日本国憲法は自主憲法である

憲法改正草案

 憲法記念日なので昨日に引き続き憲法の話をする。

 憲法記念日になると「改憲派」と「護憲派」が集会を開いて、それぞれの主張を述べるというのが年中行事になっている。夜のニュースでは必ずその話題が出るんだな……。以前は「改憲派」なんてものはよほど頭の悪い右翼か何かだと思っていたけれど、最近はどうも改憲派の方が威勢がいいようで、護憲派は旗色が悪い。まあこれも時代の流れだね。

 僕自身は「憲法は時代に合わせて内容を修正すべきだ」と考えているのだが、その最大のものは「現行憲法のあの言葉づかいの古めかしさと翻訳口調の表現の回りくどさは何とかならんのか!」という話で、内容云々はその後の話だと思っている。同じ憲法条文を同じように読みながら、「自衛隊は合憲だ」「いや違憲だ」と正反対の意味に取れてしまうようなら、それはもう権力を縛る憲法としての役目を果たしていないんじゃないだろうか?

 僕は憲法改正論者だ。ただしその場合は憲法の中身をいじらず、まず「言葉使い」を直してほしいと思う。21世紀に生きる我々が普段使っている言葉で、誰が読んでもわかる……は無理にせよ、せめて中学生以上の国語力があれば普通に読みこなせて、しかも読んだ人の間で解釈にブレが生じないような言葉に改めてほしいのだ。

 「憲法の規定が現代の社会情勢に合わなくなっている」という意見があるが、それはまず憲法が誰にでも読める内容になった後で、国民全体に開かれたオープンな議論をして行けばいいのではないだろうか。憲法条文をすべて現代の言葉に書き改めた上で、それを国民投票にかけて承認させるべきなのだ。これで憲法議論はこれまでよりずっと風通しが良くなるし、何より「現憲法はGHQの押しつけだ」という「押し付け憲法論」を無効にできるではないか。

 それはさておき、僕は現在の日本国憲法が「押し付け憲法」で「日本人の手で作られてない」という主張については、片方の眉にツバを付けて聞いている方がいいのではないだろうか……と思っている。現憲法のもとになった草案は、確かにGHQから日本政府に突きつけられたものだ。しかし日本はそれに対してさまざまな修正案を出し、実際にその修正が現憲法の中にも反映されている。現憲法はGHQの一方的な押しつけではなく、GHQと当時の日本の政治家や学者たちによる「合作」だったのではないだろうか。

 「いやいや、合作ではダメなのだ。完全オリジナルでゼロから書き上げた憲法でなければ、日本人の手による自主憲法とは言えないのだ」と言う人もいるかもしれない。しかしそれを言うと、現在自民党が提案している改正草案だって「完全オリジナルでゼロから書き上げた憲法」ではないだろう。

 現憲法と自民党の憲法改正草案を比べれば、全体の構成も、条文の内容も、文言も、すべて現憲法に依拠していることは一目瞭然だ。これは自動車で言えばフレームもエンジンも主要装備も全部同じで、細かなオプション装備だけは変えました……みたいな話なのだ。

 自民党の改正草案によって現憲法が自主憲法に生まれ変わるのだとすれば、現憲法だってGHQの草案に日本人の意見をだいぶ入れて改まっているんだから自主憲法だよ。

 ひょっとすると「自主憲法の制定を!」と主張している人たちと僕とでは、自主憲法という言葉の定義が違うのかもしれない。何と言っても現在の憲法が作られたのは戦後の占領下での出来事だったし、そこでは日本に主権が存在しなかったのだ。現憲法が本当の意味で、国民の承認を得ているかどうかは疑わしいのかもしれない。

 であればこそ、やはり国民投票だ! 現在の日本国憲法を現代日本語に書き換えた上で、国民投票で承認を得ればいい。それで「押し付け憲法論」とは訣別し、あとは未来志向で憲法の中身について論じていこうじゃないの。

投稿者: 服部弘一郎 カテゴリー: 日記

日本国憲法は自主憲法である」への2件のコメント

  1. 占領国アメリカとの合作であれば、どちらが優位にあるかは判るはずだ。 他国が関与する余地のないのが独立国としての憲法であり、自国の憲法制定過程を考えれば、現在でも異論を挟む国はないだろう。 既に明治に制定した憲法があり、日本は外国に憲法のイロハを学ばねばならないような未開の国ではありませんよ。 あなたは勘違いも甚だしい。
    自主憲法制定は、日本国の誇りを問う重要なことであることを知ってください。
    あなたは 日本人の手で自主憲法が作り変えられるのが嫌なのですか?
    あなたの場合は、上から目線の戦勝国アメリカと一緒に祖国の憲法を作りますか?
    それとも、より素晴らしい憲法を目指して日本人が英知を絞って作るべきと考えますか?
    現憲法で満足するのであれば、あなたの知恵とハートに限界を感じます。或いは国籍に疑問を投じます。

  2. 「自主憲法を制定せよ!」と言うのは構わないんですが、じゃあその「自主憲法」というのは、現行憲法のどこをどうすれば「自主憲法」になるんですか?

    少なくとも自民党の憲法改正草案は現行憲法の修正でしかなく、文言のほとんどは現行憲法を踏襲しています。このレベルの修正は、戦後のGHQ草案を日本の国会で議論する際に行っているものと五十歩百歩です。

    自民党の憲法改正草案で憲法が「自主憲法」になるのなら、戦後のGHQ草案修正作業で日本の憲法は十分に「自主憲法」になっているはずなんですがね……。

    戦後の日本は米国の占領を脱して主権を回復したあとも、誰に押し付けられるまでもなく日本国憲法を改正せずに今に至っているのです。これは日本人自らの選択として「憲法を改正しない」ということを選んだのです。

    ちなみに現在の安倍政権も、憲法修正を発議しないまま安保法案を通そうとしているのですから「護憲」の道を選んだことになります。安倍首相も自民党も、現憲法で満足しているから憲法修正を発議しないんですよ。

    憲法を1度でも修正すれば「自主憲法」になるのなら、現行憲法を基本的に一言一句変えないまま、漢字と仮名を「現代かなづかい」に改めて国民投票にかければいいのです。それによって「自主憲法制定論者」も満足し、「護憲論者」も満足できるなら国民の圧倒的な支持を受けて「自主憲法」は国民の承認を得られるでしょうね。

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