日本は移民を受け入れるべきだ

石破茂

写真:Huffingtonpost

 自民党の石破茂地方創生担当大臣が、11月24日に東京内幸町のフォーリン・プレスセンターで会見し、その中で日本の移民受け入れを考えるべきだと発言したことがニュースになっている。(参照

 「人口が減る中で、移民の方々を受け入れる政策はさらに進めていくべきだ。外国人が日本に来るのはだめというのはおかしい」

「言葉、習慣など、お互いに違和感を持つことがないような施策をやっていくことが必要だ。また、安い賃金で働いていただくことはあってはならない」

 僕はごく常識的なことを述べているだけとしか思えないのだが、これに対しては自民党内外からも強い反発があったようで、本人は自身のブログで報道を補足する形で以下のようなことを強調している。

 「日本人が嫌がることを外国人にやらせるようなことがあってはならない。単純な労働力の不足対策として『移民』を受け入れるような発想ではうまくいかない」

 「予め日本語を教育する、訓練するなども含めて、外国人が日本の文化や習慣に適合できるための状況を作ることは、日本人・外国人がともに負わねばならない責任であり、それなくしては双方ともに不幸な形にしかならない」

 日本の移民受け入れについてはこれに先だって、今月7日に河野太郎行改担当相が次のように発言したことも報道されている。(参照

日本は移民というのをどう考えていくのか。議論をそろそろ始めないと、この議論は非常に時間がかかるし、感情的になりやすい。テーブルに載せて議論を始める覚悟が必要ではないかと思う。

 これに対して菅義偉官房長官は9日の記者会見で、移民受け入れについての河野大臣の発言は「河野氏の(個人的な)発言だ」と述べ、「諸外国でもさまざまな難しい経験を得ているので、慎重であるべきだ」と政府の方針を説明した。また22日には加藤勝信1億総活躍担当相が、「いま移民(を受け入れる)政策を取る考えは全く持っていない」と述べたらしい。

 その中で石破大臣が移民受け入れに積極的な発言をしたのは、本人としては不本意なのかもしれないが、やはり大きく注目を集めても仕方のない発言だったと思う。

 日本は移民を受け入れなければ仕方のないところに来ているというのが、僕自身の認識だ。理由は労働力不足を補うことより、少子高齢化によっていびつになった人口構成を補正するためだ。

 「移民受け入れ絶対反対。少子化対策に本腰を入れるべし!」という意見もわかるのだが、これはもう今さら遅すぎる。今年は戦後70年。団塊の世代も含めた戦後ベビーブーム世代は、間もなく後期高齢者に突入する。「高齢者の雇用を拡大しよう」「お年寄りにも働いてもらって労働者不足を解消しよう」と言っても、75や80過ぎの後期高齢者にできることは限られている。

 そもそもこうした世代の人たちは、安定した労働力にはならない。身の回りに年寄りがいる人はわかっていることだと思うが、年寄りというのはちょっと病気をしたり、ちょっと転んだりしただけで、半年前まで元気でバリバリ働いていた人が寝たきりになってしまったりするのだ。

 現在の日本の合計特殊出生率は1.4ぐらいだ。少子化対策が仮に功を奏し、安倍首相の言うような「希望出生率1.8」が達成されたとしても、そもそも若年世代の数は少ないので出生数は今後もどんどん減り続ける。そして今生まれた子供たちが働くようになり、社会保障費を負担できるようになるまでたっぷり20年。その間にも、戦後ベビーブーム世代はどんどん年をとって社会保障の給付を受ける側に回る。

 仮に明日から少子化が劇的に解消される奇跡が起きたとしても、生まれる子供が成人して働くようになるまでの20年間をどうにかしのがなければならない。子供が生まれる社会では、子育てにも人手と金がかかる。同時に高齢者が半端なく増える日本では、高齢者の介護にも人手と金がかかる。これらの人手と金を、どこからひねり出せばいい?

 それは移民に頼るしかないだろう……と僕は思う。ところが移民反対派は、そこで対案を出せないのだ。「移民を入れると日本社会が変質してしまう」とか「犯罪が増える」とか「社会が分断される」とか「受け入れる際にもコストがかかる」などと、移民のマイナス面を並べ立てて反対する。それはわかる。いちいちごもっともな話だ。

 しかし問題は、なぜ移民が必要だという話になっているかだ。社会の高齢化は待ったなしで進む。労働者不足は深刻になる。若年労働世代に対して、「高齢者の介護もやりながら子育てもしろ」というのは無理な話だ。じゃあどうする? どうすりゃいいの?

 日本は戦後一貫して、移民の積極的な受け入れには慎重だった。これまでそれでも何とかなってきたのだから、今後もそれで何とかなるのだろうか? 何とかなるなら、それが一番だ。でも、これは何とかなるものではない。絶対に問題が生じる。それは人口統計を見れば一目瞭然ではないか。

 病気の人間は苦い薬でも飲まなきゃならない。場合によっては手術で身体を切ることも必要になる。輸血だって必要かもしれない。健康ならそんなことをする必要はないが、病気なら嫌なことだって受け入れなければしょうがない。

 日本は病気なのだ。病んでいるのだ。病気なら治療が必要だ。苦い薬を飲むのだ。手術が必要なら身体にメスを入れるのだ。輸血だってするのだ。「俺は一切の治療を拒否して死ぬまで好きに生きるのだ!」と病人が個人として選択するのは、それはそれで自由だろう。だが国家がそうした選択をすることは許されない。何が何でも、生き延びる道を探さなければしょうがない。

 ではどうするのか? 移民を受け入れずに、今後の20年、30年を日本はどう凌いでいくのか? その方法があるなら、その道をまっしぐらに進んで行けばいい。でも今の日本は、破滅に向かってまっしぐらだよ。

 このままでは近未来に日本を確実に襲うであろう危機を回避するため、取り得る解決策の「プランA」は移民受け入れだ。それがダメなら「プランB」を出さなきゃ話にならない。プランAのあら探しをいくらしていたって、危機は回避できないんだからね。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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