「やくざと芸能と」を読む

やくざと芸能と

 なべおさみの自伝エッセイ「やくざと芸能と 私の愛した日本人」を読んだ。勝新太郎についての本を何冊か読んでいる中で、この本が検索に引っかかって何となく読んでみたのだ。

 読んでいて、なんだか困った本だと思った。タイトルとは裏腹に、中身は自分の生い立ちを語った部分が半分、芸能界入りして以降の自分の体験談や裏話が残りの大部分で、やくざと芸能の歴史的な関わりについて独自の思いつきを語った部分が少しある。

 正直言って、自費出版された素人の本を読んでいるような気分になった。プロの編集者の手が入っているとはとても思えない。文章のスタイルはバラバラだし、事実関係の単純な間違いなどもある。

 タイトルの由来になっているであろう「やくざと芸能の関わり」についての部分も、論じている説の前提が「日ユ同祖論」や「日本語ヘブライ語起源説」だったりするので、内容的にはまったくお話にならない。しかもそれを誰かの受け売りで語るならまだしも、どこかで聞きかじった知識を自分で勝手に肉付けしてふくらませ、独自理論を語っているから始末に負えない。(ヤクザも役者もヘブライ語が語源なんだってさ!)

 自分自身のヤクザとの「黒い交際」を臆面もなく語り、自分と面識のあった名の知れたヤクザの大物たちを「本物の男だ」「人間として素晴らしい人たちだった」と諸手を挙げて称賛してしまうのもいかがなものかと思う。

 「俺も昔はワルだったんだよ」とばかりにチンピラ体験を自慢げに語る様子も鼻につくし、有名芸能人や政治家たちの子分をしていたことを誇らしげに書いているのもバカじゃなかろうかと思う。

 でも本をあらかた読んでしまってから思ったのだ。この徹底的に中途半端なところが、なべおさみという著者の個性であり生き方なのだろう。

 彼はヤクザに憧れるが、結局はヤクザになれなかった。役者になったが、タレントとしては名が売れても役者として一流にはなれたとは言えない。政治家の選挙を手伝って日本中を飛び回ったが、政治の世界で生きていくわけでもなかった。

 あちこちに顔を出していろいろな世界で与えられた役割をそつなくこなし、玄人はだしの活躍をしていたのがなべおさみだ。でも完全な玄人にはならないで、その前で踏みとどまってしまうようなところがある。器用な人なのだろう。頭のいい人なのだろう。でも器用で頭がよすぎる人というのは、大成しないのかもしれない。むしろ少し不器用な人の方が、脇目も振らず愚直にひとつの道を真っ直ぐに突き進んで一流になるように思う。

 しかし考えてみれば、世の中のほとんどの人たちは、あちこちよそ見をしたり、立ち止まって道草を食ったり、近道だと思って脇道に入ったら行き止まりだったりして、持てる才能や力を100%は出し切らぬまま人生を終えていくのだ。なべおさみという人は、考えようによってはそうした「普通の人たち」の代表みたいなもの。

 自分では何もなさないまま年をとり、「若い頃の俺はワルでよぉ」とか、「俺は大物の◯◯さんと親しくてよぉ」などとつい自慢話をしてしまう。気持ちはわかる。でもそういう話って、他人には特に面白くもないんだよね……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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