自民党改憲草案こそ「翻訳調」なのではないか?

ほぼのぼ一家の憲法改正ってなあに?

 自民党は改憲の必要性を主張する各種パンフレットの中で、しばしば憲法の「翻訳口調」を批判している。例えば「日本国憲法改正草案Q&A」では、

現行憲法の前文は、全体が翻訳調でつづられており、日本語として違和感があります。

と述べているし、PRマンガ「ほのぼの一家の憲法改正ってなあに?」の中では、

日本の憲法なんだから海外から持ってこなくてもいいのにねぇ

などと登場人物に語らせている。

 では自民党の憲法改正草案にある「前文」は、「改憲草案Q&A」の言うような『我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章』になっているのだろうか? 以下は、自民党改正草案にある前文だ。

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立 に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

 全部で5つの文章で構成されているが、各文章の冒頭が『日本国は』『我が国は』『日本国民は』『我々は』『日本国民は』で始まり、各文章の末尾は『される』『する』『する』『させる』『する』で終わる。

 これが『我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章』とは笑わせる。日本語の伝統的な文章では、こう何度も主語を繰り返すことはない。主語を何度も繰り返し強調するのは、中学生が英語のリーダーを訳したような、まさに直訳調、翻訳調の文章ではないか。

 日本語の伝統的な文章というのは、例えば次のようなものだ。

一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

 これは「五箇条の御誓文」だが、ここには『我々は』とか『日本国は』といった主語がひとつも含まれていない。そんなものがなくても通じるのが日本語の伝統的な文章というものだ。

 では自民党改憲草案の「前文」は、いったいいかなるルーツを持つ文体なのか?

 これは「クレド」だ。企業理念などを箇条書きにして、「我が社はこれこれの理念にもとづいて、かくかくしかじかの活動を致します」という企業としての立ち位置を示したもののことだ。外資系企業から入ってきたものだが、ネットで「クレド」を検索すれば、企業内で実際に使われている幾つかのクレドを読むことができる。自民党の考えた「前文」は、このクレドのまねなのだ。

 しかしこの「クレド」には、さらなる起源がある。それはキリスト教の「信条」のことだ。例えばカトリック教会とプロテスタント教会で用いられている代表的な「クレド」に、「使徒信条」というものがある。原文はラテン語だ。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、
イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、
処女(おとめ)マリヤより生れ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、
かしこより来たりて、
生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、
聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。 
アーメン。

 カトリック教会で用いられているのはまた別の訳だが、それは主語を略したこなれた日本語になってしまっているので、今回はより直訳調のプロテスタント教会バージョンにした。この冒頭の一文が、ラテン語原文だと次のようになる。

Credo in Deum, Patrem omnipotentem, Creatorem caeli et terrae,

 このように各文章の冒頭が「Credo」で始まるところから、これらの文章を一括して「クレド」と呼ぶのだ。

 自民党の改憲草案は『我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章』と言いながら、中身は翻訳調の「クレド」だというお粗末なものだ。僕は現行憲法の前文は正直言って悪文の極みだと思っているし、こんなものはどんどん書き直してしまえばいいと思っているけれど、自民党の改正案はそれに輪をかけてひどい。自民党改憲論の醜悪さと滑稽さは、この程度の言葉のセンスしか持っていない人が憲法をいじくり回しているという部分にある。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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