奥西勝死刑囚の死について

約束 名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯

1961年(昭和36年)に三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」で逮捕され、1972年(昭和47年)に死刑確定した奥西勝さんが八王子医療刑務所で亡くなった。89歳。

 名張毒ぶどう酒事件は冤罪の疑いが濃厚な事件のひとつとされ、裁判で死刑確定の決め手となった証拠の多くが、その後の調査で証拠能力に乏しいものとされている。そもそもこの事件では一審の裁判で無罪判決が出され、二審で死刑にひっくり返っているのだ。その後最高裁でも死刑判決が出て確定し、度重なる再審請求もすべて却下されてきた。

 奥西さんについては仲代達矢と山本太郎(現参議院議員)主演で、『約束 名張毒ぶどう酒事件死刑囚の生涯』という映画が作られている。僕はたまたまこれを観る機会があったのだが、普通に考えれば「疑わしきは被告人の有利に」という原則で無罪判決が出されてしかるべきなんじゃないかなぁ……という印象を受けた。

 僕自身は死刑制度について「廃止でもいいんじゃないの?」という意見なのだが、死刑肯定派が「冤罪による死刑執行の可能性」を否定するときに持ち出すのがこの事件だったりするのだ。日本は三審制で死刑が確定したあとも、議論の余地がありそうな事件については法務大臣レベルで刑の執行を停止してしまう。つまり徹底的なミスを防ぐために法務大臣の決裁という最終関門があり、ここで「冤罪の可能性がある事件」は刑の執行がストップするというのだ。死刑肯定論者たちはこうしたことを受けて、「日本では死刑事案について事実上の四審制だ」などと称している。

 しかしこれが本当に四審制だと言うなら、「これは事実関係が怪しいから死刑にすることはできない」となった時点で、死刑囚を無罪放免にしなければならない。少なくとも裁判所が「これは事実関係に誤りがある。死刑にはできない」とした場合はそうなるだろう。だが実際はどうか。法務大臣が刑の執行をストップした事例については、何十年でも当事者を拘置所内で飼い殺しにしてしまうだけなのだ。確定死刑囚だから、自由は制限されている。外部との連絡方法も限定されてしまう。

 現在の全国の拘置所には大勢の確定死刑囚がいて、そのうちの少なくない人達が再審請求している。もし「四審制」とやらのせいでこうした人達が拘置所に飼い殺しにされているのだとしたら、それらはとっとと再審をはじめるのが筋ではないだろうか。

 もちろん「政治からの司法の独立」という理屈もわかるのだ。死刑判決を下すのも、再審請求を却下するのも、裁判所の判断だ。だから行政府はそれに対して口出しせず、その判断を最大限尊重しなければならない。とはいえ「疑わしい人達」に裁判所が死刑判決を下していた場合、はいそうですかと死刑執行の書類にサインしてしまうこともできない。拘置所で生かさず殺さずの状態に留め置くことは、現行制度下での最大限の譲歩なのかもしれない。

 でもねぇ……。これって、なんかおかしいと思うんだよな。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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