コンピュータの出現で変わったもの

顔のないヒトラーたち

 『顔のないヒトラーたち』という映画を観てきた。1963年にフランクフルトではじまった「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」の映画化で、戦後のドイツではじめてドイツ人自身の手によってナチスの戦犯を捕らえて裁こうとした人たちの物語だ。

 映画の内容や感想は映画瓦版に書いたのでそちらを読んでいただくことにして、今回は映画を観ていて「うへ〜」と思った場面について書く。それは主人公たちが、戦犯たちの所在を突き止めようとするエピソードだ。

 映画のはじまりにあたる1958年の時点で、アウシュビッツ収容所の職員名簿は存在した。だがそこにあるのは職員の名前だけで、住所までは書かれていない。収容所で働いていた人たちは戦後になってその間の自分の職歴を抹消してしまったので、経歴をたどっていくことができない。名簿の中に名前があっても、戦後にその人がどこに行ったのかがわからないのだ。

 警察などの捜査機関は一部資料を持っているのだが、ナチスの戦犯捜しにまったく協力してくれない。戦後まだ10数年しかたっていない。社会のあちこちに、まだナチスの残党がいて各部署の要職に就いている。主人公たちが協力を要請しても、まったく相手にされない。

 そこで主人公は考える。「電話帳だ。ドイツ中の電話帳を集めて片っ端から調べる!」。やってきたのが車に満載になった電話帳の山。これを数人がかりで片っ端から調べて、名簿と同じ名前の人物をピックアップしていく。途方もない手間と時間がかかるであろう作業だ。

 電話帳から該当人物を探す話は『ターミネーター』にも出てくるが、あれは特定の街の中だけで同じ名前の人物を探すだけだから、該当者は数人しかいなかった。調べる電話帳も1冊で済む。でもドイツ全体となると、いったいどれだけの手間がかかったことか。何しろ電話帳だけで数え切れないほどある。

 今ならこの手のテキスト検索は、ほんの数秒で終わるだろう。コンピュータがあるからだ。電話帳のデータはすべて電子化されているから、該当者が電話番号を登録しているのであれば検索自体は一瞬だ。電話帳を1ページずつ調べることを考えると、昔の人はずいぶんと苦労しただろうなぁと思ってしまう。

 でもおそらく今から50年たつと、50年後の人たちは今現在の我々の暮らしぶりを見て「昔の人はあんなことで苦労していたのか!」と思うに違いない。それが具体的にどんなことなのかは、今の時点ではわからないけどね……。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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