「終戦」という言葉について

 8月15日は終戦記念日だが、僕は一時期「終戦」という言葉が嫌いだった。8月15日は終戦記念日ではなく、敗戦記念日と呼ぶべきだろうと思ったのだ。「敗戦」を「終戦」と言い換えるのは、退却を転進、全滅を玉砕と言い換える戦争中の大本営発表に通じるごまかしではないのか。1945年8月15日に確かに日本の戦争は終わった。だが戦争はその後も世界中で起きている。それを日本だけが、自分たちの都合で「終戦」などと言ってしまうのはちゃんちゃらおかしい。とまあ、そんな具合に考えていた。

 でも今は「終戦」という言葉が、必ずしも嫌いではない。むしろ「終戦記念日で結構なことじゃないか」と思っている。これを「敗戦記念日」とでもしようものなら、「負けたことが良くない。次は勝つぞ!」という方向に意識が向かいそうな気もする。これはやはり「終戦の日」「終戦記念日」でなければならない。日本は70年前のこの日を境にして、戦うことを止めた。戦争という手段を放棄して、平和国家としての歩みをはじめた。この日は「敗戦の日」ではなく「終戦の日」なのだ。

 「終戦」によってはじまった「戦後」という時代になってから、今年で70年になる。これは日本の近代史の中では、結構大変なことなのだ。明治維新から終戦まで、日本は戦争ばかりしていた。

  • 1868年 明治維新(戊辰戦争/内戦)
  • 1874年 台湾出兵
  • 1877年 西南戦争(内戦)
  • 1894年 日清戦争
  • 1914年 第一次世界大戦
  • 1931年 満州事変
  • 1937年 日中戦争
  • 1941年 太平洋戦争

 日本の近代史が1868年の明治維新にはじまるとしたら、今年は近代日本が生まれて147年目になる。「戦後70年」というのはそのうちの半分近いわけで、その間、日本が一度も対外戦争をせず、ひとりの戦死者も出していない。日本の歴史を振り返ると、これはかなりすごいことだとわかる。

 70年という平和な時間の中で、日本人の多くはその平和を当たり前のもののように感じている。平和こそが日常で、戦争が起きるのは異常なことだと思っている。だがこれは必ずしも正しくない。近代国家というのは戦争をする国であり(近代的な国民国家はフランス革命以降に戦争をするために生まれた)、日本の近代もまた戦争を繰り返しながら作られてきたのだ。戦争は日常であり、戦争こそが普通の状態。平和とは、戦争と戦争の間にあるつかの間の時間に過ぎない。それが歴史から見えてくる現実だ。

 その中で、日本が「終戦」を決めて平和への道を歩み、「戦後」という長い時間を過ごしているのは立派なことだと思う。今年は戦後70年だが、今後もこの平和を80年でも100年でも続けてほしいと思う。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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