エンブレム問題は五輪組織委員会の責任だ

五輪エンブレム修正の変遷

 NHKの「クローズアップ現代」「東京五輪エンブレム“白紙撤回”の衝撃」というタイトルで、佐野研二郎氏のデザインした東京五輪のエンブレムが、いかにして原案から修正されて最終案になったのかという流れを検証していたのでつい見てしまった。原案からの修正については組織委員会からデザインの変遷が公表されているし、その前には審査員の代表を務めた永井一正氏がテレビの取材にこたえている様子も報じられている。今回の番組もそこで伝えられていた事実と大きな違いはなかったのだが、それでもびっくりするような部分があった。

原案から最終案まで

 番組を録画していなかったので細かなところで事実誤認があるかもしれないが、修正の過程は次のようになっている。

 まず佐野研二郎氏の原案がコンペで採用された。このコンペは参加資格に厳しい制限があることが番組内でも指摘されていたが、審査の手間を考えるとある程度の事前フィルタリングが仕方ないのかなぁ……というのが僕の考え。とりあえずこの時点では各作品に番号が振られて作者名は伏せられており、ネットで取りざたされているような不正はなかったと思われる。

 佐野原案を国際オリンピック委員会に提出したところ、「登録されている複数の商標に似たものがあるので見直すように」という指示を受けた。この時点で佐野案を取り下げて別案を出す道もあったと僕は思うのだが、東京五輪組織委員会はそうせずに、原案を修正する道を選ぶ。

 原案を修正することは審査員にも告げられたが、番組を見ている範囲では、これが審査員全員に伝達されたのか、審査員代表の永井氏だけに告げられたのかはわからない。とりあえず修正について、永井氏は了解していたようだ。

 ところがこの修正作業の中身は、審査員がまったく知らないところで行われた。最初の修正案は原案を円と組み合わせ、右肩に赤い丸、他の左肩と左右下に円弧で切り取った三角形をあしらったものだった。組織委員会はこの修正案について審査員の意見を聞くのではなく、組織委員会の役員である森喜朗氏らに見せて意見を仰いだ。そこで森氏らから「躍動感がなくなった」という意見が出て、最終的な案が完成したのだという。

 審査員らが最終完成案を見せられたのは、このエンブレムが外部に発表されるわずか1ヶ月前だった。この案については「デザインがまったく違う」「コンセプトが違うので原案とは別デザインだ」などの意見が審査員から出されたが、結局は審査員もこれを受け入れて最終案が2020年東京五輪のエンブレムとして発表された。

 とまあ、こんな流れになっている……。

修正作業の問題点

 この番組で放送された内容が事実なのだとしたら、エンブレム問題で一番悪いのは日本の組織委員会ではないのか? 佐野原案に国際オリンピック委員会から最初のダメ出しがあった時点で、なぜそれを没にしなかったのだろうか? 少なくともこの時点で審査員に連絡して、その後の方法を協議していればこれほど無様なことにはならなかったように思う。

 このエンブレムがパクリだという意見はいまだに多いが、僕自身はそのようなことはまったく考えていない。原案に対しては「ヤン・チヒョルト展のポスターのパクリだ」という説がまことしやかに流布しているが、国際オリンピック委員会が「似たものがある」と指摘していることからもわかるように、これはデザインとして似たようなものが世界中にいくつもあったのだ。

 デザイナーというのは最初に仕上げた案に一番自信があり、愛着も持っているものだ。クライアントの意向によって修正を強いられた場合はそれに従わざるを得ないが、それは自分が自信を持って提出したデザインの否定であり、修正案に対する愛着も薄れていく。今回のエンブレム修正作業についても、同じことは言えると思う。その中で、佐野氏はずいぶんがんばって仕事をしていたのではないだろうか。

 でもこれはもう、原案とは別物なのだ。番組中ではコンペで選に漏れた他のデザイナーが、「デザインを構成する4つのパーツのうち、共通するのは真ん中の黒い四角だけ。あとは位置を変えたり形を変えたりしている。このシンプルなデザインでそんなことしたら、もう別デザインだよね」というような話をしている。これは当然の意見だと思う。

 また最終案を見せられた審査員の中からも、「これは原案とは別のデザインだ」という意見が出されたという。ではなぜ審査員たちは、この最終案を「これはダメだ!」と突っぱねられなかったのだろうか?

審査員はカヤのそと

 審査員たちが最終案を見せられた発表の1ヶ月前は、既に「ダメだ。別案にしよう」と言えるタイミングではなかった。ここでデザインを確定し、発表会の準備をしないと作業が間に合わない。なにしろあの発表会には、何千万円(7千万?)もの費用がかかっているらしいのだ。ここでデザインに再度ダメ出しをして別案に差し替えたり、再修正作業をしていたのでは発表が間に合わなくなってしまう。

 最初の原案に国際オリンピック委員会からダメ出しを食らっている組織委員会は、おそらく最終案を審査員に見せる前に、国際オリンピック委員会に案を再提出して商標チェックを済ませていただろう。

 つまり審査員たちに最終案が提示された時点では、組織委員会内部での根回しは完了し、国際オリンピック委員会での商標確認作業も完了し、発表会の会場準備も進んでいた。審査員はこれに対して、もはや「NO」と言える余地はまったくなかった。寝耳に水で最終案だけ突きつけられて、「とにかくこれでOKということにしてくれ!」と迫られたようなものだろう。まったくの審査員無視だ。

 審査員に残された方法は「辞任する」ぐらいだっただろうが、そんなことをすればオリンピックという国際的なイベントのスタート時点で大スキャンダルを招くことになる。そもそもデザインが決まってしまえば審査員はお役後免なので、この段階で「辞任する」もへったくれもない。審査過程については守秘義務もあるだろうし、審査員たちはコトを荒立てない「沈黙」という大人の対応を求められたのだろう。

 今回の問題については、デザイナーたちの存在がずいぶん軽く見られてしまったのだと思う。それは一連の騒動の中で一般の人たちから浴びせられる言葉もそうだが、五輪組織委員会も審査員無視という形でデザイナーの意見を無視したのだ。彼らが顔を向けていたのは森喜朗氏などの組織委員会幹部だった。この道何十年というプロのデザイナーの意見より、委員会幹部の意見がデザインを左右した。

 残念ながらこれが、日本におけるデザインやデザイナーの置かれた立場なのだ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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