集団的自衛権行使と自衛官のリスクについて

自民党

 少し前の国会で、集団的自衛権を行使することで自衛官のリスクが高まるのではないかという野党側からの指摘に対し、安倍首相が「自衛官にはもともとリスクがあるのだ」と答えたことがある。これは「リスクが高まるか低下するか」という「量」の問題を、「リスクがあるかないか」という「存在の有無」にすり替えるもので、まるで返答になっていないなぁ……というのが僕の印象だ。

 自衛隊が発足して以来、多くの自衛官が訓練中や職務中に命を落としている。だがこれは「平時リスク」だ。それに対して集団的自衛権行使というのは、戦争そのものか戦争に隣接する「有事のリスク」なのだ。このときのリスクがどの程度のものなのか、実際にはその時になってみないとわからないだろう。だが「平時のリスク」に加えて「有事のリスク」も抱え込むことになるわけだから、リスクが増えることはあっても減ることはあり得ない。こんなものは「1+1=2」という小学生の算数みたいなものだ。

 ところでここで頻発する「リスク」という言葉だが、国会ではもっぱら「危険」や「危機的状況」という日本語の言い換えとして用いられているような気がする。ならば最初から「自衛官の危険は増えるのか減るのか」と質問した方が、よほどわかりやすかったと思うのだがどうだろう。何でも横文字にすればいいというわけではないだろうに……。

 じつは「リスク」という言葉が頻繁に使われるのは経済の世界で、そこではこの言葉が必ずしも「危険」を意味していない。経済における「リスク」とは、先行きの不確定性、不透明性を意味する言葉らしい。要するに「その時にならないとわからない」というのが「リスク」なのだ。だから例えば株価が下がるのもリスクだし、逆に株価が上がるのもリスクになる。わからないものは、全部リスクだ。

 では集団的自衛権の行使についてはどうだろう。これはもう、リスクのかたまりみたいなものではなかろうか。日本政府は今に至っても、安保関連法案にある「存立危機事態」や「重要影響事態」が具体的にどんなことなのかについて説明できないでいる。要するに「その時になってみないとわからない」のだ。これは自衛官のリスク以前の話だ。こんなバカげた話ってあるのか?

 集団的自衛権が行使されたとき、自衛官のリスクがどうなるのかという問題は当然ある。そこで与えられる任務は、訓練に比べて危険性が高いのか低いのか。だがそこで自衛隊が実際にどんな任務を行うのかが、現時点ではそもそもわからない。さらにそこに先立って、どんな時に「自衛隊は行ってよし!」と政府が判断するのかがわからない。わからないことだらけだ。ひょっとしたらそれは物見遊山のような、安全な任務なのかもしれない。だがもう一方で、自衛隊員が殺し殺される戦争の当事者になる可能性があるのかもしれない。

 とにかく、わからないのだ。わからないときはどうするか? 株や為替などの相場で食っているプロたちは、自分の資金を市場から引き揚げて様子を見る。そして流れがどちらかに動き始めたら、そこに改めて資金を投下するのだ。

 世の中お金ほど大事なものはないが、それでも金は金でしかない。その裏には人間の生の営みのすべてがあり、場合によっては命がかかっているわけだが、それでも金は金だ。しかし日本政府が「安保関連法案」で賭けようとしているのは、金ではなく生身の人間の命そのものなのだ。日本政府は戦争という危険なギャンブルに、日本人の命をつぎ込もうとしている。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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