10月10日は世界死刑廃止デー

世界死刑廃止デー

 10月10日は世界死刑廃止連盟(WCADP:本部パリ)が提唱する世界死刑廃止デーとのこと。それにあわせてアムネスティ日本のFBに死刑についてもの考えを少し書いた。

 僕自身は現在、消極的な死刑廃止論者だ。死刑を廃止しろと積極的に主張するほどではないが、かといって死刑制度になんらかの積極的な意義も見出せない。死刑については以前も日記に書いたので、以下はそのリンク。

 すでにこれらの記事の中でも述べていることの繰り返しになるのだが、じつは死刑制度ほど、犯罪被害者をがっかりさせる制度はないのです。

 殺人事件の犯人のうち、死刑が確定するのは全体の1%程度。それ以外の99%は、死刑になりません。拘置所の中で死刑が執行されないのではなく、そもそも検察が死刑を求刑しないのです。殺人犯の99%は有期刑または無期刑です。

 「人を殺したら死刑が当然」「被害者の無念を考えろ」「遺族の悲しみをどう癒やすのだ」などと言う死刑肯定論者の主張もわかりますが、そうした言葉は殺人犯の99%が死刑にならないという現実の前には虚しく響くばかりです。

 目には目を、歯には歯を、命には命をという、素朴な同害報復の感情からすれば、殺人犯が2人以上殺してようやく死刑になるという現在の日本の司法は、被害者の命を軽んじているとしか思えません。犯人1人の命をもって2人の被害者の命を奪った罪を相殺させるなら、それは被害者の命には犯人の命の半分の価値しかないということになります。犯人が大勢殺せば殺すほど、被害者の命の価値は低くなっていきます。

 これを埋め合わせる方法として、江戸時代のように死刑にもランクを設けて、被害者が1人なら斬首、2人なら獄門、3人なら磔、4人ならノコギリ引き、5人以上なら火あぶりなどとするのがいいかもしれませんが、近代国家でこれを実施するのは不可能でしょう。

 死刑廃止論に対しては、「そんなことはきれい事だ」「お前は自分の愛する家族が殺されても同じことが言えるのか!」という感情的な反論が必ず付いて回る。でもこういう反論しかできない人たちは、日本の死刑制度の現実を見ていないのです。日本では犯人が1人しか殺していない場合、ほとんどの場合で犯人は死刑になりません。そのため「人を殺したんだから死刑が当然だ!」と考える被害者の多くが、裁判の過程で悔し涙を流すことになるのです。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中