Amazonプライム・ビデオで「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観る

Jesus Christ Superstar 2013

 Amazonのプライム・ビデオで、アンドリュー・ロイド・ウェバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観た。

 Amazonビデオには3種類の「ジーザス・クライスト・スーパースター」がラインナップされている。ひとつは1973年にノーマン・ジュイソンが監督した映画版。次が2000年の舞台版。そして2013年のアリーナ・ツアー版だ。

 プライム・ビデオとしてプライム会員に無償で配信されるのは、グレン・カーター主演の2000年版……のはずなのだが、僕が観たときはなぜか2013年のアリーナ・ツアー版が配信されていた。アマゾンが間違えてるんだな。(一応メールを出しておいた。)

 僕は「ジーザス・クライスト・スーパースター」の舞台を生で観たことはない。唯一観たのはノーマン・ジュイソンの映画版で、しかもビデオ鑑賞だった。公開当時は大評判になった映画だが、僕は正直それほど面白いとは思わなかったな……。

 しかし今回観たアリーナ・ツアー版は面白かった。

 物語は1世紀のエルサレムで、イエス・キリストが弟子や支持者たちとエルサレムに入場し、逮捕され、裁判を受けて、処刑されるまでを描いている。要するに受難劇だ。アリーナ・ツアー版はこれを、反体制デモに詰めかける現代の若者たちとして描く。イエスはデモを率いる若者たちのリーダーだ。

 小さな仲間内のグループからはじまったイエスの運動は、わずか数年で巨大なものに膨れ上がっている。古株のメンバーたちは自分たちの勢いを過信し、自分たちの力で世界を変えられると考えるようになる。イエスも勢いに完全に飲まれてその気になりかけているのだが、この様子を冷ややかな目で見つめているのがイスカリオテのユダだ。

 このグループは危うい。どこかで止めなければならない。このままでは仲間たちの身が危ういし、イエス自身のためにもならない。ユダはイエスに警告する。何度も警告する。だがイエスはもう、勢い付いている仲間の期待を裏切れない。

 追い詰められたユダは、この運動からイエスを無理矢理にでも降りさせようと考える。どうすればいい? イエスを逮捕させるのだ。それで運動の熱は一気に下がる。しかしユダはイエスを殺したいと思っているわけではない。熱に浮かされて平常心を失った取り巻きたちから、イエスを引き離したかっただけなのだ……。

 この物語の主人公はイエスではない。主人公はユダだ。ユダはただひとり、イエスの運動を外部から客観的に見ている。もうひとりの主人公に、マグダラのマリアがいる。彼女には運動の成り行きなどどうでもいい。彼女は自分とイエスとの間にある、個別の特別な結びつきにしか興味がない。イエスが世界を救うキリストか否かより、自分の生き方を変えたイエスとの出会いと関係性を重視している。

 イエスとユダ、イエスとマリア……。この対比が物語の奥行きを生み出すわけだが、最後までよくわからないのはやはりイエスという人物だ。彼は何を考えていたのか。彼は何者だったのか。物語はそれに対して、何も答えを出そうとしない。イエスは十字架の上でみじめに泣き叫びながら死に、決してよみがえることはない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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