来年は日本国憲法の公布から70年

日本国憲法

 2015年最後の記事として何を書こうか考えたのだが、憲法について思うところを書いておきたい。今年は安保関連法案の審議の中で、「憲法とは何か?」が問われた年だったと思う。これは「近代とは何か?」や「国家とは何か?」という話にも関わってくるものだし、憲法で保証されている基本的人権との関わりの中で「人間とは何か」や「人間にとって幸福とは何か」といった話にもつながっていく結構大きな話題なのだ。

 安倍首相は憲法改正に向けての意欲満々で、来年の参院選ではこれをひとつの争点にしたい意向のようだ。自民党の憲法草案はあちこちで批判されているが、そうしたことも含めて、来年の前半は憲法について考えることを増やしたいと思っている。

 安倍首相をはじめとする「自称保守派」は日本国憲法が大嫌いらしいが、日本人は1947年の憲法施行から70年近くこの憲法のもとで生活しており、日本国憲法の作り上げた国家の枠組みや法律体系、基本的な物の考え方などは、すっかり日本社会の中に根を下ろしている。既にこれが、日本にとっての「伝統」なのだ。

 日本は近代に入ってから2つの憲法を持つことになった。ひとつは1890年(明治23年)に施行された大日本帝国憲法(明治憲法)で、これは1947年に日本国憲法が施行されるまで57年間に渡って使われた。しかし現在の日本国憲法は、施行から今年で68年。大日本帝国憲法より既に10年以上長く使われている。これを日本人にとっての「伝統」と言わずして、いったい何を「伝統」と言うのだろう。

 ちなみに「自称保守派」が日本の伝統だと主張する夫婦同姓は、1898年(明治31年)に民法で規定されたもので、現在まで117年の歴史を持っている。これを「守るべき日本の伝統」とするのであれば、70年近く使われている日本国憲法だって「守るべき日本の伝統」として尊重すべきだと思うのだけれど……。

 現在日本で憲法を改正したい人たちは「保守」を自称しているものの、憲法に関しては「戻るべき伝統」を持たない人たちだ。彼らは「押し付けられた日本国憲法を破棄して、一度明治憲法に戻せ」と主張しているわけではない。70年近く日本の国と国民の生活を支えてきた現在の憲法を、伝統とはまったく無関係に新しい内容に書き換えようとしているのだ。こんなでたらめな「保守」が、あっていいはずがないと思うんだけどね。

 ま、そんな話を来年は自分のテーマにしたいと思っています。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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