憲法違反は無免許運転と同じ

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 安全保障にまつわるアメリカと日本の関係は、こういうことなんじゃないかと思う。

 日本とアメリカが一緒にどこかに出かけるとする。その時はアメリカが車を出すのだが、日本は免許を持っていないので運転ができない。そこでアメリカの車に乗せてもらう見返りに、燃料代は出しましょう、道中の休憩での食事代はわたしが出しましょう……とまあ、こういう話になっている。

 ところが最近になって、「アメリカにいつもいつも運転ばかりさせているのは悪いじゃないか。対等な関係になるためには、日本も時々は運転を代わってやるべきだ」という声が大きくなってきた。

 これに対する反対論が2つある。

  1. アメリカは車好きで運転も楽しんでいるのである。日本がそれに相乗りして燃料代や食事代を提供するのは、アメリカにとってのメリットにもなっている。これで既にWIN-WINの関係なのだ。今さらこの関係を変える必要はない。

  2. 日本が車を運転しようとすれば、まず免許を取らなければならない。どうしてもアメリカと一緒に車を運転する必要があるのであれば、まず教習所に行って免許を取るべきだ。その上でアメリカに対して「たまには運転を代わるよ」と申し出ればいい。

 しかし「すぐにでもアメリカと対等に」と主張する人たちは、こうした意見には耳を傾けない。

 1については、「状況が昔と変わってきていて、アメリカだけに運転を任せておいては日本の立場が危うい。アメリカがいつも日本のために運転手役をしてくれると思うのは甘えである」と主張する。

 2については、「教習所に行って免許を取るのが正しい順序だが、それには費用も時間もかかっていつになればアメリカに協力できるかわからない。日本は免許こそ持っていないが、車を運転する能力を十分に有している」と主張する。

 で、現在日本が何をしようとしているかというと、無免許運転の準備なのだ……。

 無免許運転のすべてが許されないとは、僕は思わない。

 たとえば僻地の村で急病人が出ました。救急車を呼んだけれど、町の消防署の救急車は出払っていてすぐには来られません。事態は一刻を争います。ところがその家には、つい先月、高齢を理由に免許を返上したおじいさんがいました。車もまだ処分せずに残っているし、燃料も入ってます。さて、どうしましょう?

 こういう場合は「緊急避難」として、無免許のおじいさんが患者を町の病院に運ぶ事態が考えられると思う。途中で警察に捕まったら? その時はこれ幸いと、患者をパトカーに乗せ替えて病院まで連れて行ってもらうのだ。

 安保法制に関しては「日本の存立が危ういときには」という前提でさまざまなことが語られているのだが、そうした危険事態になったら法律の整備があろうとなかろうと、緊急避難的な超法規的措置で何だってできるだろうし、自分たちの首をかけて何だってするのが政治家たちの使命だよ。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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