教育勅語は復活できるか?

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  自称保守派の人たちは、教育勅語が大好きだ。教育勅語とは1890年(明治23年)10月30日に発布された「教育ニ関スル勅語」のこと。以下Wikipediaの記事に沿って内容を紹介すると、次のようなものになる。

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日   御名御璽

 そもそもこんなものは既にフリガナがないと読めないわけだが、内容は儒教思想をベースにした道徳教育の基本方針みたいなものだ。ここで取り上げられている徳目は、以下の12の徳目なのだという。

  1. 父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
  2. 兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
  3. 夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
  4. 朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
  5. 恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
  6. 博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
  7. 學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
  8. 以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
  9. 德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
  10. 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
  11. 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
  12. 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

 まあこうした徳目についても「こういう場合はどうだ?」などといちいち目くじらを立てる人がいるのは確かだろう。例えば「親に虐待されている人にも『父母に孝に』を強制するのか」とか、そうした話だ。でもこうした徳目は原理原則ではあっても、例外を一切認めない硬直したものではない。「父と母を敬え」はモーセの十戒にも含まれる、道徳の根幹だもんね。ここに書かれていることで、ことさら強く反対しなければならないことは特にないと思うけど……。

 教育勅語が掲げる徳目に文句はないのだが、じゃあ教育勅語そのままではないにせよ、こうした道徳の基本を子供たちに教えればいいのかというと、僕はそれに疑問を持ったりするのだ。子供に徳目を教えればそれに従うかというと、そんなことは起こらない。子供たちは、その徳目を教える教師たちの日頃の態度や振る舞いを見る。そこに教えている徳目に反するものがあれば、子供は「これは守らなくてもいいのだ」と判断する。

 儒教の考え方の基本は、「上に立つものが人間として正しい姿を見せれば、下のものはそれを真似て正しく振る舞うようになる」というものだ。あれこれ教えても無駄なのだ。それよりも、自分がまず手本となるように振る舞う方がよほど効果がある。

 論語に「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」という有名な言葉がある。宇野哲人の「論語新釈」はこれを次のように訳す。

一般の人民は上の感化によって人の行うべき道を行わせることはできるけれども、何故(なにゆえ)にかく行うべきかを知らせることはできない。

 教育勅語の徳目が国民に必要だと思うのなら、政治家たちはまず自らがそこに書かれている徳目を実践して国民に示せばいいのだ。その姿に人間としての魅力が感じられれば、一般の人もそれに憧れてまねをするだろう。それが、儒教道徳というものの基本的な考え方だ。「いやいや、それは理想論であって、実際はそんなことあり得ないよ」というのなら、それは儒教の基本的な考えを否定しているのだから道徳教育なんて最初からあきらめるべきだろう。

 さて、では最近の政治家たちを見て、彼らは教育勅語の求める徳目を満たしていると言えるだろうか? 「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」をWikipediaの解説は「法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう」と広く解釈しているが、文字通りの意味は「常に憲法を重んじて、国の法律に従いましょう」だ。

 しかし自民党は憲法を無視して安保関連法を国会で可決させ、野党の要求があっても臨時国会を開かなかった。下着泥棒の疑いがかけられていた大臣には選挙違反の疑いもかかっているが、本人は議員辞職どころか大臣を辞任するつもりもないという。

 これで「教育勅語の復活」なんて、どんな悪い冗談なんでしょうね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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