年退職した著者による最初の本だが、じつは著者はその数年前から何冊か本を出していて、それは論語とはまったく関係のないものだった。またこの本の後も、何冊か論語以外の本を出している。書き手として試行錯誤しながら、それでも論語という鉱脈を掘り当てたわけだ。

 孔子は50歳過ぎからようやく評価されるようになった遅咲きの人だったらしいが、著者も60歳過ぎになって注目されるようになった遅咲きの人物。孔子は政治家から教育者になったが、著者は教育者から著述家になった。しかしその言葉の中には、彼自身の教育者としての経験が十分に生かされている。

 論語は長短500以上の文章で構成された、孔子の言行録、弟子の語録、それらに関連するエピソード集だ。本書はその中から377を選び出し、項目別に再構成している。著者による新たな訳文は太字で印刷されているが、通常であれば註に入れる説明や、編者の解説と解釈も本文に織り込んだ敷衍訳。そこだけ読んでいても、意味がわかりやすいものだ。随所に解説やコラムが挿入されているのも、読み物としての気分転換になっている。

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 論語の中の言葉がもともとどんな意図で現在の配列になっているのかは諸説あるのだが、論語を読んだことのある人なら、内容に繰り返しが多いことや、その言葉が述べられた背景がわかりにくいことなどには心当たりがあると思う。この本では語録を内容別に整理し直して、似たものを集めているのがユニーク。これによって、孔子が弟子たちから同じ質問を受けても、相手によって言い方を変えていることがよくわかったりする。

 著者は孔子の死後に弟子グループの後継者となった曾子(曾参)について、かなり手厳しい評価をしている。孔子は道徳を語っていても、それを通じて天下国家のあり方を論じている。しかし曾子はそれを個人の道徳修養のレベルに矮小化してしまった。

 だが著者が本書冒頭で述べているように、それには時代的な背景もあったのではないだろうか。孔子が活躍したのは春秋時代から戦国時代に差し掛かる時期で、世の中には講師が求める徳治政治が受け入れられる余地がありそうに思えた。だが時代が移り変わり戦国時代に入ると、国と国との覇権をかけたパワーゲームの中で「道徳による国造り」を主張する儒家の主張は受け入れがたいものになっていく。孔子の後継者たちにとっては、不遇の時代がやって来るのだ。

 著者自身の長年の研究と実践が、論語という古典の解釈に十分に反映していることがよく伝わってくる本だ。著者の他の論語関連本も、機会があれば読んでみたいと思わせる。

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