PTAはGHQの押しつけだった

PTA再活用論

 季節柄なのかもしれないが、ブログに書いたPTAについての記事のアクセス数が増えていたりする。まあベースとなるアクセス数が微々たるものなので、増えたと言っても1日数件とか十数件ぐらいのものだが、それでも増えていることは増えているのだ。たぶんこの時期にPTAの役員や委員になってしまった人が、あわててネットで情報を探しているとか、そういうことなんだろうなぁ……と想像するのだった。

 PTAについては一昨年に小学校PTAにとある委員会のメンバーとして関わったこともあり、いろいろと感じることや考えることも多かった。ついでに他のPTAの様子やPTAとはそもそもなんぞやということについてネットであれこれ調べてもいたのだが、PTAというのはどうやら戦後にGHQが全国の教育現場に作らせたものらしい。強制的に作らせたわけではないが、まあ当時の日本は占領下ですから、GHQからの指導や誘導があれば日本全体がそれに従うわけですね。

 で、PTAの当初の目的は何かと言えば、学校運営の「民主化」だったわけです。戦前の学校は文部省が一元管理して、皇民教育や軍国教育を行っていた。これが日本の戦時体制を、最底辺で支えていたわけです。そこでGHQは、学校運営を教員まかせにせず、子供の親や地域の目が入る仕組みを作ろうとしたわけですね。そしてこれが、一番身近な「草の根の民主主義のモデル」になるべきだと考えた。学校PTAの活動を通して、学校運営が民主化されていくことを期待した。

 ところが戦後70年経って、PTAはどうなっているのか? ほとんどの学校PTAは「民主主義のモデル」とはほど遠い、まったくダメダメな組織に成り下がってしまっているわけです。「公平」や「平等」の名のもとに役職の押し付け合いをやっているPTAが、民主的な組織だと言えるのか。前例踏襲を何十年も繰り返した結果肥大化している業務を見直すことなく、ただ次の代に先送りしていく組織のどこに民主主義があるのか。

 もちろんPTAによって運営の内容はまちまちなんだろうと思うので、僕の知っているPTAの事例を出して「これがPTAだ」と言うつもりはない。よそにはもっとまともな運営をしているところもあるんでしょう。でもまあ、どこも似たり寄ったりなんじゃないかなぁ……という「実感」や「確信」もあったりするのだ。

 例えばPTAの総会というものがある。ところがこれに、ほとんどの保護者は参加しない。委任状の「議案にすべて賛成です」に丸を付けて提出すればおしまいです。ところが僕の参加していたPTAでは委任状を提出する時点で、総会の議案書が配布されていないのです。議案書は総会当日参加者に入口で配布し、参加しなかった人には後日配布するんだとか……。じゃあ委任状の「議案にすべて賛成です」は、いったい誰がどんな議案に賛成してるんだ?

 僕はマンションの管理組合の理事長というのも3年ほどやっていたことがあって、これは管理会社が仕切っているから法的に不備がないようにきちんとした運営が行われていた。総会も事前に議案書を配って、議案1件ずつについて個別に賛否を問う形で委任状を集めるわけです。これが当たり前でしょ? ところが僕の参加していたPTAは、そうした「当たり前」がまるでできていなかったりする。

 白紙委任状に問答無用でサインをさせ、総会当日は議案書を読み上げた時点で、決を採るまでもなく委任状だけで議案が成立するわけです。これで「民主主義」とは聞いてあきれる。しかしそれがPTAなのです。

 PTAという組織はまったく民主的ではないと思うけれど、戦後日本に植え付けられた「民主主義」が、日本の風土や精神性の中でいかに異様な形に変質してしまったかを垣間見るサンプルとしては面白いものかもしれない。学校PTAほど「日本的な組織」はないんじゃないかなぁ……。

 てなことを考えながら、「PTA再活用論」を近所の図書館に予約した。読み終わったら、また何か書くかもしれない。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

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