鬼怒川の堤防決壊は誰のせいなのか?

鬼怒川決壊

写真:日本経済新聞

 鬼怒川の堤防決壊について、「あれは民主党が悪い」とネトウヨが騒いでいる。曰く、堤防の強化工事予算が民主党時代に削られせいだ。曰く、ソーラーパネルの設置場所から越流したのは自然エネルギー事業を推進しようとしたせいだ。……やれやれだ。何でもかんでも3年間の民主党政権時代に責任を押し付けて、その後2年半以上に渡る自民党安倍政権を免責できるなら気は楽だよなぁ。

 一方で左側の人たちも、これだけの豪雨になれば堤防決壊は十分に予想できたことであり、住民への周知が悪かっただの、避難指示や避難命令をもっと早くに出しておくべきだっただの、自衛隊への救援要請をもっと迅速に出せたはずだだの、後知恵としか思えない難癖を付けている。

 皆が皆、今回の大災害を「人災」にしたくてしょうがないのだ。でもそうなのか?

 今回の堤防決壊について、特に誰が悪いというものでもないと思う。これは基本的には「天災」だよ。鬼怒川の堤防が決壊したのは、報道にいよれば66年ぶりなのだ。その間にどれほど大きな台風が来ようと、どれほどの集中豪雨になろうと、少なくとも堤防は決壊しなかった。今回の豪雨はそれらを遙かに凌ぐスケールのもので、地域の人たちだってまさか堤防が決壊するとは思っても見なかったし、ましてやその決壊箇所が自分たちの住んでいる家の目と鼻の先になるなんて思っていなかった。

 こんなものをいちいち予想することはできない。これはお天気のせいなのだ。自然現象なのだ。素直にまず天災だと認めた方がいい。その上で、その天災に対処するためにどうすればいいのかを、事後的に考えた方がいいと思うんだけど……。

 実際に民主党政権時代に、鬼怒川の治水対策予算についてどんなことが行われたのかは知らない。だが仮にそこで予算が削られていたのだとしても、それは日本全国に何百何千とある堤防工事の中のひとつとして扱われていたはずだ。優先順位として、より危険度が高いところに予算を回す。鬼怒川については過去半世紀以上決壊していないのだから、工事をするとしても後回しにする。それはそれで合理的な選択であって、特に非難すべきことではないと思う。

 「あそこで鬼怒川の堤防を工事していれば」というのは人情としては理解できるが、国にも自治体にも無尽蔵に予算があるわけではない以上、どこかで予算をカットして行くしかない。「カットする場所を間違えたのだ」というのは結果論に過ぎないし、もしそこに重大な落ち度があったのだとすれば、政権奪還後にそれを放置し続けた自民党だって責任は重大だ。

 でも繰り返しになるが、今回のことはまず「過去に類をみないほどの記録的な大雨が降った」ということが前提にある。天災なのだ。

 人間は傲慢になりすぎている。ありとあらゆる自然災害も、人間の持つ技術力でいかようにでもコントロールできると思っている。だから今回のような災害が起きると、「誰が悪いのか?」という責任の押し付け合いになってしまう。「誰かが災害のコントロールに失敗したのだ。それが悪い!」という理屈だ。

 でもそうなのか? 自然災害なんて、人間にはコントロールできないんじゃないの? それは東日本大震災の津波被害で、身に染みたんじゃなかったの? もっと自然に対して畏敬の念を持つべきだよ。自然には打ち勝てないという前提で、人間の暮らしを見つめ直すべきだと思う。

 ところが人間は、やっぱり技術で自然に勝てると思っている。東北の被災地では海岸線に巨大な堤防の建設が進んでいるし、日本各地の海岸沿いに建設されている原子力発電所では、「あれ以上の津波が来ても大丈夫だ!」と再稼働に向けての動きが止まらない。

 そうした「科学技術万歳!」「人間は科学の力で自然を征服するぞ!」みたいな考えは、もう今どき流行らないような気がするんだけどなぁ……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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